■書評「勝者と敗者の近現代史」(河上 民雄著)

          (かまくら春秋社・1.800円)    
   前島 巖
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  河上民雄・東海大学名誉教授の最新著書が1ヶ月前(2007年10月)に出版された。政治学者であり、また政治家でもあった著者の後世へ残す遺言ともとれる、心をうつ好書である。「再び愚かな祖先とならないために」と、新著の意図を韓国の張俊河(チャン ジュナ)の自叙伝からの言葉を引用して著者は述べているが、学者・政治家としての著者の歴史認識と反省は、同じく「はじめに」で述べているように「歴史は、つねに選択肢の積み重ねであって、甲という選択肢をとると乙の選択肢が持っていたはずの可能性が全部消えてしまう。後から乙をとろうとすると大変なエネルギーが要るのである。」という点にあろう。そのような立場から日本の近現代史、すなわち明治維新から著者
自身が現実政治家としても活躍した55年体制までを振り返り、その折々の時点で大きな影響力を持った人々の思想と行動を振り返り、反省をこめて比較検討しているのが本書である。

 著者はすでに1950年台の始めから若き政治学者として、コール『イギリス労働運動史』の翻訳などで活躍していたが、同時に日本社会党委員長であった父・河上丈太郎氏の政策秘書・ゴーストライターとしても活躍した。その後67年から90年までは自らも7期20年にわたって兵庫1区選出の衆議院議員として活躍、外務委員会理事などを務めた。日本社会党の國際局長や教育文化局長も務めたが90年に政界を引退した。学者としては66年から96年まで東海大学政経学部教授、そのあと名誉教授。そして98年からは聖学院大学大学院客員教授として教壇に立っている。この間に『現代政治家の条件』(春秋社、1968)、『政治と人間像』(人間の科学社、1975)、『社会党の外交』(サイマル出版会、1994)などの著書を著している。

 本書は聖学院大学大学院の「日本政治政策研究」という講座の中で著者が行った講義を基にして書かれたものである。構成は以下のようになっている。
   第1章  忘れられた徳川慶喜の近代化構想
   第2章  勝海舟と福沢諭吉-そのアジア観と文明論の対比
   第3章  伊藤博文と憲法義解
   第4章  山県有朋と原敬
   第5章  近衛文麿と石橋湛山
   第6章  満州の夢と幻想-石原莞爾と岸信介
   第7章  1945年体験-無条件降伏へ
   第8章  マッカーサー元帥と昭和天皇
   第9章  占領と民主化
   第10章 55年体制-自民党と社会党
        おわりに-20世紀とは何であったか

 巻末に資料として戦後衆議院選挙議席数の推移が表示されている。
 各章とも人物の紹介からエピソードにいたるまで、原典を踏まえながらも読み物としても平易かつ面白く書かれている。一般にはあまり知られていない政治の裏面史のような部分も随所に紹介されており、改めて「そうだったのか!」と歴史を再認識する部分も多い。また日本人は近隣諸国との関係についても、近・現代史をあまりにも知らないと、時に非難されることもあるが、そのような批難を受けないためにも、そしてそれ以上に日本が明治維新以後歩んできた歴史をもう一度振り返り、今後の政治決断の参考にするためにも、本書は是非一読すべき価値のある良い書物である。多くの人々が読まれることを切に希望するものである。

 歴史に「もし・・・」は無いとされるけれども、「もしあの時、別の決定がなされていたならば・・・」と考えざるを得ない歴史的場面が10章にわたって紹介されている。
  ただ本書は「勝者と敗者の近現代史」とされ、読者を強く引きつけるタイトルになっており、その時々の一応の勝者・敗者の思想や行動を知るのに大変優れた書物であるが、実は歴史の真の勝者も敗者も民衆(国民)であって、一部の支配者や政治家ではない。支配者や一部の政治家の思想や行動は民衆の幸・不幸に大きな関係があるが、歴史はそうした個人の思想や行動を越える大きな動きであることも事実である。この点で歴史を一部の支配者や政治家の思想や行動と結びつけるのには限界があるのではなかろうか。彼らとて時代の申し子であることは否定できないし、歴史には個人の思想や行動を越えた大きなダイナミズムがあり(M・ヴェーバーの合理性か、K・マルクスの唯物史観かはさておき)、巨視的な歴史の流れの中で、支配者や政治家の思想や行動を捉える必要がある。その意味で支配者や政治家の思想や行動は、その時代の経済・社会の動きと切り離せないのであって、大きな経済・社会の動きの中で捉える必
要があるのではなかろうか。歴史における政治指導者個人の役割をどのように捉えるかの問題である。 
  最後にもう一つ、著者の政治家としての歴史的「日本像」もどこかではっきり示してほしかったと思ったのは、学者としての著者への無理な要求であろうか。(以上)

          (評者は東海大学名誉教授)

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