「国際医療交流」をはき違えていないか?

【コラム】風と土のカルテ(11)

「国際医療交流」をはき違えていないか?

色平 哲郎(いろひらてつろう)


 医療が産業の国際競争力強化のメニューに組み込まれて久しい。たとえば、内閣府の地域活性化総合特区として、「りんくうタウン・泉佐野市域」の国際医療交流の拠点づくりが入っている(官邸ホームページ参照)。

 世界と直結した関西国際空港の目の前という地域特性を生かして、国際的な医療拠点を築く構想だという。しかしその政策課題の柱の一つとして「海外の動物(ペット)の診療などを積極的に展開するための環境整備が必要」と掲げ、「国際交流を通じた高度獣医療機能の強化」を打ち出しているのには開いた口がふさがらない。貴重な日本の医療資源を誰のため、何のために投じるつもりなのか。

 大阪府は貧富の格差が大きく、公的医療保険の保険料を払いたくても払えず、「無保険状態」に陥った人が少なくない。そうした状況を差し置いて、公費を海外の富裕層を呼び込むためのペットの診療に振り向けるとしたら、悲劇を通り越して喜劇になるだろう。大阪府の人は、もっと怒らなくてはなるまい。

 地域医療の現場に携わっていると、成長戦略の目玉よりも、医療者と医療者が地道に循環する「国際医療交流」が必要だと感じる。先駆的な例はある。愛知県日進市のアジア保健研修所(AHI) もそのひとつ。

 AHIは、アジア各地の村々で活動する現地の保健ワーカーを育成しているNGOだ。創設者の外科医、川原啓美先生は、1976年にボランティアでネパールの病院に勤務していたときに保健ワーカーの養成の必要性を痛感した。

 ある日、20代の若い女性が家族と病院に来た。右膝が皮膚がんに冒されており、脚を切断しなければならない、と告げると彼女は、こう答えたという。

 「私が死ぬのは悲しいことです。しかし私が死ねば、私の夫は次の妻をもらうことができます。そしてその健康な新しい妻は私の子どもたちの世話をし、夫を助けて働くことができます。でも、私が脚を切って何もすることができなくなったら、貧しい我が家は全滅するかもしれません」

 アジアの村々の人が健康を保つには、生活から改善しなくてはならない。そのための保健ワーカーの養成が必須だったのだ。健康を保つには最低限の「食料」が確保されていなくてはならない。1973年に栃木県那須塩原市に設立された学校法人アジア学院(ARI)も、広い意味での保健に携わる国際交流拠点。

 ここでは、毎年春から9カ月間、アジアやアフリカ、太平洋諸国の農村地域の「草の根」の農村指導者を学生として招き、那須塩原のキャンパスで有機農業による自給自足を基本とした研修を行っている。これまでに1200人の卒業生が、それぞれの国に帰って農業指導者としてリーダーシップを発揮している。

 世界は「金儲け」だけでつながっているわけではない。
           (筆者は佐久総合病院・医師)
  注この記事は日経メデイカル11月28日号から著者が加筆し転載したものです。


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