【コラム】
大原雄の『流儀』

「かんぽ報道問題」~日本郵政の「怪」とNHKの「怪」~

大原 雄

 NHKの幹部の人事が、慌ただしい。経営委員会の石原進委員長(JR九州相談役)が、任期満了に伴い12月10日付で退任した。石原委員長は、日本郵政の意向に沿う形で、「かんぽ番組問題」で、NHKの上田会長をガバナンスが不十分であるなどという名目で「厳重注意」したことから、マスメディアから問題視されていた。石原進氏は、3期9年間という「異例」に長期間経営委員を務め、特に、3期目の3年間は、委員長として、強引とも言える委員会運営をしてきた。
 その石原委員長任期満了直前の12月9日の経営委員会は、NHKの上田良一会長が、2020年1月24日付、任期満了で退任すると発表した。上田氏は1期3年間と短命であった。後任は、みずほフィナンシャルグループの元会長・前田晃伸氏だ、という。銀行マン出身の会長である。NHKのかじ取り役は、ますます、放送の現場から遠のいて行くような危惧を覚えるのは、私だけではないだろう。
 以下、ここ数年から現在まで、NHKが、「かんぽ報道問題」で揺れていることと、今回の経営委員会委員長人事、NHK会長人事の関係について、背景を理解する上でも、「かんぽ問題」を素描しておきたい。

 「かんぽ問題」とは、極めてざっくり、コンパクトに表現するなら、日本郵便・日本郵政・かんぽ生命など、日本郵政グループ(以下、「日本郵政」と表記する)による「かんぽ生命保険」という商品の不正な、あるいは不適切な販売問題のことをいう、とでも表現できるだろうか。
 この問題は根が深く、日本郵政の構造的な問題点を解析しなければ、この問題の本質を解き明かせない、と思われるが、今回は、ここでは触れない。不正な、あるいは不適切な販売をし、利用者である国民に損害を与えた社員もさることながら、随所随所で誤った経営判断を繰り返す経営陣には呆れ果てるしかない。
 ここで取り上げるのは、この問題を報道したNHKの番組内容や取材の仕方ほかなどについて、日本郵政が、抗議という形で介入した「報道の自由」の問題でも、やはり不適切な対応をしている、というケーススタディの提示である。それをここでは、「かんぽ報道問題」と名付けて、以下述べて行きたい。

 小さな記事だが、新聞各紙で息長く、継続して報道され続けているNHKの番組「クローズアップ現代+(プラス)」の「かんぽ報道問題」のその後の動きについて、私も継続的に記事をウオッチングしてきたので、この段階で私見を述べておきたい。なお新聞記事などからの引用は、文章の冒頭に「*」を付した。

◆◆ NHK報道は、「暴力団」か

 この問題は、10月、参議院予算委員会で取り上げられた。その際、耳を疑うような発言が発せられた。日本郵政の鈴木康雄副社長(元総務事務次官)が参考人として呼ばれた。鈴木副社長は、NHKの番組取材手法を「まるで暴力団と一緒だ」と述べたのだ。このことを立憲民主党の杉尾秀哉委員が鈴木副社長本人に質問をした。その答え(朝日新聞10・16付朝刊記事)は、以下の通りである(予算委員会議事録とは、若干違い、鈴木発言は、記者が記事として要約していることを指摘しておく)。

◆◆ 鈴木・日本郵政副社長の発言

*「一方的に攻撃を加え、自分の勝手な意思を押し通そうとするというのが極めて悪質で、今の反社会的勢力が行うことと同様ではないかという意味で申し上げた」。

 この発言は、暴力団とマスメディアを同一視している。「マスメディア憎し」の極めて悪質な発言(いわゆる、ヘイトスピーチ)ではないか。鈴木発言は、当該番組批判、NHK批判にとどまらず、マスメディア全般のありようへの批判であり、日頃の彼の持論をここぞとばかりに強弁しているように思える。だから、副社長は、開き直って、この発言を撤回するそぶりさえ見せていない。その後も、平然とフェイクニュースを垂れ流しているように思える。マスメディアは、これを見過ごしてはいけない。むしろ、メディア全体の問題と捉えて、メディア総体で相次いで反発すべき発言内容ではないのか。

 鈴木副社長のような郵政、総務官僚は、NHKをマスメディアの機関の一つとして認識しているのではなく、官庁傘下の関連会社か子会社扱いをするような感覚が、こびりついているのだろう。以前、NHKの記者をしていた体験から、こういう直感は、まず間違いないと思うが、以下、検証して行きたい。

 NHKは、日本を代表するマスメディアの一つであり、番組制作現場では、これまで通り、こうした誹謗中傷にひるむことなく、矜持を持って、国民の知る権利を担保された報道の自由、番組制作の自由という大義を堅持して、国民のために適切な情報を提示し、国民の国家に対するコントロール(直接的には、各種の国政選挙)の判断材料を提供し続けて欲しい。NHK経営委員会、会長含めた執行部(経営陣)、さらにNHKで働く、労使とも、鈴木発言を等閑視したり、このまま許したりしてはならない。放送総局長の腰砕けの対応は、「上から言われて」という部分もあるだろうが、放送人として、実に醜く、情けない。

 新聞記事では、よく判らなかったが、杉尾委員は、決して、鈴木副社長に言いたいように彼の持論を一方的に述べさせたりはしていない。予算委員会に「参考人」という立場で出席した鈴木副社長の発言に対して、以下のように釘を刺している。予算委員会の議事録によると、杉尾委員は、さらに、次のように追及している。

*「副社長の、郵政の、郵政じゃない、総務ですね、元次官で放送法の改正、放送法のことをよくお分かりだ。で、その、しかも、この時期というのはNHKが常時同時送信に向けて放送法の改正で物すごくナーバスになっていた時期、そういう時期にあなたがその総務の次官だったという経歴を振りかざして折衝に当たっていたということが今回の一連の出来事に大きく関わった可能性がある」。

 私もここが、この問題の大きなポイントの一つだろうと思う。官僚は、OBになってからも、古巣時代の権力・権限をできるだけ長く保持するために、つまり、元官僚の「賞味期限」(天下り先に「役立つ能力」)を維持すべく、鈴木副社長のようなことを日頃からやり続けているのであろう。こんなことを書くと私も「自分の勝手な意思を押し通そうとするというのが極めて悪質で、今の反社会的勢力が行うことと同様ではないか」と、彼らから糾弾されるかもしれない。

 マスメディアのために、朝日新聞社説(10・18付)から、結末部分の引用をしておきたい。現場の頑張りをよそに、NHKで蠢く経営委員会、会長ら執行部、番組制作の責任者である放送総局長の行動に対する疑念を取り上げている。

*「昨年の早くから、かんぽ不正を問うたNHKの現場の仕事ぶりはたたえられるべきであり、続編の放映が約1年間も先延ばしされた事実は重い。抗議した日本郵政の鈴木康雄副社長は、元総務事務次官である。先日もNHKの取材について「まるで暴力団と一緒」と放言し、撤回もしていない。公正な報道活動は、圧力や横やりにひるまず問題を告発する覚悟の上に成り立つ。NHKであれ朝日新聞であれ、その基盤を守る重責を忘れてはなるまい」。

◆◆ 日本郵政の「怪」とNHKの「怪」

 日本郵政の社内では、「クローズアップ現代+」問題に関して、おかしなことに長門社長と鈴木副社長で、意見を異にしている(朝日新聞10・22付朝刊記事)、という。記事の要旨は、以下の通り。

*「この問題で今月、鈴木氏が国会の審議などに計5回出席。NHKの動画について『おかしいと今も思う』とし、抗議は正しいと主張した」。
 さらに、鈴木副社長は、「番組の指摘はどれも把握済みで『新しいものはほとんどなかった』。かんぽの営業目標引き下げを『番組の手柄』のように報じられたとし、『とんでもねぇ』と記者団に声を荒げる一幕もあった」。
 一方、「先月30日、長門氏は記者会見で、当時のNHK番組の放送を『今となっては全くその通り』「フェアにつくられている」と認め、『番組の訴えを心にとめ、グループ全体で対応しないといけない』と話した」、という。

 一つの組織で、外部向けの見解公表において、代表者(この場合、長門正貢社長)の見解とそうでない者(この場合、鈴木康雄副社長)の見解が異なる、ということは、やはり「奇怪」であろう。組織のガバナンスとして問題があるだろう。

 さらに、長門社長は、11月12日の参院総務委員会で、なんと、次のような発言をして、前言を否定している、という(朝日新聞11・13付朝刊記事)。社長と副社長の外部に出る意見が異なるだけでも問題だが、さらにその後、組織の内部での議論ならいざ知らず、外部に向けて上級者が下級者の見解に従うことを明言するのは、日本郵政のガバナンスの問題性がいよいよ明確になる、ということだろう。

*(長門社長)NHK批判を繰り返す鈴木康雄副社長(元総務次官)と「意見は全く一致している」と述べた。これまで「反省する」と話したのは不正への対応が遅れた点だけだと説明し、鈴木氏への主張と足並みを合わせた」。

 朝日の社説(11・17付)「郵政の不正 組織の体質は改まるか」。

*日本郵政は正念場を迎えるが、幹部の最近の言動を見ても、どこまで危機感があるのか、疑わしい。(略)外部からの指摘に耳をふさぐ姿勢を改められないのだろうか。こうした体質を残していては、信頼回復は不可能だ」。

 全く、同感である。時折、漏れ出てくるマスメディアの情報を観測していると、次のようなことが判る。日本郵政の意向は、どうも不安定であり、組織の内部で、社長と副社長の権力争いが、水面下の争いのように、密かに潜行しているように見える。これでは、日本郵政の「怪」の解明は、一筋縄では、行かないだろう。

 一方、NHKにも「怪」がある。
 以下の二つの文章は、NHK「クローズアップ現代+」の関連ホームページからの惹句(番組ピーアール)を、そのまま掲載してみた。昨年というのは、2018年のことである。

*「日本中に大きな衝撃を与えている郵便局による「保険の不適切販売」。今月、日本郵便とかんぽ生命保険の社長が謝罪会見を行うなど、郵政グループによる保険販売に問題が生じていたことが、次々と明るみになっている。番組では、昨年4月にこの問題を取り上げた。放送から1年、「問題は改善するどころかむしろ深刻さを増している」という郵便局関係者の告白、トラブルを訴える高齢者やその家族の声も後をたたない。不適切な手法を内部で共有していたことをうかがわせる内部資料も入手。民営化から12年、大きな岐路に立たされた巨大組織の課題をあらためて浮き彫りにする」。

*「郵便局が保険の“不適正”営業を行っているという声が番組に寄せられた。私たちは実態を探るためSNSで情報提供を呼びかけたところ、消費者のみならず、郵便局関係者からも300件以上の情報が集まった。「保険を預金と誤認させる」「親族が同席しないように誘導する」など高齢者を狙った“不適正な手法”の数々。こうした実態は日本郵政グループ側も問題視していたことが内部資料から浮かび上がってきた。放送に先駆け取材過程をSNSで公開し、寄せられた情報をもとに取材を深める“オープン・ジャーナリズム”によって、郵便局で今何が起きているのか、探った」。

 これが、「暴力団」の論法であろうか。現場のスタッフの事実に裏打ちされた「正義感」こそ、滲み出てくるものの、「一方的に攻撃を加え」ているようには、私には思えないし、誰も思えないのではないか。「オープン・ジャーナリズム」を謳う現場は健全だ、と思う。番組で特ダネを打ち上げた、という昂揚感すら感じられる。

 NHKの「怪」が跋扈しているのは、番組の現場ではない。こうした現場の頑張りをよそに、NHKの経営委員会、経営陣(会長以下の理事会執行部)や番組制作の最高責任者(放送総局長)らの、権力介入に対する及び腰的な不適切な言動が気になるのである。

贅言;一般の読者には、判りにくいと思うので、NHKに関する用語を説明しておこう。

 NHK経営委員会とは、NHKの在り方などを規定する放送法により、公共の福祉について公正な判断をするために委員様を含む12人の外部委員で構成されている。これまでのところ、大学教授、企業などの幹部などから選ばれている。現在のメンバーの中には、安倍政権に極めて近いと言われる女性の大学教授が含まれていて、市民団体から再任反対・辞任を求める声が上がっている。

 会長以下理事会(執行部)は、会長、副会長、専務理事、理事で構成されている。会長は、経営委員会が任命する。理事会のメンバーは、会長が指名する。2019年4月25日付の役員体制では、12人。上田良一会長のほか、副会長1人、専務理事4人、理事6人となっている。現在の会長は、外部から登用されていて、商社マン出身である。副会長を含む理事のうち、記者系が、6人、番組制作(PD)系が、3人、営業系、技術系が、それぞれ1人である。因みに、記者系のうち、政治部出身が、3人、社会部出身が、2人、経済部出身が、1人。PD系のうち、報道番組系が、2人、ドラマ系が、1人。

 放送総局長は、現在、木田幸紀専務理事が担当で、NHKのホームページ掲載の「役員の担当」という表では、「放送統括」となっている。つまり、放送番組の制作現場の意向を経営に反映する責任者ということである。木田専務自身は、ドラマ畑の出身である。

 ドラマ畑出身の人にとって、政治の最前線で、「かんぽ問題」のような極めて政治的な問題の対応をするのは、さぞかししんどいことだろう。更に、副社長(元総務事務次官)から、昔の権限を振りかざしてNHKの経営委員長に圧力が掛かり、経営委員長からNHK会長に圧力が連鎖され、圧力に屈した会長の意向を踏まえて、「報道の自由」という民主主義の原理原則を蔑ろにしているという意識も希薄なまま、放送総局長は、行動を取ったのではないか。

 朝日新聞の10・31付の朝刊や11・20付の夕刊によると、「クローズアップ現代+」問題を巡っては、2018年10月、経営委員長がNHK会長を厳重注意した、という。次いで、11月以降、木田放送総局長の行動は次のようなものだったらしい。

 18年11月、総局長は、会長名で書いた事実上の謝罪文を日本郵政に持参した(会長が総局長に届けさせた)、という。個々の番組について番組現場のトップの責任者が、外部に対して、直接説明する、というのは異例だし、報道の自由を抑制することになりはしないか。つまり、このことは、総務省(旧郵政省)は、NHKを子会社の如く扱い、NHKは、日本郵政の副社長(元総務事務次官)を特別視して対応した、ということになるのではないか。

 放送総局長は、更に、今年の2月、日本郵政の副社長の求めに応じて再び赴き、副社長にNHKの職員教育の状況などを説明してきた、というから、これも驚く。

 その後、NHK経営委員会の人事で動きがあった。安倍政権は、11月13日、衆参両院の議院運営委員会理事会に対し、NHK経営委員会の委員人事について、1人を再任し、2人を新任する人事案(国会同意人事案)を提示した、という。この結果、2人の委員が退任することになったが、このうちの1人は、石原進委員長(JR九州相談役)が含まれている。
 石原委員長は、日本郵政の意向に沿う形で、「かんぽ番組問題」で、NHKの上田会長をガバナンスが不十分であるなどという名目で、「厳重注意」したことから、マスメディアから問題視されていただけに、どこから力が働いたか、私には不明だが、スッキリする人事になった、と感じている人は多いのではないか。石原進氏は、3期9年間という「異例」に長期間経営委員を務め、特に、3期目の3年間は、委員長として、強引とも言える委員会運営をしてきた。任期満了は、今年の12月10日。それを前に、11月14日付の朝日新聞の記事を引用しよう。

*「NHK内部では『ガバナンスの名を借りた事実上の放送現場への介入』との批判が生まれたほか、注意に至る議事録の不十分な取り扱いも露呈。国会で、野党から、経営委の組織自体のありようを厳しく問われる事態に至った」。

◆◆ NHK「かんぽ番組問題」は、マスメディア総体で対抗すべき

 新聞各紙も持続的に記事掲載をし続けている。例えば、朝日新聞ではなく、日本経済新聞が、「かんぽ番組問題」について、報道している記事を引用しておこう。以下、19年10月の記事を引用。

*「一連の問題では、NHKの日本郵政側に対する異常ともいえる配慮が浮かび上がった。経営委が個別番組を巡って対応したのも、放送部門のトップである放送総局長が郵政側に出向いて会長名の事実上の謝罪文書を手渡したのも異例の事態だ。
 武田徹・専修大教授(メディア論)は「外部の注文が番組に反映されたのであれば、経営委の機能がはらむ潜在的な問題が表面化したことになる」と指摘する。経営委に連なる人脈を通じて恣意的な番組改編が行われかねないと警鐘を鳴らす。
 情報公開の不十分さも浮き彫りになった。経営委の議事録は経営の透明性を確保するため、放送法で委員長に作成と公表を義務づけている。しかし経営委員会が上田会長を注意した昨年10月の議事録にはその事実は記載されていない。
 放送法は第1条で放送の不偏不党や放送による表現の自由の確保を掲げている。報道の自由は社会全体として守るべき価値観だ。受信料で成り立つ公共放送として、放送の独立性に問題がなかったのか。NHKや経営委員会は改めて丁寧な説明が求められる」。

 毎日新聞は、どうか。以下、10・26付の記事。

*「抗議を主導したのは鈴木氏だ。鈴木氏は総務省で放送行政に長く関わり、2007年に情報通信政策局長としてNHKのガバナンス(統治)強化を定めた放送法改正に携わった。郵政グループでは、与党国会議員らとのパイプ役で菅義偉官房長官とも近い。政府・自民党には今も、鈴木氏ら郵政側の抗議に理解を示す声が強い」。
 日本郵政をよく知る関係者は「鈴木氏は『自分が解決する』と周囲に言って頑張った」と明かす。鈴木氏は昨年9月25日には、NHKの森下俊三・経営委員長代行(元NTT西日本社長)と面会し、NHK執行部への不満を伝え、「経営委で検討してほしい」と要請。同委が上田会長を厳重注意した後の昨年11月7日には、同委宛てに感謝状を送り「かつて放送行政に携わった」と経歴を強調した上で、執行部への「引き続き強力な指導・監督」を念押しした。与党議員は「鈴木氏は、自分たちが許認可権限を持っていたところは、言うことを聞いて当然という官僚意識が抜けない」と指摘する。

 NHK番組「クローズアップ現代+」のありようについて、新聞各社も頑張っている。NHKニュースも頑張らねばなるまい。権力と直(じか)に対面するNHK経営陣も、もっとしっかりしなければならない。現場だけに頑張らせば良い、という問題ではない。民放テレビ、ネットメディアも、マスメディア総体のありようの分岐点という認識に立ち、頑張ってほしい。これは、「国民の知る権利を担保されたマスメディア」と「隙あらば介入しようとする権力」との総体をかけて向かい合うべき対立点であろう。ブレさせてはいけない。

 この問題のマスメディアの報道の仕方から伝わってくるのは、ふたつの「怪」。
 日本郵政の「怪」は、社長と副社長の力関係が、変なこと。社長が組織の方針を決められない。副社長が牛耳っているように見える。実際、鈴木副社長と長門社長の権力関係は、逆転しているのではないだろうか。

 NHKの「怪」は、石原進経営委員長の、12月10日の任期満了退任で、一定の改善につながるのかどうか、今後とも監視を続けなければならないが、放送総局長の対応に見られるような「怪」は、簡単には、改善されないのではないか。現場の意向を現場の責任者(放送総局長)がきちんと経営の執行部(理事会)に伝え、実行させていってこそ、放送の民主化が、推進されるように思える。二つの会をまとめると、次のようになる。

 日本郵政の「怪」:ガバナンスがおかしい。副社長(元総務事務次官)が、いまだに官僚風を吹かして、日本郵政とNHKという組織を牛耳っている。

 NHKの「怪」:真っ当な報道の成果を番組化したのに、現場感覚を優先せず、また、現場感覚を経営に反映させるべき放送総局長が機能せず、外部の圧力に屈しているように見える。放送現場の責任者たる放送総局長は、国民の知る権利に担保された国民のための報道の自由という現場感覚をきちんと経営に反映させることこそ、NHKという組織のガバナンスなのではないのか。総局長が、適任の人材でないならば、報道の自由を標榜して取材・報道を続けてきたはずの多くの報道系理事たちが、ここぞ、働き場という意識で、理事会(執行部)を牽引していかなければならないだろう。

 理事会(会長以下12人構成)にいる報道系の記者やPD出身の理事たちは、8人もいるのに、報道の自由という自分たちが長年馴染んできた行動原理にどう対応しているのか。もし、有効な言動をしていないのだとしたら、私たちは、日本郵政のガバナンスの体(てい)たらくの「怪」だけを取り上げるわけにはいかないだろう。NHKのガバナンスの体たらくの「怪」も、合わせて取り上げる必要があるのではないか。

 NHKのガバナンスとは、そもそも「公共」(国民益)に由来する。NHKは、「国営放送」ではなく、「公共放送」であるが、公共とは、公共益、公共の福祉、国民の益に資するということである。「公共益」とは、「国益」とは違うことを認識する必要がある。国益とは、国家益、もっと露骨にいえば、その時々の政権益である。今の安倍政権で言えば、最近話題になった「桜を見る会」の公私混同ぶりは、まさに、独善的な政権益であって、税金を使っても良い公共益からは、程遠いものだということを国民の多くは、既に見抜いているのだから。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)
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