■歌舞伎版「戦後レジームと集団的自衛権」

歌舞伎版「戦後レジームと集団的自衛権」

大原 雄


 歌舞伎は、伝統芸能で古いものを伝承しているだけと思っている人もいないとは限らない。古いものにしがみつくのは「旧守」。伝統の中からなにを残すべきかが判っているのが「保守」。伝統を受け継ぎながら、新しいものを取り込んで行くのが「革新」。「歌舞伎:かぶき」=「かぶく:傾(かぶ)く」は、どちらか? ヒント:「傾く」は、新しいものに目敏い。

 今回は、標題の如く極めて現代的なテーマで、あるいは安倍政権のテーマに即して舞台を観るという刺激的な試みをしてみたい。とは、言っても今年(14年)の6月に国立劇場で観た演目と7月に歌舞伎座で観た演目をたまたま素材にして論じてみるという思いつきである。精緻な論及ではないが、あわせて初心の人が読む歌舞伎の劇評としても、楽しんでいただけるように工夫してみたい。

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☆☆ 14年6月国立劇場は、高校生向けの歌舞伎鑑賞教室で、演目は「ぢいさんばあさん」という歌舞伎の外題にはあまり相応しくもなさそうな演目である。しかし、この演目は、戦後の新作歌舞伎の中では、名作中の名作だと私は思っている。宇野信夫の名作には、「ぢいさんばあさん」と「曾根崎心中」がある。今回は、「戦後レジーム」という視点でこれらの演目を論じてみたい。

 私がこれまで観た「ぢいさんばあさん」は、6回。この演目は、「ばあさん」役者が、結構難しい。私が観た「ぢいさんばあさん」の主な配役は、次の通り。ぢいさん、美濃部伊織:仁左衛門(2)、團十郎、勘九郎時代の勘三郎、三津五郎、今回は橋之助。ばあさん、妻・るん:菊五郎(2)、玉三郎(2)、福助、今回は扇雀。組み合わせは、最初に観たのが、99年3月、團十郎と菊五郎。このカップルはなかなか良かった。以下、02年4月、勘九郎時代の勘三郎と玉三郎。05年2月、仁左衛門と菊五郎。これも良かった。10年2月、仁左衛門と玉三郎。12年2月、三津五郎と福助。そして今回、14年6月が橋之助と扇雀というわけだ。

 この演目の場の構成は、以下の通り。
 第一幕「江戸番町美濃部伊織の屋敷」、第二幕「京都鴨川口に近い料亭」、第三幕「江戸番町美濃部伊織の屋敷」。

 この演目は、江戸を舞台にした明治の文豪森鴎外原作の短編小説を戦後、宇野信夫が新作歌舞伎に作り直した。因に、幕末以前の演目は、「古典歌舞伎」と呼ばれ、明治以降、戦前(1945年の敗戦)までの演目が、「新歌舞伎」と呼ばれ、戦後の演目が、「新作歌舞伎」と呼ばれる。従って、新作歌舞伎と言っても初期のものは、もう70年も前ということになる。

 「ぢいさんばあさん」は1951(昭和26)年7月、東西の歌舞伎座(当時は、歌舞伎座が東京と大阪にふたつあり、特に、東京の歌舞伎座は、1945年戦災=米軍の空襲で焼失し、1951年1月に復興・再開場したばかりであった)で、同じ月に同時に初演された。配役は、それぞれ違う。ぢいさんとばあさん役は、東京が二代目猿之助(当代の曾祖父)と三代目時蔵(当代の祖父)。大阪が十三代目仁左衛門(当代の父)と二代目鴈治郎(坂田藤十郎の父)。だから、この演目は新作歌舞伎でも初期のものということになる。

 話は、こうである。夫が出張先の京都で、殺人事件(短慮ゆえに弾みで癖のある狷介な性格の同僚を殺してしまった。事実上は、「巻き込まれ」たようなもの)を起こして徒刑して、他藩預かりとなり、つまり、いまなら刑務所に入れられて、37年間も、離別の生活を余儀なくされた夫婦の物語。罪が許され、元の旧家で再会した夫婦は、改めて、ふたりだけの生活を始めようとする。

 劇中では、「新しい暮らし」という科白が、ぢいさんばあさんの夫婦と旧家の留守を守っていた若い甥の夫婦のふた組から、同じように発せられる。特に、若い頃、短い結婚生活をし、一粒種の子どもも亡くしてしまっただけに、互いに年齢を重ねながらも恋いこがれていたピュアなカップル(ぢいさんばあさん)の再会後の場面で、老夫婦は、「余生ではない、生まれ変わって、新しい暮らしを始めるのだ」と、高らかに宣言する科白を言う場面が、印象的な山場だ。

 老夫婦不在の家を守ってきた妻の弟は亡くなり、その息子である若い甥夫婦(37年前の自分たちのようだ)は、老夫婦に旧家を明け渡した後、移り住むことになる別の家で自分たちの「新しい暮らしが始まる」と言わせる。さらに、懐しい旧家に住み直すぢいさんばあさんの夫婦にも、自分たちの生活が、失われた時を求めるだけでなく、また、老い先短い「余生ではない、生まれ変わって、新しい暮らしを始めるのだ」と言わせる、という、くどい程の「新しい暮らし宣言」の、いわば、夫婦ふた組の「二重奏」という趣向になる。

 それにしても、世代を越えて、ふた組の夫婦が「新しい暮らし」を宣言しあうというのは、何故かと思い、森鴎外の原作を読んでみたら、原作には、若い夫婦が、そもそも出て来ないし、ぢいさんばあさんの科白にも、「新しい暮らし」などというものは、出て来ない。まさに、宇野歌舞伎のテーマに沿った独創の科白であったことが判る。

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★頭の上に広がっていた、あの頃の青空
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 そして、その科白の意味するところは、なにかを考えていたら、1951(昭和26)年1月という初演の「時期」にその秘密があるのではないかと思った(それも、東西の劇場で同時上演)。敗戦直後の混乱も、6年経過し、世間も幾分落ち着いてきたのだろう。新しい憲法も1946年11月公布、1947年5月に施行された。「戦後レジーム」の始まりの時代であった。新憲法下、3年有半。日本全体で戦後の新しい生活がスタートしようとしている。

 それを宇野信夫は、歌舞伎の舞台でも、表現しようとしたのだろう。他藩預かりから自由の身になった美濃部伊織。戦争から自由の身になった国民。新憲法に象徴される「戦後レジーム」という新しい価値観。つまり、宇野は、敗戦後の日本人の生活にダブるように、明治の文豪森鴎外の作品「ぢいさんばあさん」を元にしながら、新たな歌舞伎作品に作り替えたことだろう。宇野信夫にとって、戦後とは、新しい暮らしの始まりであった。貧しくとも、頭の上に広がっていたのは希望に満ちた青空だった。

 ここまでは、これまでの劇評にも書いてきた通りだ。

 いま、安倍政権は、宇野が望んだ戦後の生活の骨格である憲法の解釈を内閣という行政権の判断だけで変えようとしている。「集団的自衛権」の行使容認。立憲主義では、憲法が原理となり立法府である国会によって「合憲的」に法律が作られる。こうして作られた法律に従って、行政府が行政権を行使する。法治国家では、行政権行使の是非を司法が最終的に判断をする。

 明治から戦前まで支配した帝国憲法は無くなり、新たな新憲法で戦後の法的な社会秩序は形成された。これを三権分立という。子どもでも学校で習う。宇野信夫が「ぢいさんばあさん」の芝居を通じて宣言した新しい暮らし、つまり、「戦後レジーム」は、60余年後の現代、一政権の「解釈」で壊され始めているのではないのか、と、危惧してしまう。立憲主義・法治主義の否定、違憲の行政権執行。

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★歌舞伎は、決して保守的なものではない。
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 舞台に戻ろう。今回、改めて、以下のことに気がついたのは、扇雀の演技に拠るところが大きい。菊五郎(2)、玉三郎(2)、福助と観て来たばあさんの「るん」(美濃部伊織の妻)では、菊五郎を除けば、美形の真女形(まおやま)役者たちがほどほどにしか表現していなかったと思われる「老い」を今回の扇雀は、化粧などの工夫をせず、つまり、皺など描かず顔こそ玉三郎同様の白塗りの美形でありながら、所作の端々で、かなり意図的に老いを表出しようとしたように思われる。

 足の運び、腰使い、手の動きなど、懇切に演じていたと思う。だから、私も老夫婦が37年ぶりに出逢いながら、お互いが、当初、彼の人だと確信できないまますれ違っていた場面から、特に、扇雀演じる「るん」が、見知らぬぢいさんの顔の中に若き日の夫・伊織の面影を認めた瞬間の演技を観て、胸に込み上げてくるものがあった。これは、過去5回体験しなかったことだ。老い先短いふたりの人生が、青春のように可能性に満ち、広がる可能性で前途が洋々と見えてきたからだ。

 そう、この演目は、幕間、第二幕から第三幕の狭間で、舞台では直接話法では全く描かれていない37年の風雪の歴史とその結果として伊織・るんのふたりに忍び寄っていた「老い」と若い甥夫婦の今後に描かれるであろう「新しい暮らし」というものを対比していたのではないのか。それを今回扇雀は、ほかの女形よりも、より鮮明に表出しえたのではないかと思ったのだ。

 以前に書いた劇評で、「玉三郎は、若い綺麗なばあさんになってしまっている。白塗りで、まだまだ、ばあさんとして、枯れていない。薄い、砥の粉(肌色)など、綺麗な老け役の化粧の工夫も欲しい」と私は強調していた。玉三郎の「るん」を私は2回観ているが、2回とも、こういう不満を持ったことを覚えている。

 この演目は、新作「歌舞伎」とは言え、舞台を観た人の多くが思うように、歌舞伎らしさが乏しい。科白も現代劇調。時代劇の大道具(舞台装置)も歌舞伎の「体(てい)」ではない。だから橋之助も、彼の欠点である科白に余計な力みがなくて、素直にしゃべっていて、いつもとは逆にとても良い。扇雀の科白も同じだ。それでいて、この演目が、歌舞伎らしく見えてくるのはなぜだろうと考えてみた。

 考えた挙げ句の私の結論は、「下座」(舞台下手、「黒御簾」の中)で演じられる伴奏音楽だった。歌舞伎様式の音楽に「よそごと浄瑠璃」という演出がある。舞台の家の近くの他所(よそ)の家で、浄瑠璃の稽古をしているという想定の下に場面に登場している人物とは直接関係なく三味線と浄瑠璃の歌声が聞こえて来るという演出のことだ。これが、なんとも歌舞伎味を出していることに気がついた。この演目では、さらに、箏曲、尺八の演奏も効果的に使われている。

 歌舞伎の魅力を熟知している宇野信夫は、江戸時代を舞台にした芝居の役者に現代的な科白を言わせながら、音楽だけは、下座音楽という古典的な様式を重んじる歌舞伎の味付けをして、「ぢいさんばあさん」という芝居を作っていた。これがこの芝居を何回観ても飽きない秘密かと思い至った。

 贅言;ウグイスの声も効果的。第一幕と第三幕は、大道具は基本的に同じ。季節も同じで、ウグイスの啼き声がそれぞれ聞こえる。37年後という流れ去った時間のみが違う。それは、美濃部家の庭に咲く満開の桜の幹の太さが物語っている。14年6月の歌舞伎座でも、ウグイスの声が効果的に使われていた。演目は真山青果の新作歌舞伎「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」。細川家中屋敷の場面でも、ウグイスが鳴いている。春に散る。大石たち赤穂の浪士たちは、やがて、切腹の場へ立ち去って行く。

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★「るん」は、2年後、「お初」になった!
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 もうひとつだけ書いておきたい。宇野信夫は、戦後の新作歌舞伎で、もうひとつの名作を書いている。「ぢいさんばあさん」が初演された2年後、1953(昭和28)年8月の新橋演舞場で、宇野信夫による新脚色で上演された「曽根崎心中」である。元禄期に近松門左衛門が作った人形浄瑠璃の原作は、後に、同時代でも歌舞伎化されたが、その後は、久しく上演されなかった。

 1953(昭和28)年、父親の二代目鴈治郎と長男の扇雀(現・坂田藤十郎)の親子によって、徳兵衛とお初が演じられた。演出家の武智鉄二(その演出方法は「武智歌舞伎」と呼ばれた)に育てられた当時の扇雀が、宇野演出で、新鮮なお初を演じて、ブームを巻き起こした。その象徴的な場面が、天満屋を抜け出し、死出の道行に花道を行く際、お初が徳兵衛を先導するという、あの有名な場面を初めて演じたのだ。それまでは、男が女を引っ張ることはあっても、女が男を引っ張るということは、歌舞伎では、なかったからだ。

 この時の舞台の初日の様子を二代目鴈治郎は、藝談として、次のような内容のことを書いているという。

 天満屋の場面で、お初は、床下に潜む徳兵衛に脚で心中の覚悟を伝える。徳兵衛も、お初の脚に触って、己の死ぬ覚悟を伝える場面で、観客は、興奮の渦に巻き込まれる。天満屋をふたりが逃げ出す場面では、前の方の客席から、「早く、早く……」の声が聞こえるし、観客は、皆、ハンカチを眼に当てている。その熱気に押されて、思わず、お初が、徳兵衛の手を引っ張って、花道を引っ込んでしまったという。

 藝談が本当かどうか知らないが、あるいは宇野信夫が、2年前「ぢいさんばあさん」で「新しい暮らし」を強調したように、「曽根崎心中」で、新しい女性像を確信的に提唱しようとしたのかもしれない。そうだとすれば、宇野歌舞伎のコンセプトから発せられるメッセージは、「新しい暮らし」への鼓舞であり、「新しい人間関係」や「女性の人権」の提唱ということになるのではないだろうか。

 そういう眼で「ぢいさんばあさん」を観ると、この芝居の理解が深まる。こうしてみてくると、「ぢいさんばあさん」の有能な妻というイメージは、2年後の「曽根崎心中」の新演出に多大な影響を与えているのではないか、という推察に説得力を与えてくれる。「お初は、るんから生まれた」と言えるのではないか、と思うのだ。当時の舞台写真を見ると、お初を演じた若き日の扇雀の美しいこと。400年を超える歌舞伎の歴史で、歴史に残る美形の女形は、何人もいただろうが、この時の扇雀は、歴史に残る美形と言って良いだろうと思わせる美しさだった。

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☆☆ 14年7月歌舞伎座・昼の部のハイライトは、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」、それも珍しい通し上演の「夏祭浪花鑑」の妙味を紹介したい。こちらの劇評のテーマは、生々しく「安倍政権と集団的自衛権」とでもしてみよう。

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★「夏祭浪花鑑」の劇評は、いきなり贅言から、始まる。
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 贅言:今回、昼の部は初日に拝見したが、初日、午前10時半過ぎ、私は、歌舞伎座正面玄関で、キャロライン・ケネディ大使と遭遇してしまった。まず、玄関の外で混雑した行列の中にいたところ、「車が入ってきます」と歌舞伎座の係りの者が言う。「無茶な」。こんな混雑のところに誰だろうと思っていたら、確かに黒塗りの乗用車が正面玄関上手(「出口」と書いてあるところ)に突っ込むように入り込んで来た。私が正面玄関からチケットの半券をもぎ取られて玄関内部に入ると、係の人による「停止線」があるので、記者根性で玄関階段下の上手側(先ほどの「出口」の内側)の最前線に移動した。誰が入って来るのか、確認しようと思ったからだ。

 やがて、目の前をSPら大勢の人に囲まれて、女性が入ってきた。アメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使が通って行った。あっという間の通過で、印象は皺の多いおばさんだったというだけだ。

 ケネディ大使の通過の後、「停止線」は残っていたが、私は、ロビーの奥へ移動し、客席内に入ってしまった。後から聞くと、その後に、遅れて安倍晋三夫妻も来たらしい。だから、「停止線」が残っていたのだ。ケネディ大使も夫妻で観劇だったというが、夫の顔は知らない。安倍が解釈改憲で集団的自衛権をごり押し(国民に十分説明をしたか?)して行使容認に漕ぎ着け、ホッと息抜きしようと駐日大使夫妻を招いて、昼の部の歌舞伎見物に来たらしい。安倍の方と遭遇していたら「解釈改憲には反対です」とでも私は言っていたかもしれない。

 その日のニュースによると、安倍は、観劇後、「玉三郎と海老蔵」を「看板スターの競演」と言っていたらしい。海老蔵は人気役者かもしれないが、まだ、「看板スター」ではない。女形の人間国宝・玉三郎と比肩すべき歌舞伎役者は、立役の仁左衛門とか人間国宝の吉右衛門辺りのクラスでないと可笑しいのではないか。

 佐藤優「いま生きる『資本論』」を読んでいたら、以下のような記述があった。「宇野弘蔵が『ファシズムの強さは無理論なところにある』と言っています。理論がなくて、気合いでやっていく。これ、アベノミクスを思い出しませんか。安倍さんの特徴は、マルクス経済学も近代経済学も何も勉強していないということです。無理論の強さってあるんですよね。(略)アベノミクスというのは、反知性主義やヤンキー的なナルシズムとのアマルガムですよ」という表現に出会った。「無理論」が、「無理」論に見えた。安倍晋三という人は、経済学も勉強していないけれど、歌舞伎も勉強していない。えいやーで観ているのではないか。まあ、これは余計な話。

 さて、安倍晋三夫妻らと一緒に観た「夏祭浪花鑑」。先ほども触れたように、今回は、珍しい「通し上演」。場の構成は、以下の通り。

 序幕第一場「お鯛茶屋の場」、序幕第二場「住吉鳥居前の場」、二幕目第一場「難波三婦(さぶ)内の場」、二幕目第二場「長町裏の場」、大詰第一場「田島町団七内の場」、大詰第二場「同屋根上の場」。つまり、6場構成。このような形での通し上演は歌舞伎座では、17年ぶり。

 通常の上演形式では、今回の場に習えば、序幕第二場「住吉鳥居前の場」から二幕目第二場「長町裏の場」までの3場が演じられる。見せ場だけを取り出して演じることを「みどり上演」(選り取り見取り、という意味)。因みに「通し上演」(普通は、単に「通し」という)は、少しでも原作に近いように通して上演することをいう。この原作は、1745(延享2)年、大坂・竹本座初演、全九段(つまり、9場構成)の「世話もの」(江戸時代の現代劇)の人形浄瑠璃。

 通常の上演では、出所したばかりの主人公、団七が弾みで義父殺しをしてしまうという話なのだが、今回のような通しでは、義父(中車)殺しの団七(海老蔵)を友人の徳兵衛(猿弥)が、かばって逃がすという話に拡がる。その結果、私の目には初めて、この演目に「集団的自衛権」が見えてくることになる。こじつけっぽいが、おもしろい光景が見えてきたので書いてみたい。「玄関先」で、キャロライン・ケネディ大使に遭遇したせいだろうか。「とんだところに北村大膳」ならぬ、「とんだところにケネディ大使」であったかもしれない。

 それにしても、団七に迫る捕り方たちを代わりに徳兵衛が相手にして、団七を逃がす辺りは、同盟国が攻撃されたら、戦争に参加するという「集団的自衛権」行使そのものではないのか。左團次が演じる釣舟宿の主・釣舟三婦(さぶ)や団七が、「男が立つの、立たないの」と声高に科白を言う辺りも、「集団的自衛権」と同根の匂いがする。国民を戦争の危機に追い込んでも「男が立つ」のを優先するのは、権力の論理、あるいは軍隊の論理ではないのか、などと連想してしまう。歌舞伎を見る時くらい江戸時代にタイムスリップしていたい。社会部系ジャーナリストの損な性分。

 「夏祭浪花鑑」は、1745(延享2)年、大坂・竹本座で初演(歌舞伎として、翌年、京都万太夫座で初演)。人形浄瑠璃・歌舞伎狂言作者のゴールデンコンビ、並木千柳(宗輔)・三好松洛の合作(歌舞伎・人形浄瑠璃の3大演目「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」の作者たち。3大演目にはふたりのほかに竹田出雲、小出雲も参加)。全九段の世話浄瑠璃(世話もの)は、当時実際にあった舅殺しや長町裏で初演の前年に起きた堺の魚売りの殺人事件などを素材に活用して、物語を再構成した。やはり、「夏祭浪花鑑」は、社会部系のネタを芝居にしているのだ。

 最近では、勘三郎が、海外公演やシアターコクーン、平成中村座で、繰り返し、熱心にこの演目の上演活動を繰り広げていた。この演目、私は、今回で5回目の拝見。但し、今回のような「通し」を観るのは、2回目。17年前に三代目猿之助主演の「通し」を歌舞伎座で観ている。当時は劇評を書いていなかったので、通し上演について、私の劇評の記録はない。私が観た団七九郎兵衛は、海老蔵(今回含め、2回目)、三代目猿之助、幸四郎、そして吉右衛門である。勘三郎は、残念ながら観ないまま、逝去させてしまった。残念。歌舞伎は、役者との関係から見れば、同時代の演劇なのだ。時空を共にしないと生の舞台を観ることが出来ない。

 初めて観たのは、97年7月、歌舞伎座で、澤潟屋一門の舞台。元気だった猿之助が団七を演じた。この時に、今回のように「通し」で私は観ている。この時の通しは、今回よりもう少し場が多い。「住吉」と「三婦(さぶ)」の間に、「道具屋」と「番小屋」の場面が入っていた(8場構成か。ということは、全九段の原作に近い)。その後、99年6月、09年7月、いずれも歌舞伎座。11年6月の新橋演舞場。いずれも、「みどり」上演。そして、今回は、再開場なった歌舞伎座。

 私が観た主な配役。団七九郎兵衛:海老蔵(今回含め、2)、猿之助、幸四郎、吉右衛門。一寸徳兵衛:市川右近、梅玉、獅童、仁左衛門、今回は、猿弥。三婦:歌六(2)、富十郎、市蔵(猿弥休演で代役)、今回は、左團次。義平次:段四郎(2)、幸右衛門、市蔵(市蔵はふた役)、今回は、香川照之こと、中車。段四郎は熱演だった。徳兵衛女房・お辰:笑三郎、雀右衛門、勘太郎、福助、今回は、玉三郎。団七女房・お梶:門之助、松江時代の魁春、笑三郎、芝雀、今回は、上村吉弥。三婦女房・おつぎ:右之助(今回含め、2)、竹三郎、鉄之助、芝喜松。玉島磯之丞:笑也(2)、友右衛門、錦之助、今回は、門之助。傾城琴浦:春猿(2)、高麗蔵、孝太郎、今回は、尾上右近など。

 既に触れたように普通の興行では、「みどり」上演で「住吉」から「長町裏」までが上演される。猿之助の団七以外で、私が観て来たのは、このパターンだった。今回、改めて「通し」で観ると、団七(海老蔵)と義平次(中車)が軸になり、三婦(左團次)、お辰(玉三郎)が、見せ場がある配役だということが判るが、徳兵衛(猿弥)が、最初から最後まで、結構、キーパースンとして出続けていることが、よりよく判る。初めて観た時(今回のような通し)の徳兵衛は市川右近であったから、澤瀉屋の舞台では、座頭役者の猿之助に次ぐ二番手役者が務めていた役どころだということが判る。猿弥は今回、抜擢の配役だろう。徳兵衛は通しか、通しでないかで、配役の重みが違う。

 今回で自身が団七を演じることが5回目という海老蔵も、今回のような通しは初出演。いつもの場構成の舞台では、海老蔵団七の場合、徳兵衛役は、二番手ではなく若手を選んでいる。松也、獅童、男女蔵、亀鶴。海老蔵は、今は亡き勘三郎に団七の役づくりを教わったという。勘三郎の熱情を継ぐのは、長男の勘九郎か、今回のように海老蔵か。勘九郎の団七も観てみたい。勘九郎と海老蔵の芸の競い合いが今後の楽しみ。

 物語の主筋は、玉島家の嫡男だが軟弱な色男の磯之丞(門之助)と恋仲の傾城琴浦(尾上右近)の逃避行である。ただし、この主筋は、それと判ればそれで済んでしまう程度の話だろう。若い恋人たちを追うのは、琴浦に横恋慕する中年男の大島佐賀右衛門(新蔵)。中年男の横恋慕は、笑劇として描かれる。

 若いふたりの逃避行を3組の夫婦が手助けをする。釣舟宿を営む三婦(左團次)と女房おつぎ(右之助)、堺の魚売り・団七(海老蔵)と女房お梶(吉弥)、乞食上がりで、当初は大島佐賀右衛門に加担していた徳兵衛(猿弥)と女房お辰(玉三郎)。そこへ、副筋として、団七の舅、つまりお梶の父親・義平次(中車)が、横から登場する。舅の義平次が、琴浦の逃避行の手助けをする振りをして、琴浦を大島佐賀右衛門の所に連れて行き、褒美を貰おうとする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七は、舅を殺してしまう。久しぶりの通し観劇、既に触れたように、通しの劇評は初めて書くので、筋立ても含めて、長くはなるがきちんと記録しておきたい。

 序幕第一場「お鯛茶屋の場」。海辺の茶屋。茶屋の上手側に白砂青松の海岸。遠くに灯台が見える。茶屋遊びの若殿・玉島磯之丞と相手の傾城琴浦、琴浦に横恋慕の大島が座敷に居る。そこへ団七女房のお梶が登場。団七は、大島の所の中間と喧嘩をして、目下入牢中。お梶は、玉島家から磯之丞を連れ戻すように頼まれて来た。更に、座敷の庭先に非人姿の徳兵衛が仲間(「こっぱの権」と「なまこの八」)と共に現れる。徳兵衛は廓遊びの果てに乞食に零落したと嘆く。これを聞き、磯之丞は、身につまされて、玉島家への帰宅を決意する。実は、これはお梶の依頼を受けた徳兵衛の芝居。磯之丞の帰宅後、再び庭先に姿を見せた徳兵衛に礼金などを渡すお梶。この場面があると、後の人間関係が判る。滅多に見られない伏線の場面だった。

 序幕第二場「住吉鳥居前の場」は、中央から上手に石の大鳥居がある。鳥居には「住吉社」の看板。髪結処「碇床」の小屋が、舞台下手半分を占める。全体として、住吉大社の大鳥居前の体。

 髪結処の贔屓から贈られた形の大きな暖簾の中央には紋が染め抜かれている。図柄は、熨斗。暖簾の上手に「ひゐきより」、下手に「碇床さん江」とある。

 髪結処の上手側に「七月三十日 大祓 當社」、下手側に「七月十五日より二十五日まで 開帳 天王寺」の立て看板がある(後に、「小道具」として、使われる)。髪結処の暖簾の上手裏、出入り口の横には、私の席からは遠くて字は読めないが芝居番付(これも後に、「小道具」として使われる)が張ってある。歌舞伎には、このように、細部に凝った仕掛けが、「遊び」も含めて、仕込まれていることが多いので、注意しているとおもしろい。

 団七は、堺の魚売りだが、大島佐賀右衛門家の中間との喧嘩沙汰で中間を死なせてしまい、投獄されていた。団七女房・お梶の主筋に当たる玉島家の配慮で減刑され、出牢が許された。解き放ちが、住吉大社の鳥居前ということだ。世間に知らせるために、江戸時代は、こういうことをしたのかもしれない。

 まず、花道から、そのお梶が、子の市松を連れて、老俠客の釣舟三婦(さぶ)と一緒に、団七を迎えに来た。三婦は、右の耳に飾りのようにして、数珠を掛けている。喧嘩早い性格を戒めるおまじないだ(後で、耳から外して、数珠を切る場面がある)。お梶は、予定より早く来過ぎたので、市松と一緒に大社にお参りに行く。

 そこへ、上手から駕篭が到着。玉島磯之丞が降りて来たが、和事ののっぺりした色男の扮装。磯之丞が、法外な駕篭代を巻き上げられそうになっているのを見て、三婦は男気を出して磯之丞を助けて、駕篭かき(「こっぱの権」と「なまこの八」のふたり。お鯛茶屋の場面で出てきた徳兵衛の仲間)を懲らしめる。さらに、磯之丞に立寄先として「釣舟三婦」を紹介する。磯之丞は、花道から退場。

 その後、三婦は、碇床に入り、団七の解き放ちを待つ。暫くして、むさ苦しい囚人姿で、上手から役人に連れられて来たのが、団七。解き放ち後、出迎えた三婦に招き入れられて、碇床に入る。着替えと髪を結い直すためだ。着替え用の中に、肝心の下帯を忘れて来たという三婦が、碇床の下剃三吉(國矢)に、自分の締めている赤い下帯を外して渡すというチャリ場(笑劇)があるが、これは、後の伏線となるから、覚えておくとおもしろい。

 三婦は、花道から退場。先に行かせた磯之丞の後を追い、自宅へ向かう。花道七三で、三婦は、粋がって着物の裾を上げようとして下帯をつけていないことを思い出して、慌てて裾を下げて、笑わせる。続いて、上手奥から鳥居の下を潜って、傾城琴浦が、恋人の磯之丞の行方を訊ねて来る。更に、琴浦に横恋慕の大島佐賀右衛門が、琴浦を追いかけて来て、琴浦にしつこく言い寄る。

 そこへ、髪結処から出て来たのが団七(海老蔵)。団七は、青々と月代を剃り上げて、「首抜き」という首から肩にかけて、大きな家紋を染め抜いた白地の浴衣を着ていて、とても、すっきりしている。裾前には、「成田屋」と屋号が染め抜かれている(この衣装は、役者の家紋と屋号が染められているので、役者によって皆違う)。琴浦を助け、三婦の自宅へ向かわせる。

 この際、団七は、佐賀右衛門を懲らしめる所作で、佐賀右衛門の身体を使って(つまり、ボディ・ランゲージ)、琴浦に磯之丞の立寄先(釣舟三婦)への道順の案内をする。「黒塀、松の木、石地蔵、石橋」などと形態模写をさせる。「伽羅先代萩」の「花水橋の場」の趣向と同じだ(つまり、「伽羅先代萩」のパロディという演出)。「逃げれば、追う」の、ロード・ムービングの仕立ての展開となる。

 団七も、琴浦に続こうとすると、鳥居下から佐賀右衛門に加担する徳兵衛が、「こっぱの権」と「なまこの八」(ふたりは先ほどの駕篭かき)を連れて、琴浦を返せと追ってくるので、団七と徳兵衛の間で、喧嘩になる。先ほどの立て看板が引き抜かれて、ふたりの立ち回りの小道具として使われる。そこへ戻って来たお梶が、碇床に飾ってあった芝居番付を小道具に使って、ふたりの間に割って入り仲裁する。

 これも、良くある「留め女」という演出。団七の喧嘩相手が、徳兵衛と知り、驚くお梶。先のお鯛茶屋の場面、乞食の身に落ちていた徳兵衛を助けたことが伏線となっているのが、今回は、よく判る。恩あるお梶とその夫の団七に詫びて、女房お辰との関係もあり、同じく主筋の玉島家の磯之丞のために役立ちたいと徳兵衛は言う。義兄弟の印にと団七と徳兵衛は、着ている着物の片袖を互いに引きちぎり、交換する。皆、釣舟三婦(磯之丞の立寄先)へと急ぐことになった。

 二幕目第一場「難波三婦内の場」。店先に献燈と書かれた提灯がぶら下がっている。祭り気分を盛り立てる。看板替わりに店入り口の障子には「釣舟三婦」と書いてある。今では、磯之丞は、ここに匿われている。磯之丞と琴浦が、店先の座敷で痴話喧嘩をしている。三婦が戻って来て、女房のおつぎ(右之助)に若いふたりが逃避行中であることに注意しろと叱りつけて、他人の目を気にしてふたりを奥へ隠す。

 花道から徳兵衛女房・お辰(玉三郎)が訪ねて来る。徳兵衛の故郷・備中(今の岡山県)へ戻るので、挨拶に来たのだ。これを聞いた三婦女房・おつぎが、お辰にとっても、主筋に当たる玉島家の磯之丞をお辰に預けようと持ちかけるが、外から戻って来たばかりの三婦は、それでは、「男が立たない」と女房を叱る。それを聞いて女ながら「男気」のあるお辰は、怒る。三婦は、美貌のお辰が、色気がありすぎるので、徳兵衛のためにも、若い磯之丞が、お辰と間違いを起こすことを懸念したのだ。それを承知していながら、ふたりきりで行かせるのでは、徳兵衛に対して自分の男が立たないという訳だ。任侠道の男たちの意識が伺える科白だ。

 お辰は、黒地の帷子(かたびら)に白献上の帯という粋な着物姿で、さらに、傾城や女郎の役のように右襟を折り込み、裏地の水色を見せるような、玄人の着物の着方をしているから、やはり、色っぽい女という設定だ。玉三郎の美貌が冴える。お辰は、三婦の主張を聞くと、突然、店にあった熱い鉄弓(てっきゅう・大坂の夏祭りには、鯵の焼き物が定番であった。火鉢で熱した鉄弓の上で鯵を焼いた。金網の魚焼きのようなもの)を頬に押し当てて、火傷を作り、「これでも色気がござんすかえ」と言うほどの、まさに、「鉄火女」である。びっくりした三婦は、お辰に磯之丞を預けることにした。「男が立たない」という前に、お辰は「女が立たない」(自主自立)と思ったのだろう。

 この後、徳兵衛の仲間だった、こっぱの権となまこの八が現れ、匿っている琴浦を渡せと迫って来る。怒った三婦は、耳に掛けていた数珠をひきちぎり(この場面で、三婦の耳に掛けていた数珠の意味が判る)、ふたりを引っ立てて花道へ。しつこい大島佐賀右衛門を懲らしめに出かけて行く。

 花道から磯之丞を連れて行くお辰。おつぎが、お辰の無茶な行為を夫の徳兵衛が責めるのではと心配すると、花道七三で玉三郎のお辰は、「こちの人の好くのはここ(顔を指差す)じゃない、ここ(胸・心を差す)じゃわいなア」と胸を叩く所に、お辰の、というより玉三郎の心意気が現される。昼の部の玉三郎ハイライトの科白。ここまでが、芝居の前半である。

 「男を立てる」という三婦・団七・徳兵衛は、「集団的自衛権」派。軍事力重視。「女を立てる」というお辰は、「こちの人の好くのはここ(顔を指差す)じゃない、ここ(胸・心を差す)じゃわいなア」と、言える自信。軍事力よりコミュニケーション力(外交力)を重視しているように見える。どちらが、世界に通用するか。

 さて、お辰に連れられて磯之丞が去ると団七の女房・お梶の父親・義平次が、編笠で顔を隠したまま花道から現れる。婿の団七に琴浦を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来た。疚しいからか、義平次は最後まで編み笠を被ったままで顔を見せない。応対した三婦女房・おつぎは騙されて、義平次に琴浦を引き渡してしまう。義平次は琴浦を乗せた駕篭と共に花道から、慌てて退場。

 贅言;以前にこの芝居を観た時、義平次を演じる猿弥休演で、市蔵が、三婦と義平次のふた役を演じた。団七の女房・お梶の父親の義平次は、婿の団七に琴浦を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来る。応対した三婦女房おつぎは、騙されて、義平次に琴浦を引き渡してしまうという場面だが、義平次は、編み笠を被ったままで対応していたので、ふた役の時間稼ぎで、吹き替えの役者が、市蔵の代わりに義平次を演じているのかと思っていたが、以前のふた役ではない段四郎も、今回の中車も薄汚れた編み笠で顔を隠したまま、演じていた。むしろ、長町裏の殺し場へ向かう花道で、初めて編笠をとって、観客に顔を見せるという演出なのだと判る。それにしても、中車が演じる義平次は、手足も皆、いつもより薄汚く見えるが、気のせいか。歌舞伎を超える中車のリアリズム演技?

 やがて、花道から、三婦が団七、徳兵衛を伴って、戻って来る。花道から本舞台に入って来る団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷子(かたびら・浴衣)の麻の単衣を着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を着ている(元々人形浄瑠璃の衣装で、人形遣の吉田文三郎が考案したという。人形浄瑠璃の演出が歌舞伎に反映)。酒を飲むために奥に向かった三婦と徳兵衛。

 店先に残った団七は、三婦女房のおつぎから琴浦の話を聞いて、義平次によって、琴浦が勾引(かどわか)されたことを知ると、血相を変えて、花道から義平次と駕篭の後を追って行く。

 若いふたりの逃避行。3組の夫婦がサポートしていたが、磯之丞は、お辰が無事に連れ出したものの、琴浦は騙されて、義平次に勾引されてしまった。ここまでが、伏線。

 いつもなら、クライマックスとなるのは、二幕目第二場「長町裏の場」。歌舞伎世話物の独特の様式美溢れる殺し場の名場面だ。大坂の街を難波から東へ、長町(今の日本橋付近)までは遠くない。

 縄をかけた駕篭とともに逃げる義平次(中車)らに花道の先に設えられた本舞台の道具(舞台装置)が坂になっている辺りで追いついた団七(海老蔵)と義平次が喧嘩になり、満を持した中車がやっと編み笠をとり、顔を見せる場面だ。この後に続く「本水、本泥」(本物の水と泥を使う演出)を使った芝居はリアルでありながら、様式美にあふれる殺し場が展開される。団七:「九郎兵衛の男が立ちませんのじゃ」。義平次:「そんな顔をして親を睨むとヒラメになる」。最初、ねちねちと団七をいじめる義平次とそれに耐える団七の姿が描かれる。尻を捲って悪たれをつく義平次。中車の義平次は顔から脚、尻まで不気味に茶色だ。

 5回義平次役(相手の団七役3回は、兄の三代目猿之助に付き合う。ほかは、坂田藤十郎、吉右衛門が1回ずつ)を務めた段四郎を私は2回観てきたが、今回は、初役で演じる中車は、初役ながら、段四郎を超えるかなりの熱演。

 しかし、海老蔵の歌舞伎の演技と歌舞伎とは違うシリアスな小悪党のリアリズム演技、義平次の中車の演技は、歌舞伎の演技としては、海老蔵の演技との間に少しずつ齟齬が感じられる。初日ということもあるだろうが、立ち回りの絡みが滑らかではない。型の所作をなぞっているだけのように見える。所作の間などに隙間が見えるのだ。噛み合わないという感じ。「動きの切れ」が、まだまだ、余り良くない。

 泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の狂言らしい。凄惨ながらも、殺しの名場面となる(本泥、本水も、人形遣の吉田文三郎が工夫した趣向だという。ここも人形浄瑠璃の演出が歌舞伎に反映)。団七は、帷子も脱いで、赤い下帯一つになる(碇床の場面で、三婦から借りた、あの下帯である)。裸体には、全身の刺青。

 本舞台下手の坂を昇ると、土手の上には塀と柵で囲われた畑。畑には、夏の野菜が実る。畑は、下手から上手へ塀の内に広がる。塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭だけが見える。提灯をたくさんぶら下げた山車。高津神社の夏祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。別世界。そういう背景の中で、泥まみれになりながら、ふたりの殺しの立ち回りがつづく。「親殺し」と叫ぶ義父の義平次。「ひとが聞いたらホンマにします」と婿の団七。殺しの中にも、笑いを滲ませる科白廻し。倒れた義平次の身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりながら、飛んでみせる団七。弾みで、殺されてしまう義平次は、最後は、舞台前面の泥の池に蹴落とされてしまう。

 団七も、最後は、井戸水を桶4杯も掛けて、身体を洗い、帷子を着直す。そこへ、舞台上手から、祭りの神輿が入り込んで来る。そのお囃子のリズムにあわせながら、神輿連中の腰から手拭いを奪い、己の顔を隠す団七。さらに、団七は、いつもなら神輿連中に紛れて、現場なら逃げて行く筈であった。

 ところが、海老蔵は、神輿を先に行かせてひとり残る。以前見た吉右衛門も、そうだったことを思い出した。吉右衛門も「紛れず」に、神輿連中が、花道から姿を消してから、後を追って行った。ほかの団七役者が演じるように、ここは、神輿連中に「紛れて」行く演出の方が、お囃子の高まりと絡まって、緊迫感があって良いと思っていたが、それは、この場面で「幕切れ」になる場合の演出であろうと気がついた。

 今回のような通しでは、この場面の次がある。この場面で野菜畑に団七は雪駄を落としてしまう。それでいて、気づかない。後に、それを拾った徳兵衛が、次の場面で、団七のところに持ち込んで来て、それを証拠に「逃げろ」と勧める。団七は友だちにも「知らぬ存ぜぬ」と白を切る場面へ繋がる。通しを観たことで、吉右衛門は通しの原作通りの幕切れを「みどり」の場面で演じていたことになるのではないか、と初めて判る。

 「悪い人でも舅は、親」「親父殿、許して下され」。荒唐無稽な筋立てを、歌舞伎の様式美で、一気に観客を引っ張ってしまうというのが「夏祭浪花鑑」という芝居。

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★贅言:いつもは、ここで幕切れ。今回は、続きがある。
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 大詰第一場「田島町団七内の場」。田島町。大坂の街を長町からさらに東へ。今はコリアンタウンになっている鶴橋の南東に当たる。生野区だ。殺人事件から数日後。舅殺しはまだ発覚していない。徳兵衛が旅姿で団七宅にやって来る。義平次殺しの現場、長町裏の野菜畑で雪駄を拾ったという。雪駄には団七の紋がある。友だちは一緒に自分の故郷である備中(今の岡山県)へ逃げようと誘いに来たのだ。団七は、友だちに対しても、あくまでも白を切る。怒って上手の障子の間に篭ってしまう。障子の間は、夏らしく、紙の障子では無く、簾を張り付けてあり、涼しそうだ。いまなら、網戸か。

 代わりに奥から出て来たお梶が徳兵衛の着物のほつれに気付いて、旅に出る前に繕おうと持ち掛ける。着物を脱ぎ下着姿になった徳兵衛がお梶にちょっかいをかける。お梶は徳兵衛を撥ねつける。しかし、これを見た団七が怒り、徳兵衛と以前にかわした義兄弟の誓い(「住吉」の場面)としてきた片袖を投げ捨てる。義兄弟解消でふたりは喧嘩を始める。そこへ、外から三婦(さぶ)が駆けつけて来て、喧嘩を止める。今度は「留め男」の登場だ。団七は、不義をしたとして、お梶を許さず、離縁状を突き付けてお梶と息子の市松を追い出す。

 突然の離縁要求に、訳がわからないお梶に、三婦が団七の義父殺しを打ち明ける。団七とお梶が離縁をすれば、義父殺しは、普通の殺しになり、罪が軽くなるという三婦と徳兵衛の考えた苦肉の策だった。徳兵衛の行動は、「同盟国支援」ということか、全て計算尽くであったことが判る。しかし、捕方の手は迫って来た。徳兵衛は、三婦にお梶と市松を託し、やって来た捕方頭(左升)には、自分が団七捕縛をするので待って欲しいと持ち掛ける。

 大詰第二場「同 屋根上の場」。団七宅を含めた町内の屋根の上。団七宅の屋根にある引窓から団七は出て来る。多数の捕方たちに追われて屋上へ逃げて来たのだ。暫く、屋根の上での立ち回り。そこへ、上手から徳兵衛が現れ、団七を取り押さえるふりをして、縄の代わりに路銀の銭(逃亡費)を輪にしたものを団七の首に掛けて、逃亡を促す。徳兵衛の侠気が伝わって来る。男の友情に感謝しながら、団七は、屋根から飛び降り、花道を通って逃げて行く。

 「同盟国」が襲撃されたら、「敵」の目を自分に引きつけて、同盟国を助ける。当然、敵国は新たに戦争に参入して来た国に攻撃の刃を向けてくるだろう。こうして、戦争状態は拡大して行く。「集団的自衛権」行使容認の果て。外交力なき国家の悲哀へと想像力は飛翔する。

 ほかの役者評も少し。琴浦を演じた尾上右近と磯之丞を演じた門之助の若いカップルは、ロード・ムービングを縫い繋ぐ1本の赤い糸。団七(海老蔵)と徳兵衛(猿弥)の絡みは、もう1本の白い糸。三婦と徳兵衛女房・お辰の格好良さは光る。三婦の左團次とお辰の玉三郎。海老蔵主役の今回の興行の配役では、このふたりは役者の格が違う。通しで役の重みも違って来る徳兵衛を演じた猿弥も抜擢の初役ながら、存在感があった。

 中車が演じた義平次も、印象的。歌舞伎を突き抜けたようなリアルな小悪党を演じ切る。「歌舞伎の様式を踏まえた上で崩す」と中車は楽屋で語っている。香川照之は、うまい役者だが、中車として歌舞伎役者に溶け込むためには、まだ、時間がかかりそうだが、志は良し。中車も含めて、沢瀉屋一門は皆、再開場なった歌舞伎座は今回が初出演。門之助は騒ぎの大元となる磯之丞を初役で演じた。家橘は、33年ぶりの堤藤内(団七を解き放つ役人)の役。

 3人の男たちの女房役では、科白も含めて、徳兵衛女房・お辰の玉三郎は印象に残る。25年ぶりのお辰であった。団七女房・お梶の吉弥は、初役。普通なら序幕のみだが、通しでは、最後まで絡む。三婦女房・おつぎの右之助は、二幕目第一場のみだが、三婦とお辰の花道退場をそれぞれ送る場面で、余韻があり、印象を残す。「役の匂い」を出したいと言う。脇の役者の工夫は、芝居の奥行きを拡げる。上方育ちの右之助は、こういう役は巧い。

★「戦後レジーム」を否定する安倍政権の象徴が、解釈改憲という姑息な手法で決めようとしている「集団的自衛権」行使容認ではないか。安倍晋三、キャロライン・ケネディの両夫妻と同じ空間で歌舞伎の舞台を観ながらも、「新たな戦前の始まり」を危惧する夏であった。

 (筆者はジャーナリスト。元NHK社会部記者、元日本ペンクラブ理事)


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