―衆院選を終わってみて「市民リベラル」の可能性は―

日本社会の可能性はどこにあるか             横田 克己

―衆院選を終わってみて「市民リベラル」の可能性は―

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 2012年12月第46回衆議院議員総選挙は、劇的変化を繰り返し終わった。その特
徴は、再度の政権交代が軸となったのだが、近代を仕切ってきた「政党政治」の
存在に衝撃的インパクトを与えたと思える。その傾向をみると、11党による多党
化選挙戦もさることながら、政治の左右・中道軸が「オールライト」化によって
枯れ、戦後資本主義体制が育んできた政党政治の形式民主主義による枠組みの一
人歩きが、市民社会との歪みを露呈したといえる。

 その内実は、小選挙区制の想定外ともいえる歪みが、得票率(小選挙区)43%
で237議席(74%)を占有したに止まらず、投票率が前回を10%も下回って不服
従が際立ったことである。従前から「維新の会」や「未来の党」、脱原発や定義
不明の「第3極」など賑わいをみせたのは、「失われた20年」にある「政府の失
敗」を総括しないまま問題状況を投げ出した「政党政治」の悪あがきだった。

 そして民主党の惨敗は「懲罰投票」の結果であり、自民への消極的支持がもた
らしたとして、二大政党制の混迷を多くのメディアが総括している。そうした選
択のメリハリが効いていたのだろうか。

 私はそこに、政治社会と市民社会の整合性に責任(問題解決すること)を持つ
ことなく、世界化した社会・経済問題の解決を「請負う」としてはばからない、
政治的民主主義の小児病を指摘できる。それは争点の中心が「景気と雇用」に集
中し、有権者に内在する「気分と利害」の希望と願望にクモの糸をたらし、受け
皿たる立場を喧伝して結果した。リスク社会問題の因果関係を問わず、ポピュリ
ズムとプラグマチズムの錠剤を処方して余りあるアベノミクスの勝利であった。

 「政党政治」が崩壊の危機にあると言える条件の第1は、政党とは「近未来を
予示する政治権力モデルを提示する」政治責任組織であることが自明でなければ
ならない。しかし、この「失われた20年」の間、しかもその原因が「政府の失敗」
であり「市場の失敗」と言われながら、政党の提示する諸策は、「国本位制」に
もとづく外交、産業振興、教育動員etcにもとづく既得権益保全に偏ってきた。

 その一方で「貧困のスパイラル」深化、「超高齢・少子社会」に伴う「人口減少
社会」やIMFが指摘した「ジェンダー差別」etc 日本社会に不可避な問題に対
して、「人権・自由・民主主義」にもとづく構想・理念を実現する戦略的課題へ
の取組みを放置してきた。

 立ち遅れた政党が形骸化する傾向は、自らの目的を達する用具(存在意義)の
根拠が「観念の構造」をもって政治競争を生き抜くことを忘れ、その内実が市民
社会に向って問われ続けることを拒否しているかのようである。その中心は不断
に党綱領に示されるのだが、選挙戦では後方に閉じ込められたまま、政党間の差
異を挙げ足取りの劇場舞台から、有権者に立ち向い、共育にもとづく「ヘゲモニ
ー行使」の効用など微塵も感じられなかった。

 党の観念構造とは、少なくとも三層構造をなしていると考えられ、上層に歴史
的・時代的に獲得された「理念や哲学に裏付けられた構想」があり、中層には、
組織と運動の方途を提示する「理念に導かれた戦略」があり、そのベースは、組
織の能動性を促して止まない「政策にもとづく実践方針」である。

 その3要素の有機的結合は、世界市場から分節化し複合化して止まない国際関
係や市民社会に向け派生する「リスクの降下」に対し、人々の「受動的意識」を
変革し、問題解決に向けた希望と参加の「合力を育む環」となり、ヘゲモニー
(指導と同意の関係)形成の源泉となって使命を果たすのである。

 こうした「政党の観念構造」を市民社会に向けて機能させようとしないまま
「失われた20年」が過ぎ去った内実には、明確に受動的「市民の失敗」があり、
そこに政党の歴史と時代への責任が問われるのである。

 そのオルタナティブは、「生活者・市民」の多くが、政党政治を彼岸に置いて、
政党の形骸化に手を貸すことを止めなければならない。それは、「参加・分権・
自治・公開」による民主主義手法を体現し、「社会的権力」の形成と活用に習熟
して、政治社会を引きつける力によって、日本の近未来を確かなものにすること
ができる。

 その方途は、どうしても「市民資本セクター」を形成して、ふたつの伝統的で
支配的セクターへの「けん制力」を造成し、3セクターによる「セクターバラン
ス」のあり方を追及できる政治社会形成が必要不可欠なのである。

 その近未来を築くには、オルタナティブを自明とする近未来の構想と戦略を創
出しなければならない。しかし、かつてのオイルショックによる世界の構造変化
を受けて、サッチャー・レーガン・中曽根トリオがリードして、その行き詰まり
を露わにしてきた新自由主義=保守リベラルによる経済のグローバリゼーション
の矛盾を克服しなければならない。

 そのためには、資本制システムの維持に不可欠だった伝統的戦略的目標と手段
を克服する市民社会側の力が必要である。真にひとり一人の主権を能動的かつ合
力として生かす「市民リベラル」の政治綱領が必要不可欠である。そして国家の
独善を克服するには、共生のグローバリズムを自明とする諸社会運動展開が国境
を越えて必要なのである。

 とりわけアジアから、ピープル-ピープル、ローカル-ローカル、Coop-Coop
関係の連帯するヘゲモニーが息づくネットワークと下からの諸策拡充は、能動的
市民の「政治生活用具」となる「市民リベラル綱領」とヘゲモニーの党が待望さ
れるのである。

(筆者は生活クラブ神奈川名誉顧問)
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