「ラ抜き、サ入れは関西起源か?」

臆子妄論

「ラ抜き、サ入れは関西起源か?」   西村 徹

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 言葉で気になることというと、いわゆるラ抜き、サ入れについてである。とい
うより、このラ抜きサ入れについての意見についてである。出れない、見れない、
食べれない。このラ抜きは言葉の省エネだから勢いとして戻らないだろう。今年
兵庫県の高校を卒業した孫によると、話す場合ラを抜くことはないがケータイで
メールのときはラを手抜きするという。手抜きがさらに進んでラとレと系列が同
じの音を並べるなど、近頃の早口だと、酔っ払って呂律がおかしくならないかぎ
り、いちいいラリってなどいられないということだろう。これも自然の勢いだ。
耐震偽装で鉄筋を抜くのとはわけがちがう。
 「言わせていただく」を「言わさせていただく」と、サ入れはラ抜きと逆に、
わざわざセと同系列のサを入れる。ラを抜いておいて何故こんどはサを入れるの
か。あくまでもしろうと考えだが、独立して「られる」という表現はないが「さ
せる」という表現はある。「食べさせる」というのもある。そんなこともはたらい
て「言わさせる」が出てきたのではないかと思う。どちらもあんまり自信はない。
勝手にそう思うだけである。


■サ入れにも功徳あり


 サ入れでもうひとつ気がついた。NHKで3月8日に放映された「京都きもの玉
手箱」でマリンバ奏者の若い女性が十二單を身に着けるところがあった。衣紋者
(エモンジャ)に着付けてもらうのだが、着付けが終わっての感想を述べるにあ
たり「着させていただいて」と言った。サ入れではあるが、この場合「着せてい
ただいて」だと、まるきり人形のようにあなた任せに聞こえる。サを入れると、
着せてもらうにせよ着る主体が感じられて、そのぶん心持ちセクシー「といって
はなんだが」凛とした内面が窺えるようで快かった。この際はサ入れが相応しい
ように思えた。サ入れにもそういう微妙な効果がありうる。

 ラ抜きもサ入れも、言葉は常に動いているのだから自然の勢いに委ねればよく、
規範主義は歴史教科書の検定同様よくないだろう。給食のおかげで若者の脚は竹
馬でも履いているかと思うほど伸び、そのぶん埋め合わせに面構えが小ぶりにな
った。みやげ物の鉛筆の先に付いたコケシの顔みたいになった。面構えが小さく
なったのは、あるいはカップ麺のような柔なものばかり食って缶ジュース飲んで、
あまり歯を使わなくなったからであろうか。昔は欠食児童もいたりして、柄は小
さくても根性が顔に出て、将棋の駒のような、下駄のような、存在感の確かな顔
が多かったように思う。頭の中身まで小ぶりになりさえしなければ、それはそれ
で結構とすべきであるのとおなじく言葉の移り変わりもそれはそれで結構とすべ
きであろう。若者のボカシ表現などというけれど、年配者が「~であると思う」
でよさそうなとき盛んに「~であるという風に思う」と言う。ボカシは若者にか
ぎってのことでもないだろう、という風に思う。


■ラ抜き、サ入れは関西起源???


 ラ抜き、サ入れはいずれも関西起源で、それが東にひろがったと、国語研究所
だったかの学者が朝日新聞に書いていて仰天したことがある。ラ抜きもサ入れも
関東起源だと私は思い込んでいた。ラ抜きは世代によるところも大きいようだが、
芥川か、あるいは漱石だったかの作中、ラ抜きに出くわしてある種の感慨を覚え
た記憶がある。芥川も漱石もちゃきちゃきの江戸っ子だ。違和感よりも江戸前の
歯切れのよさに関わるものという印象がかすかに残った。去る3月16日、ふと見
たテレビで林家木久蔵が鰹節を削って見せ、「削れたもの」と言った。関西では「削
ったもの」とは言うが「削られたもの」とは言わない。したがって「削れたもの」
もありえない。木久蔵師匠の「削れたもの」は「削られたもの」のラ抜きであろ
う。それはそれで歯切れよく極まっていた、というか嵌まっていた。師匠の江戸
前は歴とした正調であろうから、これはラ抜き関東起源説の有力証拠になるであ
ろう。

 サ入れもてっきり東京人に顕著な傾向だと考えていた。東京人で「言わさせて
いただく」と言う人は、すくなくとも三人はすぐさま固有名詞をあげることがで
きる。いずれもけっして若い人ではない。むしろ老境に入っている人たちであり、
高度の知識人である。そして東京生まれの東京人である。丸山真男のような大阪
生まれの東京人でもなく、森毅のような東京生まれの大阪人でもない。ワードの
文章校正にも(「着させる」にはなにも出ないのに)「言わさせる」は「サ入り」
として緑の波線が出るから正用法とはされていないらしい。したがって私はこれ
を標準語でなく東京方言として受け入れてきた。

 しかし「見せもの」は「見させもの」とは言わないし「聞かせどころ」は「聞
かさせどころ」とは言わない。「やらせ」も「やらさせ」とは言わない。「させる」
は「ささせる」だと意味が変わってしまう。サ入れが正用法でないことはたしか
だ。ところで寡聞にして「立たさせる」「座らさせる」を関西では聞いたことがな
いが東京ではいうのであろうか。もしいうのならばサ入れ関西起源説はいよいよ
怪しい。
 「やらさせ」などあるはずがないと思っていたところが、4月1日のサンデープ
ロジェクトで菅総務相は放送への政府介入を「やらサしてもらう」と言った。「や
らせてもらう」よりへりくだってかえってドスがきく。総務相は高校まで秋田、
その後東京の法政大学に進学、西の気はさらにない。これも関西起源説の有力反
証になるだろう。

 サはことによると正負いずれにも隠微にはたらく強調の助辞かもしれない。「言
わさせていただく」は「言わせていただく」よりも、へりくだると見せて逆に自
分を強く押し出すところがある。自己主張という意味では「着させていただく」
と働きはおなじだが、「言わさせ」はささくれて鼻につくこともある。本人にその
気はないのかもしれないし東京の人はなんとも感じないかもしれないが、聞き慣
れない者には耳に障る。ときには刺さる。バカとアホが東と西では刺激の強さが
逆になるようなものかもしれないから強ちには言えないが、私としてはサ入れ関
東起源説を依然として引っ込める気にはなれない。


■放送局の日本語


 東京方言といえば、カタカナ語の発音で、アナウンサーなどがとにかくなんで
も第一音節にアクセントを置くのも東京方言だろうと私は受け取ってきた。方言
がいけないなどというつもりは毛頭ない。仙台に行くとシチズンはスツズンにな
って電信柱の広告までスツズンだと聞いた。英米人にはスツズンだとかぎりなく
原音に近く、シチズンだとかぎりなく原音から遠くて、なにを言っているのか見
当もつかないらしい。方言も捨てたものではない。
 
 東京の人はオフィシャルでもミュージシャンでも第一音節にアクセントをつけ
る。関西風に第二音節にアクセントをつけるようにアナウンサーなどが気配りし
てくれると英語教師は後始末に費やす苦労が省かれる。そんなになんでも第一音
節アクセントが好きならば、カレーライスは加齢ライスでなくて青酸カリのカリ
の要領で加里ライスといってくれればなお助かる。ライスカレーのときはちゃん
とカにアクセントが来るのだから。最近大阪地下鉄の梅田と難波で案内係があら
たに配置された。案内係でよさそうだがサービス・マネージャーという。マネー
ジャーは大阪では第二音節にアクセントが来て原音からはずれる。これはたぶん
東京だと原音どおりだろうと思う。イメージも東京は第一音節アクセントだから
原音どおりだろうが大阪は原音からはずれる。放送局がなるべく原音に沿って発
音してくれると二度手間が省かれてありがたいと思う。
 
 アナウンサーに文句を言うついでになるが、他所から来たアナウンサーで、ろ
くに大阪の地名を知らないのがいる。上六(ウエロク・上本町六丁目)をカミロ
クというのには魂消た。NHK大阪局の所在地はウエロクと目と鼻の隣村だ。近鉄
電車のターミナルで、百貨店(東京ではデパートとしか言わないらしい)もある。
歌舞伎の實川延若は屋号は河内屋だが、住まいは上本町だから客席からはしばし
ば「ウエホンマチ」と声がかかった。「カミホンマチ」では困るのだ。大阪の日本
橋はニッポンバシでニホンバシではないが、東風に圧倒されて次第にニホンバシ
がひろがっている。荷風が秋葉原を「アキバハラ」でなく「アキハバラ」、高田の
馬場を「タカタノババ」でなく「タカダノババ」などというのは鉄道省の田舎漢
のせいだと断腸亭日乗に記している。こちらは放送局の鈍珍漢のせいだというこ
とになる。
 
 調査の方法や調査に関わった人の出身地によって大きくバイアスがかかるであ
ろう、毒にもクスリにもならないラ抜き、サ入れ研究をするよりも、もっと学者
の手で論評を加えてほしいと思う日本語がある。
          (筆者は大阪女子大学名誉教授)
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