「ベテスタ奉仕女の家といずみ寮」

■随想 

「ベテスタ奉仕女の家といずみ寮」  高沢 英子

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 ヨハネの福音書5章の2節は「さて、エルサレムには、羊の門の近くに、
ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。」
という描写ではじまる。
 当時、ベテスダの池は,かきまわした水に浸かると、あらゆる難病や障
害が治る癒しの池と信じられ、まわりにはいつも病異や障害を持つ人たち
が大勢集まっていた、と。そして、ここでも、神の子イエスの劇的な力が
働く有様が、語られるのである。イエスにとって、否神にとって、癒しと
は本質的にどういうことなのか、が、ひとつのエピソードを通じて簡潔に
語られる。38年間もそこで、一瞬でも、池の澱みに身を浸すことを願い
つづけながら、病いで動けない故に、果たせず、嘆きのうちに伏していた
1人の病者が、イエスの言葉で、起き上がって歩く。有り得ないまやかし、
と疑いの目で読み飛ばせば、それはそれでお終いである。

 しかし、心の奥底で、別の声を聞いてしまった者は、くりかえし、この
場面を読み、魂を揺さぶられ、あらためて信仰を問われる一事件として、
受け止めずにいられない。奇跡とは、本来そういう役目をはたすものなの
であろう。

 さて、この伝承の池の名を自分たちのグループの呼び名とした、ベテス
ダ奉仕女の家について、まだ殆ど知らない私が、その活動について、とや
かく説明することは到底出来ない。ただ、プロテスタントの女性信徒が志
願して献身し、社会救済に奉仕する共同の家、という大雑把な紹介だけで、
許して頂くしかないが、精神は、上記の、池の挿話を思い出していただけ
れば、あえて、説明する必要はないかもしれない。奉仕女たちは、もちろ
ん独身で、終生祈りと奉仕のみに身を捧げる誓いを立てた女性たちである。

 奉仕女という呼称は、ドイツ語のディアコニッセから来ているという。
1836年、ドイツの小さな谷あいの町、ブッパータールの1牧師フリート
ナーによって再興された。再興というのも、もとは、イエスが、苦しむ
人々に福音を説きつつ助けるため、弟子を遣わされたという事実に発し、
原始教会で、7人の奉仕者が選ばれた、という故事を重く感じ取り、再現
を試みた、といえるからである。

 1950年の始め、ドイツから初めて2名のディアコニッセが日本に派遣
され53年、これを知った一人の若い女性信徒が、日本のディアコニッセ
になろうと決心する。  一人の牧師がこれを助け、背後からの支援者を
募った。たちまち10人の信仰の友が申し出た。こうして、土地も家も衣
服も食べ物すらなく、仕事だけがある、というところから、ことは始めら
れた。「私たちにもできること」からはじめようと言うのが,そのこころ
であったと思う。そして今もそれはモットーとして働いている。
 それから五十有余年、ベテスダ奉仕女の家ができ、いずみ寮でき、かに
た婦人の家が出来た。児童のための茂呂塾保育所がその傘下に入り,児童園
も出来た。

 話は前後するが、この夏、三十年来の友人のパイプオルガニスト木田み
な子さんが、お弟子さんたちとつくっている「ユビラーテ奏楽者の会」が、
目白の聖書神学校の古いチャペル改築にあたり、それを惜しむパイプオル
ガンリサイタルを数度にわたって開かれた。私も幾度か足を運んだが、幸
い、最終回も聴きに行くことができた。終わってから、いっしょにお茶を
飲みに行き、私はみな子さんから、同席しておられた、同じ年頃の女性を
紹介された。彼女は木綿のグレイのワンピースに身を包み、同色の白いふ
ちどりのある帽子をかぶっていられた。高齢とはいえ、肌は若々しく、終
始微笑をたたえ、落ち着いた物腰のその人は、ベテスダ奉仕女のひとり、
細井陽子シュベスターと名乗られた。それが、私がベテスダ奉仕女の名を
聞く最初であった。

 彼女は、1954年、うら若い身で第2期の奉仕女となる決意を実行され、
今日に至っているという。みな子さんが、彼女の祈りの友として、長年支
援してこられたことも知った。私はその場で、自分も彼女の祈りの友とな
りたい、と志願し、受け入れられた。ささやかな支援金を捧げ、毎日背後
で彼女の働きを思い、祈るのである。
 例年九月二十三日をベテスダの日と決め一堂に集まることになっている。
今年は、それが、「いずみ寮」という場所で行われる、というので、私も
参加した。
 当日は曇っていたが、雨にはならなかった。

 西武池袋線の大泉学園駅から、さらにバスで20分,本通りから少し入
ったところに,質素だがしっかりした造りの奉仕女の家と隣接して、なか
なか規模の大きい「いずみ寮」がある。招待客は五十名ばかり、広場に面
した広いホールが会場で、志木市から駆けつけた木田みな子さんと、並ん
で座った。
 会場から、ガラス越しに、ヒマラヤスギの大木が亭々と枝を広げている
のが見えた。四十年前、軽井沢から、小さな苗をもってきて植えたのが、
こんなに大きくなったのだ、という。まだ、あたりに家があまり建て込ん
でいない頃は、遠くからでもよく見えたそうである。

 広いホールに、列席者が次々と集まる。バスの渋滞などで、11時開会の
予定が少し遅れた。賛美歌が歌われ、ヨハネの福音書8章が読み上げられ
た。史上有名な、姦淫の罪に問われて石打になるところだった女を、イエ
スが救う箇所である。
 続いて挨拶に立たれたのは、前述した、日本での奉仕第一志願者であり、
現ベテスダ奉仕女の家の理事長でもある天羽シュベスターで、飾らない態
度で、淡々とユーモアをまじえ、一年間の奉仕の経過を織り込んだ挨拶を
された。年齢を感じさせない力強さもあり、会場は、忽ちほのぼのした一
体感に包まれた。
 次いで、奉仕女とは別に、福祉の現場で働く、より若いいずみ寮長から
報告があった。私はいずみ寮というのが、売春防止法にもとづいて作られ
た法律によって、創立された、婦人保護施設であることを、始めて明確に
知ったのである。

 売春防止法ができて、今年で五十年という。今年のベテスダの会場に、
いずみ寮が選ばれたのは、それを記念してであるということだった。
 この防止法は、五十年間、一度も改正されていないらしい。ただ、それ
によって出来た上記の婦人保護施設の要保護対象者の適応範囲は、国によ
って、4回にわたって拡大された。防止法は、当然、刑事処分や補導処分
を伴うが、その対象は、あくまでも女性に限られ、買春者には何の咎めも
ないのは、五十年たった今も尚、同じであることも知った。

 寮長の報告の内容は衝撃的なものだった。現在35名の女性が入寮して
いて、平均年齢は47歳。だが、年々若くなってきている、というのであ
る。知的障害者と精神障害者が、延べ40名。D.Vいわゆる家庭内暴力に
よる人、16名、母子分離15名、なかに債務返済困難者、や、ホームレ
ス経験者も11名いるという。(数字は多分、1名でいろいろ重複してい
る人があるのだろう)ホームレスのひとたちは、入所前まで売春などで生
活していた、とのことだった。そして、近年性的暴力の被害者は激増して
いるという。

 イエスは、一人の女の罪を巡って,律法学者やパリサイ人と対決し、「あ
なた方のうちで、罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい」。とい
う。居合わせた男たちは、一人去り、二人去りして、ついには誰もいなく
なった、というあのエピソードをもう一度思い出す。世の事情はその頃か
ら一向に変わらないと見え、史上有名なイエスの言葉は、いまだに生きて
いるのである。

 報告のあと、寮生のひとたちと職員によるハンドベルの演奏があった。
奉仕女が仕立てた黒いロングスカートに白のブラウス姿で並んだ彼女た
ちは、心もち緊張に上気した表情でベルを握る。涼しい音がホールに広が
る。ボランティアの手によって、新しく寮歌も作られ、皆で合唱した。年
齢層はまちまちである。彼女たちが、どんな人生を送ってきたかは私の想
像にあまるに違いない。思うだに胸が詰まる話である。

 用意されたサンドゥイッチやハーブティーを頂きながら、交歓の時を持
つ。ともすれば、悲観的なことが、あれこれ頭を掠める。
 売春を公に認めていたら、民主主義の根幹は揺らいでしまう。しかし人
類始まって以来、売春の絶えたことなく、その歴史は長いのだ。公娼は無
くなっても、私娼は根絶できないだろう。この矛盾をどうするかは、永久
に解決できない問題ではないかと思う。売春組織を、公に認め、法の名の
下に制度化して保護し、言葉は適切ではないが、奨励し、育成するという
ようなことはあってはならない。そういう消極的なことで、終わらせては、
解決にならない。積極的に罰則を決めて取り締まっていても、行為自体の
悪は、金のやり取り以外踏み込めない領域であり、貧困と無智、女を人間
としてみる教育,買春した男性にも罰則適用の検討等も含め、解決への道
のりは遠い。

 他人の生活の便宜(または必要と言い換えてもいいが)のために,ひと一
人の人生が犠牲になる、という時代はもう終わりを告げた筈なのに、いま
だにそういう事実があとを絶たない、貧困が無くならない限り、暴力行為
が根絶されない限り、人間の欲望がコントロールされない限り、見通しは
決して明るいとはいえない。樋口一葉「にごりえ」の中に出てくる、お力
の歎きの独白「これが一生か、一生がこれか、」という叫びは、未だ絶え
ることはない。

 しかし、いずれの世界でも、悪は存在するから、女性ばかりを被害者の
ように言い立てることも、また道理に合わない。それに、男性は強く、女
性は弱い存在で、常に不利な立場にある、という立脚点からだけ、一方的
にものを言うのは、現代では、もうナンセンスに近いだろう。だが、それ
にしても、男女の格差、という段階以前の、男女の生まれもった違いを、
共同社会の中で明確にさせながら、どう宥和させていくか、というのは、
人間社会の永遠の課題に違いない。

 つい先日聞いた会話がある。あるひとに、その知り合いの女性が「うち
の高校生の娘が「未婚の母になってもいい」、って訊いたから、「いいんじ
ゃない」って云ったんですよ」とさらりと云った。「ご主人は何とおっし
ゃったの」と聞くと「駄目に決まってるだろ!ですって」といって笑った、
というのである。

 母親としては軽すぎるのではないか、と痛切に感じた。いまどきの女の
子、で笑って済ませられる問題だろうか。父親のように言下に否定するほ
うが、甘えた若者には受けるかもしれないが、真に理解ある態度を示した
いなら、もう少しじっくり話合ったほうがいいのではないか。少女が本気
で言っているとは思えないから、むしろ本気なら、まだいい。この場合、
話し合いのきっかけが欲しいだけかも知れない。しかし、母娘二人で、言
葉のキャッチボールを楽しむのもいいが、親なら、そんな阿呆なボールは
はずしてもらいたい。冗談にしても生まれてくる子供の人生をどう思って
いるのだろう、と腹が立った。その母親は、福祉の現場で、一応のキャリ
アをもって働いている女性なので、また聞きながら、少し、しこりが残っ
ている。

 恵まれた境遇にあって、軽やかにスタートしても、ひとたび失速してか
らでは遅い、ということを、大人は身を捨てて教えるべきであろう。親自
身の体面とか、利害とか、都合や、出来合いの倫理観、さらには虚勢の一
切を、頭から取り除けて、虚心になって若者の心に向き合うのは、意外に
難しい。言葉より、愛がたっぷり必要だから、かもしれない。  

 しかし、恵まれている若い人たちは、まともな生活は得がたい恵みだ、
ということを知る必要がある。謙虚に身を持し、小さなことを守る姿勢こ
そ、普通の生活では大切だということを、親も子も真面目に考えてほしい、
とつくづく思ったのである。

 さて、いずみ寮では、入寮者は、いま、外勤者と内勤者の二手に分かれ
て、日々仕事をしながら、社会復帰を目指している。外勤は主として公共
施設などの清掃に携わり、内勤は内職をしてきたが、内職の収入はいくら
頑張っても月、9,400円程度が限界で、外勤者との収入の差は大きかった。

 今年に入って、寮長の決断で、作業内容を大きく変え、織物による手仕
事や、小さなアクセサリーや、インテリア小物を作って売り、喫茶コーナ
ーに手作りクッキーなどを置くことにした。そして、内職はやめることに
した。

 寮生の目の輝きが違ってきた。寮長の企画は、人間を人間として、生か
すという基本的な道に則った賢い選択だった、と感心した。同時に、それ
に答えて、素直に、内なる自分を開花させはじめた寮生の人たちの、より
楽しく生きようと、懸命につとめる力にも感動した。

 別室の廊下などに作品が展示され、会が終わったあと、即売コーナーで、
参加者が品物を、あれこれ選ぶ姿があった。私もしっかりした織物製のペ
ンケースをひとつ買った。色合いもなかなかよい。大切に使おうと思う。

 ここで、スタッフとして勤務している人たちは、同じ女性が置かれた悲
惨な立場を、何とかして救いたいと、熱意と工夫で日々過ごしていられる
ように思われた

 すべての行事が終わり、寮内を案内する,ということで,細井シュべス
ターのあとに従った。ホールからいったん外に出て、広い園庭を横切って、
奥の棟に進む。「あれは、ドメステイク、バイオレンスの人がいる場所な
のです。」と説明があった。目を上げると、二階の部屋のベランダが、コ
ンクリートの目隠しを大きくとって中が見えないようになっている。「外
部から闖入されても、容易に踏み込めない構造になっているんです」とい
う。「ほんとに、ここに来る人は、みんな最初はひどく怯えているんです。
外へもめったに出ようとしない、やむをえず、出かけても、びくびくして
ましてねえ。暴力団関係の人が、乱入してきたこともありました」とシュ
べスターは語る。現代版「駆け込み寺」だが、役所の息がかかっているの
で、長くはいられない。「一定期間が過ぎると戻されることに・・・」と
シュベスターの声が曇る。現場の悲惨さは、役所の理屈とは裏腹に、不幸
そのものであろうと想像する。
 一人のスタッフが話してくれたことが、とりわけ深く印象に残った。
 彼女に子供が生まれたとき、周囲の人たちは、職場に子供を連れて行く
ことに反対だった。我が子と不幸な別れをした人や、生みたくても生めな
かった人が多い中に、赤ん坊を連れて行くことを、気遣ったという。寮長
が言った。「いいわよ。連れて来なさい」
 みんなが赤ん坊の周りに集まってきた。子供は大勢の女性に抱かれ,撫で
さすられ、彼女は以後、毎日のように職場に赤ん坊を連れてきて仕事をし
た。「ここで育ったようなものでした」「何百人という女の人たちに抱かれ
て、それはそれは大事にしてもらったんです」

 庭つづきのベテスダ奉仕女のシュベスターたちが共同生活をしている
家に案内された。境の開き戸は鍵がかかっている。「実は、何年か前、こ
こを通って表通りに出た脱走者がいまして、以来鍵をかけることに・・・」
とシュべスターが静かに言った。
 共同の居間からガラス越しに見える庭に、秋の草花が咲き乱れている。
小鳥が二羽,三羽と飛んできては、吊るされた鉢を盛んに啄ばんでいる。
楽しげなさえずりが聞こえる。
 「あの鉢には、何か実が残っているのですか」
 「もとは種が。でも今は、パン屑を入れてるんです」
 奉仕女は現在7名,皆すでに高齢である。当初26名だったのが、これ
だけに減ったのだという。「やめていった人も多いのです。人間関係は難
しい、共同生活にも、色々難しい問題があります、信仰の違いもある、や
はり人間は神とはちがいます」淡々としたその言葉に五十年の歳月の重み
がある。

 会には細井シュべスターの妹さんも参加された。榛名山の麓から、その
日朝早く出てこられたのである。104歳の姑を前年見送ったばかりとい
う。長年、奉仕に身を捧げた姉さんを支援してこられたが、大世帯の切り
盛りで、なかなか会えなかった。今年はようやく、介護から開放されて、
ということだったが、ご主人は健在で、いまだに何かと縛られて、思うま
まにはならないと、嘆じられる。明るく元気に振舞っておられたが、女の
悩みはなかなか尽きないものだ、と思って聴いた。

 ベテスダ奉仕女のシュべスターたちは、多くの社会的弱者の救済を目指
して、日夜心を砕き、なかでも、女性という性そのものの抱える不幸を、
背負った人々を支え、その人たちの問題に、よき解決が見出せるよう、で
きることからまず始め、その働きに身を捧げているのだ。

 そして、私が見た、いずみ寮では、スタッフたちも、たとえ信徒でなく
とも、人間的な愛と正義感にうながされ、社会の片隅で、不幸を背負い、
ともすれば忘れられ、押しつぶされそうな女性たちの、生きる手立てを捜
し求める助けになろうと,真っ直ぐな目で努力している。そのことを、彼
女たちすべての言葉の端々に、この日じかに感じることができた。

 これは、現場で働く全員が、同じ女性であることも、関連があると思う。
そして、世界中にいる奉仕女の、支援者となる「祈りの友」も、また規則
により、資格は女性に限られているのである。
                  (筆者は東京都大田区在住)
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