【沖縄の地鳴り】

「勝利の方程式」の破綻

大山 哲

 翁長雄志知事の死去に伴う、9月30日の沖縄県知事選挙。「オール沖縄」の玉城デニー候補(58)が、自民・公明・維新などが推薦する佐喜真淳候補(54)に約8万票の大差をつけて当選した。
 選挙期間、一部のメディアの世論調査で「玉城リード」「互角」と報じられたが、これだけの票差になるとは、だれも予測できなかった。選挙独特の喧噪にかまけて、大方は大接戦を演じるとの下馬評だった。

 では、なぜ玉城の一方的勝利になったのか。選挙を終えて、冷静にその要因を分析したら、理由は明確であり、謎は解けた気がした。

 強硬な政治権力に対抗して、「辺野古に基地は絶対つくらせない」と、揺らぎない信念と決意を貫き通した翁長知事。就任以来、政府と対峙する過程で、事あるたびに発した言葉の数々は、ずしりと響くものがあった。
 「ウチナー ウシエーテー ナイビランドー!」<沖縄をないがしろにしてはいけない>
 「政治の堕落」などに象徴される発信は、広く県民の琴線に触れ、共感を呼んでいた。ひいては、民主主義と自治の根幹とは何か、を問うていたのだ。だから、知事選の「弔い」の意味が一層高まった所以であろう。

 玉城デニーは「翁長の遺志を継ぐ」と前面に打ち出した。それに玉城は持ち前の明るいキャラクター、さわやかな弁舌、庶民目線のイメージで、圧倒的に無党派や女性票を獲得した。
 翁長知事のへの弔いと、デニーカラーが結合して、うねりとなり、雪崩現象を起こした。圧勝の最大の要因は、それに尽きるのではないか。

 翁長知事の再選を目指す沖縄県知事選挙は、当初11月18日の予定だった。しかし、8月8日の知事の急逝で、事態は急変した。3か月以上も知事選は前倒しとなり、オール沖縄は振り出しからの人選に大揺れした。
 知事選の前哨戦に位置づけた2月4日の名護市長選。辺野古反対を主張する現職の稲嶺進市長が、思わぬ敗戦を喫し、オール沖縄は大きなダメージを受けた。しかも、陣営から有力企業グループの脱退が出るなど、暗雲がたれこめ、分解寸前の様相さえ呈していた。
 相手陣営が早々に候補者を擁立し、先行しているのに対し、オール沖縄は、4人から1本化ができず、告示日が切迫する中で、敗北ムードまで漂っていた。

 こんなピンチ状態に、思わぬ光明が差し込んだのだ。翁長知事が、死の直前に、後継者として、玉城デニーを名指しした音声があることが、8月18日、側近から公表された。「この手もあったのか」。一瞬にして状況は180度展開した。
 オール沖縄の候補者人選で、玉城は全く登場していなかったが、急転直下「勝つには玉城しかいない」と、殆ど異論もなく、決着した。
 翁長知事が陣営内の誰もが想定していなかった玉城を名指しししたことは驚嘆に値する。「イデオロギーよりアイデンティテイ」「辺野古に基地は造らせない」を体現するのは玉城に譲るしかない。長年、保守政治家として培ってきた嗅覚、先見の鋭さを感じさせる一幕である。

 「辺野古が唯一の選択肢」を推進するには、沖縄県知事の座を奪還すること。政府・与党にとって、絶対に負けられない一戦と位置づけられた。中央から鳴物入りで大物政治家を続々と送り込んだ。これを受けて、佐喜真候補は「対立から対話へ」をスローガンに、専ら中央とのパイプの太さを誇示して見せた。
 自民党と共闘を組んだ公明党も相次いで党幹部を張り付け、一説には他府県から派遣された約5,000人の創価学会の運動員が人海戦術を展開した、というのである。
 政府が辺野古建設を進めているにも拘らず、佐喜真候補は最後まで一切、辺野古には触れなかった。「国の専権事項」「SACO合意が原点」「裁判を見守る」などと、最大の争点をはぐらかした。

 この選挙戦術は、さる2月の名護市長選では効を奏していた。絶対に強いと見られた稲嶺進市長を物量作戦で破ったのだ。これを「勝利の方程式」と唱え、そっくり知事選挙にも持ち込んだ。
 選挙の結果、明らかになったのは、名護方式は知事選には通用せず、ことごとく裏目に出たことだ。政府。与党政治家の大量投入は、辺野古建設を強行する国権の誇示の二重写しに見られた。佐喜真候補が、まったく辺野古に触れなかったのは、争点隠しの不誠実な態度だ、と選挙民から反発されたのも事実である。
 公明党は、かつてない規模で、組織ぐるみの人海戦術を展開した、と言われた。しかし、蓋を開けたら、運動は上滑りで、下部まで浸透していなかった。公明票の約3割が玉城に流れた、との出口調査の結果が出ているのだ。

 政府・与党が期待した「勝利の方程式」は、厳然たる県民の審判によって破綻が明らかになった。
 民意は再び「辺野古 NO」を選択した。玉城新知事の前途には、翁長前知事が残した諸施策はじめ、さまざまな課題が山積している。
 当面、最大の焦点は、辺野古埋立承認の撤回をめぐる国との対応である。玉城新知事は、早くも「撤回は公有水面埋立法に基づく判断。これを守れないのは民主主義国家、法治国家とは言えない」と、政府にけん制球を投げ、対話を求めている。

 対する菅官房長官は「選挙の結果を厳粛に受け止める」としつつも、「辺野古建設の方針は変わらない」と、暗に工事再開を匂わせる。
 再び国と県の間で、法廷闘争になれば、代執行はじめ、あらゆる国権の発動が想定される。県の権限として、法的な最終手段が「撤回」なら、真正面から国と対決するほかはない。

 言うまでもなく、翁長―玉城県政が辺野古反対を堅持できるのは、キャンプ・シュワーブ前での座り込み行動、海上カヌー隊の阻止行動の支えがあってのこと。これほど息の長い反基地闘争は、類例を見ないのではないか。
 玉城デニーという、まったく新しいタイプの知事の登場。新時代をどう切り開いていくか、注目していきたい。

 (元沖縄タイムス編集局長)

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