「回想のライブラリー」(2)

■回想のライブラリー(2)     初岡 昌一郎

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今春3月に貴島正道さんの米寿の祝いが、三鷹駅北口のYWCA会館で行わ

れた。これは東チモールを支援する運動を貴島さんと一緒にやってきた若い人

たちの手によるものであった。コーヒーとケーキだけのつましい会合だったが、

心温まるよい会合だった。

貴島さんは長い間、地元での菅直人後援会長だったので、管さんもみえたし、

夫人は世話役の一人として会を切り盛りしていた。他に、江田五月さんと岡崎

トミ子さんの両参議院議員も姿をみせた。江田さんや菅さんは、貴島さんが江

田三郎と共に社会党を離れ、社市連(社民連の前身)を結成して以来の仲であ

るし、岡崎さんは東チモールに熱心にかかわってきた同志である。

あまり知己の多くない会合だったので会場の隅の方に座っていると、長身を

例のダスターコートで包み、相変わらずボサボサの髪をした松下圭一さんが開

会直前に姿を現した。先生も誰か知った顔はと会場をみまわしているようなの

で、手を振ると「ヨー」と隣にやってきて腰を降ろした。久しぶりだがあまり

お変わりはなく、70代後半に入っているはずなのに若々しい。

松下さんに初めて出逢ったのは、私がまだ大学3年生で、関東大学社会科学

研究会連盟(社研連)書記長をしていた頃だった。

東大生だった松下圭一は東大新聞編集長としてならしていたのだが、卒業後

は「大衆社会論」によって華々しく論壇にデビューした。1956年11月の『思

想』に「大衆国家の成立とその問題性」を発表して注目された後は、その翌年

『中央公論』を舞台に大衆社会論争の火をつけた。松下圭一のこの頃の著作は

『現代政治の条件』(中央公論社、1959年)と『市民政治理論の形成』(岩波

書店、1959年)に集大成されている。松下さんは後年その関心の重点を地方

自治に移していくのだが、一番強烈なインパクトを私が受けたのは、大学時代

に読んだ初期の著作だった。

マルクス主義の索漠とした基底体制還元論と経済分析中心主義には満足できな

くなっていた私たちにとって、民主主義の確立がもたらす可能性と社会的な諸

変化を論じた視点はまことに新鮮だった。

同じような問題意識から、その約半年後に同じく『思想』(1957年7月号)

に発表された佐藤昇の「現段階の民主主義」にも雷にうたれたようなショック

を受けた。今から思うと、当時は遠慮のない行動派だった。編集部に電話を入

れ、住所を聞き出すとすぐに筆者をその居宅に訪問した。松下さんの場合も、

佐藤さんの時もそうだった。

プライバシーの保護という観点からして、編集者が一読者からの問い合わせに

筆者の住所を教えるとは今日では考えられないだろう。加藤宣幸さんなどを案

内しながら初めて訪ねていった松下さんの下宿は西荻窪のしもたやの2階で、

万年床が敷きっぱなしだった。この布団をまくって座るところを作ってくれた

情景が昨日のことのようにまぶたに浮かぶ。

このあたりのことを貴島さんは、その『構造改革派-その過去と未来』(現

代の理論社、1979年)の中で、次のように書いている。少し長いが、引用さ

せてもらう。

「まあ松下の話もいっぺんは聞こう」と虎ノ門、霞会館の一室でヒアリン

グを受けたのが最初の出会い。大学の教授(正式にはまだ助教授)、まだ学

生気分の抜け切れないお坊ちゃんだったのにびっくりした。話の方も難解だ

ったが、書物よりわかり易く大筋が理解できた。松下は自らの政治学の検証

のためか、それ以来、政治の現場にいる私たちと積極的に交際し、夜の付き

合いも欠かさなかった。

私はこの頃は酒は一切飲まなかったし、貴島さん、加藤宣幸さん、森永栄悦

さん等当時の社会党構改派の中心的メンバーとは一回り以上歳も違う学生だ

ったので、夜の付き合いは一度もしたことはない。

佐藤昇さんについては別の機会に書きたいが、私は当時佐藤さんの弟子をも

って任じていた。佐藤さんの居宅のある豊島区要町には通いつめ、奥さんには

よく夕食をご馳走になっていた。

 

ここでまた、貴島さんの前掲書から少し引用する。

「さて私たちグループはいよいよ多少組織だった研究会の計画に進むよ

うになる。さいわい東洋交通の西村勇夫社長(すでに死亡)が古い社会党

のシンパで、とくに加藤勘十や江田三郎と親交があり、四谷にある会社の

建物の一室を夜だけ貸してくれることに話がつく。

加藤宣幸が総マネージャー格で、大学を卒業して浪人中の初岡が一万円の小遣

銭で事務連絡係。いろいろな人を呼んでヒアリングを受けたり、研究討論する

計画だが「メンバーは佐藤、松下を中心にしよう」そして「二人の推薦する人

を集めれば間違いない」ということでとこ話は決まった。

 

社共をマタがって10人ばかりの学者がここで集まることになった。この研

究会は2年弱続いたと思う。そのメンバーの中で特に印象に残っているのが、

後に共産党副委員長となった上田耕一郎である。

2、3年前に、代々木の共産党本部を初めて訪問し、上田さんに私が座長とな

ってここ10年以上東京で続けている「ソーシャル・アジア研究会」で話しても

らったのは、この頃の縁があったからだ。

上田さんはわずか1時間ばかりの講演で、メンバーが20人足らずの研究会にも

かかわらず、準備を万全にし、資料を多く持ち込んで話をしてくれたのは恐れ

入った。これは昔とかわらない。

 

閑話休題として、ここでまた最近のことに話を戻し、第2回のこの欄を閉じ

たい。というのは、今日インドネシアに向かうので時計をみながらこの原稿を

書いているからだ。

加藤さんに貴島さんの会で松下さんに会ったことを話した後に、松下さんと

久しぶりにイッパイやろうということになった。これが実現したのが、去る7

月1日。新宿に集まったのは、松下さん、加藤さんの外に、生活クラブ生協の

創始者の岩根雄さん、元社会党機関紙局の工藤邦彦さんと私の5人。大いに話

は盛り上がった。話題はやはり松下さんと岩根さんがリードし、工藤さん他が

これに加わるという展開だった。

松下さんの近刊『戦後政党の発想と文脈』(東大出版会、2004年)はまだ私

の机の上に積んである。17年前には、大学に行ったら本を読もうと考えていた

が、今は大学を辞めたら本を読もうと考えている。大学というところは意外に

本を読む時間がないというのが、昨今の実感だ。

              

                            (筆者は姫路独協大学教授・外国語学部長)