【コラム】槿と桜(34)

「先生様」と「さようなら」

延 恩株


 「弊社の社長が明日お越しになります
 「お父様が私(嫁)からの誕生日プレゼントをお受け取りになって「ありがとう」とおっしゃいました

 いきなりですが、ゴチック部分の日本語をこの場面で使ったらどうでしょうか。「日本語がわかっていない」「教養がない」と烙印を押されてしまうと思います。とはいえ私などもこの手の間違いはそう珍しくないのですが。

 ところが韓国ではこの二つの表現は誰も文句のつけようのない、ごく自然体の表現なのです。ここには韓国と日本の「敬語」に対する考え方の違いがあります。

 韓国では日本と同様に尊敬語や丁寧語の表現が少なくありません。そのため時にはどう表現にしようかと私も迷うことがあります。そして尊敬語に関しては、冒頭の文例でおわかりのように、日本語とはかなり大きな違いがあります。私が今でも韓国語と日本語がごっちゃになって、言い間違いをするのはそのためです。

 先ず、韓日の尊敬語の使い方の違いをはっきりさせるために、冒頭の文を日本語として違和感のない表現にすれば、次のようになるでしょうか。

 「弊社の社長が明日お越しになります参ります」
 「お父様父が私(嫁)からの誕生日プレゼントをお受け取りになって受け取って「ありがとう」とおっしゃいました言いました」

 この違いは韓国語は「絶対敬語」、日本語は「相対敬語」を使っているからなのです。
 「絶対」とは、〝比べるものがない〟意ですから、「絶対敬語」とは、上下関係で上位の人(年齢、組織、親子など)のことを話題にする場合、話している相手が誰であっても尊敬語を使うという意味になります。

 一方「相対」とは、〝比べるものがあり、両者が関わり合う〟意ですから、「相対敬語」とは、上下関係で自分にとって上位の人のことを話題にしても、話している相手が誰かによって尊敬語ではなく謙譲語など他の敬語をつかうという意味になります。

 つまり韓国では、たとえ親のことであっても、話し相手にその行為を説明する場合には、冒頭のように「お受け取りになって」「おっしゃいました」という表現になります。日本語では、直接話している相手の存在を念頭に置いて、たとえ自分にとって上位の人物(両親や上司など)のことを話題にしても謙譲語を使い、自分側を低めて、へりくだった表現になるわけです。

 日本語の敬語は常に話し相手を意識しながら使い分けますから、外国人の私には長年、日本で生活しているにもかかわらず本当に難物です。韓国語の敬語用法は日本の方には奇異に映るかもしれませんが、慣れてしまえば日本語の敬語用法より単純だと思います。直接話している相手や「その場」は考えずに、話題となっている人物が尊敬語を使うべき対象であれば、すべて尊敬語でいいのですから。

 「相対敬語」と「絶対敬語」の違いは、尊敬語を使う際に「自分」と「話し相手」と「話題にした人」の重きの置き方の違いということになるのでしょう。韓国の尊敬語では「自分」と「話題にした人」との〝上下関係〟を重く見ます。日本の尊敬語では「自分」と「話し相手」に重きが置かれ、「話題にした人」が「自分」より上位者であっても「話し相手」が重んじられ、上下関係より〝横の関係(あるいは内と外の関係)〟が重んじられると言っていいかもしれません。

 こうした〝上下関係〟を重んじる韓国には、「○○선생님」(○○ソンセンニム)という呼称があります。「선생」(ソンセン)は「先生」の意味で、「님」(ニム)は「様」です。ですから直訳すると「先生様」となります。日本でこのように呼びかけることはほとんどありませんし、むしろ〝変な表現〟になってしまいます。

 でも韓国では、学校の先生を呼ぶ場合には、「○○先生様」となります。会社でも上司から「○○課長」と役職名だけで呼ばれることはあっても、下位の者から上司を役職名だけで呼ぶことはまずありません。やはり「○○部長様」となります。学校では「先生様(ソンセンニム)」で一つの単語のようになってしまっています。これに関連しますが、大学の先生を呼ぶ場合は「○○教授様」となります。書面上などでも「○○教授様」とするのが一般的で、「○○先生様」と書くことはほとんどないだけでなく、相手がたとえ「准教授」であっても「○○教授様」とします。ですから私も今の職場では「准教授」ですが、韓国の留学生からは「延教授様」と呼びかけられますし、韓国からの郵便物やメールでは「教授様」と記されています。

 日本ではこの「先生」という呼称は、学校関係以外では病院関係、法曹界など特殊な知識や技能を持った人に使われるようです。もっとも国会議員などにも使われているようで、これは例外なのでしょうか。

 一方、韓国での「先生」は日本とは違って、初対面で目上の人や年齢が上の人、さらには身分や職業がわからない人にも「先生」が使われます。商業店でのお客様に対しても「先生」と呼びかけることが少なくありません。

 韓国語の「先生」は日本語の「先生」の意味より中国語の「先生」(シエンション)の意味に近く、日本語にすれば「~さん」に当たる用法でしょう。

 日本で「先生」に「様」をつけると奇異な感じになるわけですが、その一方で韓国語の「先生様」には先生を敬う気持ちが込められていることはおわかりいただけたのではないでしょうか。

 そこでこの「様」について日本語を少し追いかけてみますと、韓国語の「先生様」と同様の表現があることに気づかされます。たとえば、次のような言い方を奇異に感じる日本の方はいないと思います。

 「お月様」「お日様」「神様」「仏様」「雷様」「お父様」「叔母様」

 どれも対象に「畏敬、脅威、尊敬」といった感情が込められているからこそ、「様」がつけられていることがわかります。実はこれらの単語は韓国語でも「様」をつけて使われるのが一般的なのです。
 「先生様(선생님)」は日本語として奇異に映っても、日本語でも上述の単語のように「様」をつけて使い、ごく自然で誰も違和感を抱くことはありません。つまり日本語と韓国語の「様」の用法は「畏敬、脅威、尊敬」といった、対象物を上位に置いた、同じ情緒や感情から生まれた表現であることがわかります。

 そのほか韓国では相手が目上の場合、あるいはあまり親しくなかったり初対面の人に使う呼称があります。それは「씨(シ)」で、漢字では「氏」になります。日本でも「氏」は使いますが、少なくとも相手への呼びかけとして使うことはないようです。
 日本語の「~さん」に当たる「씨(シ)」ですが、苗字だけで使われることはなく、フルネームのあとに「シ」つけて呼びかけます。また日本と同じように新聞やテレビなどではフルネームのあとに「シ」をつけるのが一般的です。ただ親しい目上の人には苗字を省いて、名前のあとに「シ」をつけて呼びかけることもあります。ただ最近ではこの「씨(シ)」に代わって「님(ニム)」、つまり「様」が使われるようになってきています。

 ちょっと余計なことですが、韓国では苗字だけで相手を呼ぶことはほとんどしません。日本と比べて苗字が極端に少なく、同姓の人がたくさんいるからです。そのためフルネームで呼びかけ、書面でもフルネームで書きます。

 漢字で表記すれば「先生」「様」「氏」ですが、韓日両国で用い方や意味が少しずつ違っています。ただ対象となる相手に失礼にならないようにという原則的な精神は同じだと言えそうです。

 ところで挨拶言葉でよく使う「さようなら」ですが、これも日本語表現とは大きく異なる場合があります。たとえば他人のお宅を訪問して帰るときなどがその典型です。送り出す人(家人)と帰る人(お客)とで、「さようなら」表現が異なるのです。
 「アンニョンヒ・ケセヨ(안녕히 계세요)」はお客が言う「さようなら」です。そして「アンニョンヒ・カセヨ(안녕히 가세요)」は家人が言う「さようなら」です。

 お客の「さようなら」を説明しますと、「アンニョン」は漢字では「安寧」で、「安らかで平和」という意味です。「ケセヨ(계세요)」は「ケシダ(계시다)居る」の敬語表現で、「いらっしゃる」の意味ですが、これは丁寧な命令形なのです。ですから直訳しますと「安寧にしていてください」となります。
 家人の言葉の「カセヨ(가세요)」も「カダ(가다)行く」の基本形で、これまた丁寧な命令形です。直訳すれば「安寧に行ってください」となります。

 韓国語には丁寧な命令形表現がごく当たり前に出てきます。ですから「さようなら」が立場によって表現は異なりながら、どちらも丁寧な命令形になるのは決して不自然ではありません。ちなみに外出先でお互いが「さようなら」と言う場合は、それぞれ「カセヨ」を使いますから「行きなさい」という意味になります。

 日本では「さようなら」には「さようなら」で応じればいいわけで、立場の違いで表現が変わるということはありません。そのため日本語から見ると韓国語の「さようなら」は奇異に映るかもしれません。でも日本でも分かれる際に「さようなら」の代わりに「お気をつけてお帰りください」「気をつけて帰ってね」などと丁寧な命令口調で言うことも珍しくありません。韓日の別れの表現にはどちらも相手の無事を祈りつつ別れていく気持ちが込められているようです。

 (大妻女子大学准教授)

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