「ソーシャル・アジア・フォーラム」雑感

【特別報告】

「ソーシャル・アジア・フォーラム」雑感

                     小島 正剛


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 各地を巡回してきたソーシャル・アジア・フォーラムも、今回の北京で17回目となった。出発前に天安門広場で爆発事件があり、しかも3中全会(共産党の第18期中央委員会第3回全体会議)の会期がフォーラムのそれ(11月8-9日)ともろに重なってきたので、なんらかの影響があるかと気にしたのだが、杞憂に終わったのは幸いであった。
 大気汚染の方も、郊外の中華全国総工会所属の巨大な会場ホテル(中家鑫園温泉酒店)に逗留したせいか、影響はそれほどでもなく、フォーラム後の小旅行の日などは絶好の快晴に恵まれて当の中国は勿論日本、韓国、台湾からの参加者たちを安堵させたのである。

 その参加者たちだが、どの国・地域も組織も代表せず、自由な個人参加を建前としてフォーラムにやってきた。1995年の東京開催をもって発足以来、対話を通じて「労働の世界」を中心に東アジアの「社会的公正」を構想する稀有の存在となった。いわば地域市民の公共財と筆者は考えている。一時は幕を下ろそうかという意見も出たものだが、中国ではブランドになっているのでそれは困るという懇願があって継続したという経緯もあった。

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 フォーラムで印象に残る場面はこれまで数多くあった。
 とりわけ印象に残るのは第16回(台北)、福華国際文教会館でのフォーラムの折だった。本人たちの責任でなく、折からの中台関係の悪化で中国参加者の訪台がかなわなかった。そこで、フォーラムでは翻訳されていた中国報告が代読されたのだが、その一つ、任小平さん(中国労働関係学院助教授、当時)の報告「給与交渉制度に関する考察と改善」が思い起こされる。一見穏やかなタイトルであったが、内容が鋭かった。
 かれは、30年に及ぶ中国経済の奇跡には、付随して政府が「矛盾の多発期」とする社会問題の突出があると指摘。背景には「富が政府や経営者側に隠されている事実がある」として、「分配のアンバランスが、中国の労使関係に矛盾・緊張を引き起こす主要要因となっている」と喝破したのである。当時の富士康集団の労働者13人の連続飛び降り自殺、平頂山紡績集団の労働者による一連の激しい労働争議発生などがその生きた事例だと指摘した。その後、南海本田をはじめとする労働争議が頻発したのであった。
 また、社会の安定と労働者権益擁護の問題は、中国工会が直面する新たな課題だとしつつ、「最低賃金基準の大幅引き上げ」、「賃金交渉の制度化の促進」などが緊急課題であり、現在の労使問題の核は依然として経済問題であると指摘した。マルクスの言った経済関係の無い社会関係は「虚構」とした論述を引いたのであったろう。

 こうした率直な発言は他の公式国際会議では現われ難いもので、フォーラムの特性が発揮された好例といえよう。かれとは今回固い握手を交わしたことであった。また、フォーラム草創期からの台湾の大御所、陳継盛さん(中国文化大学教授)の中国入国が許可されないケースもあった。かれは、台湾民主化に影響を与えた『美麗島』事件(1979年)で逮捕拘留された指導者の一人、林義雄さん(元民進党主席)の弁護を買って出た人物で、のちに民進党政権時代の後ろ盾となった。たぶん、そうしたことが中国当局のビザ発給拒否に繋がったのであったろう。今回のフォーラムにも彼の姿が無かったのは惜しまれた。あるいは今回、あえてかれはビザ申請をしなかったのかもしれない。

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 今回のテーマは「東アジアにおける非正規雇用の拡大と社会労働政策―グローバル時代における経済の社会的側面」であった。
 日本からは埋橋孝文さん(同志社大学教授)の「社会政策の新しい動向と今後の課題」と小島茂さん(連合総研主任研究員)の「連合の政策実現の取り組みと政府・与党との政策協議の在り方について」の報告があった。

 他の報告で筆者が興味を覚えたのは、石秀印さん(中国社会科学院社会学研究所教授)の基調報告「柔軟な雇用と分散・流動化―中国はどう対応するか」であった。 かれは中国の国造りに固有の社会的伝統モデルにふれ、社会組織方式の基本は「一統制」(別名中央集権主義・権威主義)の保持であり、その下で管理、恩恵、教化の三位一体メカニズムですべての階層の人びとを結びつけ、社会の安定と発展を目指すものと述べた。一統制は、基本的に春秋戦国時代からそうであり、現代でも基本的には同じだとも指摘したのが興味深いところだ。
 かれは1840年以降市場体制(契約制・包括労働市場)により、伝統的な一統制は次第に労働の分散化にみまわれ、社会散流化が生じたとし、労働の散流化は一統制の一層の危機に繋がり、社会不安を呼び起こしたと指摘、共産党の成立に至るまでの歴史的経過に簡潔に触れたのであった。

 1978年の改革開放政策、社会主義市場経済政策の下では、雇用にも一定の市場化、柔軟性が採用された。下放青年の帰還や大量の農民工排出など、都市部の若年労働者を吸収する受け皿に乏しかったため、雇用の柔軟化策を余儀なくされた。これにより労働者の散流化は一層進み、社会経済の進展に伴って企業への管理統制も緩和され、社会の結びつきが弱まったのである。1992年の一部国営企業の民営化による労働者の下崗(シャガン、一時解雇)分流はそのもう一つの起点になった。

 非正規労働者数は不明だが、2億人以上の人びとが縁辺に分散し、頻繁に移動している。分散・流動化は中国社会にとって脅威であり、歴史の教訓、西側諸国の経験などを踏まえた適切な対応が求められている。そには社会統合による成果を非正規労働者にも公正に共有させる必要がある(「整合-分享」モデル)。

 政府は、最低賃金引き上げ、職業紹介、社会保険加入など非正規労働者のための諸政策を強化すべきであるし、工会は、非正規労働者の組織化を進め、成果の配分を図り、社会の中核的組織として国の政策に関与し、労働者権益の最大化に力を傾注すべきだ。これにより、中国の国情に合致した「統合と共有」モデルを作ることが出来るとしたのであった。

 「縁辺化」や「社会的統合」など、世界的な研究動向と連動する部分もあったが、現代の「一統制」は春秋戦国時代から不変とする指摘が、ある意味、皮肉でなくなんとも新鮮に響いたことであった。だれかが、何のための革命だったのかと呟いた。もう一つの姜インさん(中国労働関係学院教授)の報告「中国労働者派遣の現状と法規則」は、拡大する派遣労働者は最大6000万人と推計され、労働契約法をかいくぐる処遇の不平等は、労働争議を多発させていると指摘。

 今後、低廉な労働力に依存していては持続可能な発展は望めない。労働契約法の改定草案が出され、職務制限、派遣元の政府許可制、同一価値同一賃金など派遣労働者の権利保護、罰則強化などが織り込まれたと説明した。しかし同時に、かりにそれが施行されても、経営者側はコスト増回避を求めてアウトソーシングなど別の手段を講じるのではないか。したがって多様なタイプの労使関係を包括的に考慮した対策が必要だと指摘した。今回もまた傾聴に値する報告を多く耳にし、有意義な知見の共有や対話を持つことが出来たと考える。

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 あえて問題点をあげるなら、個人参加の市民フォーラムの常で、近年、財政的な不安定を回避しがたいことであった。日本側が通訳費などのコストの大きな部分を負担してきたからである。そこで日本では主な労働団体の賛意を得て、物心両面の協力を仰ぐようになった。過日惜しくも急逝された草野忠義さん(連合総研理事長)の肝いりで、組織的な支援グループも立ち上がり、今回、連合総研に日本側の事務局を担当していただいた。

 来る2014年の第18回フォーラムは、ソウル開催、主題は「労使関係の両極化と持続可能な社会・経済」(仮)に決まった。本来であれば節目の20回目にあたるわけで、今後のフォーラムの在り方を深く検討するよい機会にもなるのではないか。

 これまで継続されたフォーラム開催には、実務を進める献身的な人びとのご尽力に負うところ大であった。幸運にも、フォーラム事務局は、フォーラム発足以前から藤沢初江さんという逸材を得ていた。差し出がましいことは書けないが、かつて彼女は国際石油化学労連(IFPCW)日本事務所で活動し、のちに初岡さんが初代所長を務めた国際郵便電信電話労連(PTTI)東京事務所で所長を補佐、国際的にも敏腕を振るわれた方である。

 今回フォーラムに彼女の姿はなかった。が、彼女の長年の功績をめでて、中国の実質的な代表者・白立文さん(現中国教科文衛体工会国際代表)や初岡昌一郎さんの発案で、出席者全員で暖かい拍手を贈ったのである。

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 ここでは、フォーラムの由来について語ることは避けよう。すでに本誌連載寄稿者である初岡昌一郎さんが詳しくしたためているからである(第22号、2005年)。ちなみに、立ち上げの頃からのメンバーで、今回北京フォーラムに参加したのはその初岡昌一郎さん(ソーシャル・アジア研究会代表、姫路独協大名誉教授)を始め、前島巌さん(東海大名誉教授)、山田陽一さん(日中技能者交流センター参与)、鈴木宏昌さん(早稲田大学名誉教授)、井上定彦さん(島根県立大学名誉教授)、そして筆者の6名であった。中国風に言えば第一世代ということになろうか。今回は日本から21名の参加者があり、加藤宣幸さん(『オルタ』代表)や薦田隆成さん(連合総研所長)、西原浩一郎さん(金属労協=JCM議長)、長谷川真一さん(日本ILO協議会専務理事)、小暮剛一さん(上海日本人学校理事長)といった面々も参加され、多士済々であった。

 結びに付言するなら、フォーラム開始2年前の1993年、初岡さんたちと開いていた月例研究会を正式に立ち上げ、名称も「ソーシャル・アジア研究会」とした経緯がある。当時、「ソーシャル・ヨーロッパ」構想が注目を集めていたのにあやかったもの。「ソーシャル・アジア・フォーラム」発足は、この月例研究会にもその淵源の一つをもっていることを記しておこう。そして、この月例研究会もまた、今日に至るまで、藤沢さんの献身的な働きなしには継続は困難だったのである。

 (筆者は元国際金属労連(IMF)地域代表・金属労協(JCM)顧問)


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