―八尾オンドルパンのハルモニと私の奮戦記―67

高齢者だって喧嘩もすれば恋もする

―八尾オンドルパンのハルモニと私の奮戦記―   徐 正禹

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1、私が介護活動を始めた経緯



(1)はじめに


  八尾オンドルパン。これが私の職場であり、戦場です。日曜、祝祭日を除く毎
日、ここでハルモニ(韓国語でおばあさんの意)たちが一日を過ごします。いわ
ゆるデイサービス、お役所言葉では通所介護事業所といいます。昼間、自宅から
施設に通って介護を受けるサービスのことです。これとは逆にホームヘルパーが
、高齢者の自宅を訪問して介護を行うことを訪問介護といいます。八尾オンドル
パンは、デイサービスと訪問介護、両方の事業を行っています。ちなみに私は、
ここ八尾オンドルパンの生活相談員と代表を兼務しています。
     
  オンドルパンとは、朝鮮半島の伝統的な暖房システムで、かまどの煙、熱気を
床下にくぐらせることによって部屋全体を暖めるもので、今で言う床暖房のこと
です。私が子どものころの家にもオンドルパンがありました。オンドルパンのあ
る部屋は一室だけなので、冬は家族全員がこの部屋に集まって生活します。その
ため、部屋だけではなく家族の心も温めます。ハルモニたちとスタッフたちが家
族のような関係を築けるようにとの願いから、この名称をつけました。自画自賛
といわれるかもしれませんが、少なくともこの点に関しては、どこにも負けない
と自負しています。
     
  オンドルパンがある大阪の八尾市は人口約27万人。その内在日コリアンは約
7000人。大阪では、大阪市、東大阪市、堺市についで在日コリアンが集住す
る町です。その八尾市の中でも最も古く、また多数居住する竹渕地区でオンドル
パンは活動しています。竹渕地区は八尾市の離れ小島とも言われ、竹渕地区だけ
が中央環状線(幹線道路)で分断され、市外局番も竹渕地区だけが大阪市と同じ
06という具合です。つまり同じ八尾市内でも市外局番を入力する必要があるの
です。
     
  竹渕地区の在日コリアンは、正確な統計があるわけではありませんが、その他
の地区の同胞に比較して経済的に困窮している家庭が多いようです。また高齢化
率も高く、いわゆる独居老人も少なくありません。しかし、昔から住んでいる人
が多く、同胞同士の近隣関係は健在で、それだけがハルモニたちにとって唯一の
救いのようです。
    蛇足ですが、現在の韓国の金明博(キム・ミョンバク)大統領が生まれた
のは大阪市の平野区ですが、その地域は竹渕地区のすぐそばにあります。


(2)「朝鮮のチンバ帰れ」とののしられた父


  私が在日コリアンの高齢者介護の活動を始めた原点は他でもない、今は亡き私
の父のことです。父は12年前、満84歳の誕生日になくなりましたが、今から
約30年前に交通事故で右足の大腿部を切断し、右手がほぼ使えない状態になっ
たことから、私の家でなくなるまで暮らすことになりました。交通事故に遭うま
では山口県で一人暮らしをしていたので、大阪には知り合いが少なく、話し相手
もいません。また私も妻も昼間は働いているので、その間は一人でテレビを見る
だけの生活です。これでは体力も落ち、認知症に移行する可能性も高くなるとの
判断から、近くの八尾市立安中老人福祉センターに週2回通うよう手続きを行い
ました。あまり気の進まない父でしたが、ようやく納得してもらい、週2回程度
通うようになったのですが、しばらくして「行きたくない」と言い出したのです
。私がいくら理由を聞いても父は頑として理由を教えてくれません。そうこうす
るうちに、私の弟の友人が私を訪ねて来ました。

 彼はいきなり私に「徐さんのお父さん、最近老人センターに行っていないでし
ょう」と切り出し、その理由を私に教えてくれました。彼は、以前父が通ってい
た老人センターでアルバイトをしていました。彼が言うには、父が老人センター
に通うようになってから、老人センターを以前から利用していた高齢者たちから
「朝鮮のチンバ(ママ)帰れ」と毎回のように罵倒されていたというのです。彼
にすれば、友人の父なので、どうにかしなければとは思いつつも、他の正職員(
市職員)や所長も見て見ぬ振りをしていたので、アルバイトの立場からはどうし
ても言い出せなかったというのです。そのため、老人センターを辞めた後、一日
も早く私に謝りに来たかったそうです。
 
  この話を聞いたとたん、私の体は一瞬凍りついたように緊張し、怒りと悲しみ
が一挙に全身を覆いはじめました。私は翌日さっそく老人センターをたずね、所
長に事実の有無を確認したところ、すべて事実であることを認めました。ちなみ
に、安中老人福祉センターは、同和事業の一環として部落解放同盟支部の要求に
応えて、八尾市が建設した施設です。そのため施設の内外には、人権啓発キャン
ペーンのポスターがいたるところに掲示されていました。さらには、父を罵倒し
た高齢者たちは、全員が部落解放同盟支部のメンバーです。その中には、私の知
っている人もいたので、なおさらショックでした。
 
  所長はその日のうちに私の自宅訪ねて、父に謝罪し、再度老人センターを利用
するように勧めましたが、その後父が老人センターに行くことはありませんでし
た。これが私たち在日コリアン1世に対する日本の福祉の現実です。


(2)行き場のない在日コリアン高齢者


  仮に父が再び老人センターに通うことになってとしてもおそらく長続きはしな
かっただろうと思います。なぜならば、生きがいを主たる目的とした老人センタ
ーにおける各種教室は、たとえば囲碁、将棋、カラオケ、日舞等、そのすべてが
日本人高齢者を対象に設定されているからです。在日コリアン高齢者は日本高齢
者なら必ずとよいほどなじみのあるこれら「生きがい事業」をまったくといって
よいほど知らないからです。一般的に高齢者は、過去に体験のない作業にはなじ
みにくいとされています。老人センターで開催される各種教室の内容も、日本人
高齢者が過去の何らかの形で体験したことがあると想定されるものを設定してい
ます。
 
  つまり在日コリアン高齢者は、法律や規則では国籍、民族による排除はないの
ですが、その運用面で実質的に排除されているのが現実なのです。形式的には平
等を装っていても、実質的には差別されているというわけです。その結果、在日
コリアン高齢者には、行き場がなく、とりわけ独居の高齢者は体力が低下し、認
知症に移行する確立が高くなりなる傾向があります。植民地時代を苦労して生き
抜き、解放後(戦後)は日本の復興に尽力してきた在日コリアン高齢者にとって
、この現実はあまりにも過酷というほかありません。かといって、行政にどうに
かしろといったところで、制度がすぐに変わるわけでもありません。行政に要求
を突きつける一方、その間自分たちでできることからでもはじめるしかない。こ
れが八尾オンドルパンを始めた私の動機です。

            (通所・訪問介護施設八尾オンドルパン代表)

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