―「市民が主役の民主党」への回帰をめざして―

■【私の視点】  「新しい公共」のアジェンダに期待する      横田 克己             

―「市民が主役の民主党」への回帰をめざして―

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  待望した本格的「政権交代」が実現した。そして荒海に鳩山丸は政策戦略の枠
組みのひとつに「新しい公共」をかかげ出航したが漂流しているかに見える。し
かし、この政治戦略理念は、日本の憲政史上初めて市民社会のあり方を明示しよ
うとするテーマとして大いに期待するものがあった。旧い「伝統的公共」に対す
る批判的検討は容易でないのだが、とりあえず政治社会と市民社会の新しい関係
性を切り拓く契機になるからである。

 私は、「非営利・協同」の市民事業及び社会運動の経験を通して、日頃公と共
の間に「・」をいれ、「公・共」として活用してきた。それは公領域と共領域と
の機能や役割の違いを区分し、関係性として理解・認識することが問題・課題の
解決にとって重要だからである。

 長期にわたり公共(性)概念は、よりよい施策や行為・貢献を促す望ましいモ
ラルやイデオロギーの内実として保守的ヘゲモニー行使の中心にあった。したが
って、つねに支配層には官尊民卑や請負型問題解決手法を定式化し常識化するこ
とに成功してきた。

それは公権力にとって使いやすいガバナンス概念であり、とりわけ行政支配・
主導を強化しようとする立場にとっては、天下りの例を見るまでもなく公によ
る請負型問題解決手法と制度を支える不可欠な概念操作だったといえよう。公
領域が共という社会的領域を従えてこそ、人々に幸せをもたらすという幻想
は、30年にわたった高度経済成長過程とともに育まれコンクリート化されてき
た。

 公権力が市民と市民社会を従える構造の定着は、国家主権と市民主権の相互関
係をあいまいにし、国民、都道府県民、市町村民という「行政につき従う人びと」
の政治的立位置を常識化してしまったといえまいか。受動的人々の行動及び思
考の様式は、諸問題の解決の多くを公権力に依存し、何事にも責任を問う態度や
モラルに浸透してきた。こうしてグローバル・スタンダードになっているはずの
市民概念(ピープル、シティズン、シビック、シトワイアンetc)が成熟しない
因果は、現状の日本に直面する諸々の困難と相関しているのである。

 「新しい公共」とは、ブレアの「第3の道」やオバマの「核なき世界」を例示
するまでもなく、市民社会の活力をof the peopleをふまえて成熟させて政治的
問題解決力との調和を生み出そうとする、民主政治本来の目的に対応しようとす
るメッセージである。それは市民の自助・互助阻害する日常生活に現れるストレ
スに対し、参加型問題解決力を政策的に支援することを意味する。

更にその政策は、業界や地域社会に根ざした「伝統的組織」とそれを指導・調
整する中間組織への依存をセーブしながら、新たな中間支援組織の形成・支援
をめざそうとする市民社会再編計画を伴って有効性を発揮できる。

 その実現の結果は、時代を支配してきた産業資本と税金資本のセクターによる
リーダーシップをけん制できる「市民資本セクター」を市民社会のバランサーと
して育成・支援することになる。市場の周辺に接して機能する市民資本セクター
活力のよりどころのひとつは、GDPの3分の2にも及ぶ生活資金を手にして様々な
分野に行使している生活者・市民なのだが、あたかも自然発生的営みかのように
操作され従属されている。

この受身な立場に対して、「事業仕分け」同様、自己の分身ともいえる税を含
む自己資金の因果関係とともにあり方を問うことができれば、その社会的有効
性を批判的、実践的立場を立証できる。

 そのこだわるべき内実は、税金、日々のサービスや物品の購入、公共料金や共
済・保険料、教育費、出資・投資etcわずかでも残れば預貯金へと、公権力や市
場にその管理・制御を預託してはばからないできたのである。

 市民資本セクターが自立的・政策的に形成できる端緒は、資本と労働関係の狭
間で個人資源(資金・知恵・労力・時間)を生かした労働団体、協同組合(事業
組合)、NGO、NPO、個人企業者、小零細企業etcのネットワーク化にある。その
結果として産業資本セクターに対し健全な市民社会形成の共同責任を要請し協議
する立ち位置(力関係の発現)をつくれる。

このセクターは、現状すでに「非営利・協同」「サード」「市民」「社会的経
済」「連帯経済」セクターなどと市民社会の新しいコア形成や自己決定による
独立性の高い事業・運動をめざしてトライしている。したがって政治の戦略に
とって「公・共」VS「私・共」のバランスある形成への配慮が肝要なのであ
る。

 市民資本セクターを育成・支援する政策は、税再配分で直接的に補助・育成す
ることを目的化することではなく、'10年度の国政府予算の執行に当たっては、
労働、福祉、環境、教育、子育て等々の政策を順次徹底して基礎自治体への「地
域主権化」をはかり、そこで「生き方を変えよう」とする市民の多くが課題解決
に参画できるよう法制度の整備を含む実践的コーディネートが問われるのである。

そのためには、公権力と市民活動の狭間で、国のコンプライアンスVS多様で複
雑な現場ニーズを調整・指導する社会運動の相関関係を受け止めるべく、カテゴ
リー別中間支援組織の柔軟な形成が必要不可欠になろう。しかし、自民党政権の
もとでは、市民社会の自律的問題解決力(社会的権力)形成を支援する有機的な
中間支援組織のルールも実際も不毛であった。

 こうして市民資本セクターの形成とその市民政策によるけん制力の増大は、社
会経済的リスクを取り合えるよう3つのセクター間の支配的情報操作を排除し、
問題解への合力を実質化できる。こうして国政策の執行にあたっては、本来の「
小さな政府」に向け国の役割を順次限定縮小し、基礎自治体(地域主権)に分権
化された「参加と責任の増大」が問題解決の決め手となる。その枠組みづくりを
可能にするためには、不可知な領域に対する畏敬の念をもちつつ、いかなるセク
ターバランスを構成するかが主要な戦略課題となるはずである。

 いずれにしても、麻生政権の「大貢献」にめぐまれ、あらたな生活者・市民、
勤労者・市民が大量に生まれようとしているいま、活力ある市民社会に「つくり
・かえる」チャンスであり、民主党は、市民社会政策のリーダーシップを発揮す
るときである。いかにして現実に先行して発意されてきた諸々の世界水準に呼応
し貢献できるのか、民主党の組織・運動戦略の発信が希望され、「人権・自由・
民主主義」をめざす21世紀「チェンジ」時代に向けてその「論理における具体性」
が試されようとしている。

(筆者は市民がつくる政策調査会理事会幹事・生活クラブ生協・神奈川名誉顧問)

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