「天国と地獄の視察報告」

□「天国と地獄の視察報告」  早房 長信  

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「天国と地獄の視察報告」とその解説 私が垣間見た天国は、やはり芥川龍之介の「極楽」の世界でした。「極楽」 にも、時の流れはありました。教会に寄付をした貴族たちや、お寺から高い戒 名を買った善人たちで、極楽は今や過密の状態です。 (解説) 中世のヨーロッパでは、教会が「天国へ行く免罪符」を売って金儲けをしていました。ヤン・フス(チェコ人)や、マルチン・ルター(ドイツ人)がこのような腐敗した教会を改めようと宗教改革運動を起こしました。一 方、中世の日本では、大名たちが、領地を広げようと、武士や農民の命を犠牲にして戦争を繰り返していました。家来や領民の命を奪いながら、大名自らは極楽行きを求めて、寺院を建立して寄進し、盛大な法要を重ねました。このようなことが20世紀も続いたのです。その結果、天国(=極楽)も過密化しました。 「午前十時の太陽を!」「汚れた水の悪臭に妨げられない蓮の池の散策 を!」のデモが盛んです。   

芥川龍之介が描いた極楽は、私の記憶違いでなければ、午前十時の陽光の下を、お釈迦様が、花が芳(かぐわ)しく香る蓮他のほとりを散策してい   るところからはじまります。極楽が過密化したために、スモッグで「十時の陽光」は遮られ、水質汚染で蓮池は悪臭を放つようになりました。  一方、私のように、戒名不要、法事も不要、教会や寺院を「大事な文化財」しか認識しない不信人者は地獄行きです。地獄に落ちた人々は、色香に迷 い、恋に身を焼く毎日です。「どこに行けば飛び切りのご馳走にありつけるか?」 「感動的なオペラや芝居は、今日はどこで観ることができるのか?」と、煩悩 漬けの、身を苛む日々を送っています。

   地獄に落ちる庶民は、お金の力で天国や極楽を買う人たちや、庶民を戦場に駆り立てて、人の命を将棋の駒のように扱う政治家に比べれば、はるかに善良です。地獄ですから「身を焼き」「身を苛(さいな)む」暮らしを続けなければなりませんが、その内実は、むしろ大変幸せなものです。地   獄の鬼や悪魔も心得ています。

 地獄がすっかり過疎化してしまったので天空は晴れ渡り、かつての血の海は 今ではジュゴンが住む海です。陸地には芳しい緑の風さえ吹いています。天国とは逆の現象です。火の山の炎も、今ではディズニーシーの、あの山の頂から時々噴き出る 火炎の程度ですから、天空も晴れ渡ります烏 鬼に打たれる人もいませんから血は流れず、過疎化した海は、自然のバランスがとれて、美しい海になりました。  閑になった鬼や悪魔たちは、やむなくしぜんと対話し、数少ない住人を訪れ ては話し込む暮らしを続けるうちに、人情味豊かな、心やさひいお世話役になりました。新憲法の下で、「公務員は国民の公僕(国民に奉仕する人の意)」と定められました。 地方公務員や、中央官庁でも、末端の日々国民に接する公務員には公僕の姿勢がまだ生きています。しかし、中央官庁の役人たちは、いつの間にか国民に命令し、国民を支配する姿勢になりました。地獄では、公僕であることを忘れることがないようにと、鬼や悪魔たちは、はじめから「お世話役」の名を自(みずか)らにつけました。 「よろず文化担当お世話役詰所」の札が下がった小屋の前には、「やり過ぎ だ!」と書いたプラカードを手にした数人の住人が居りました。聞くと、心や さしい文化担当の青鬼が、「残酷に過ぎる」とオペラ・サロメの上演を禁じた のだそうです。

   「よろず文化担当お世話役詰所」、すなわち文部省、今の文化科学省です。サロメは、キリストが生きていた頃の、ユダヤの王の妃の連子です。大変にセクシイな娘で、ダンス(今で言うペリーダンス)を踊ると、この上なく魅惑的です。王はサロメに踊りを所望します。サロメは「踊れば自分の求めをなんでも叶えてくれますか?」と王に問います。王は「いいとも。」と答えます。踊り終えたサロメは、「ヨハネの首をください。」と王に求めます。ヨハネは王の地下牢に捕らえられている預言者です。城外で「王の治世は誤りである。」と説くヨハネを捕らえたものの、ヨハネの威厳は犯し難いもので、王はヨハネに恐れさえ抱いています。サロメの求めを聞いた王は驚きます。「沢山の宝石では…」と提案しますがサロメは「欲しいのはヨハネの首です。」と言って譲りません。王は「国を半分あげるから」と申し出ますがやはりだめです。サロメは、牢のヨハネに恋をしました。しかし、どう言い寄っても、どんな交換条件を出しても、ヨハネは振り向こうとさえしません。ヨハネへの募(つの)る思いが、サロメをして「ヨハネの首を存分に愛したい。」と切望させるに至らせたのです。やむなく王は家来に命じてヨハネの首を銀盆に載せてサロメに届けさせます。サロメは歓喜してヨハネに呼びかけ、ヨハネを愛撫しますが、ヨハネはやはりサロメに応えません。絶望したサロメは城外にさ迷い出ます。約束を果たした王は、ヨハネの祟りを恐れ、家来を遣わせてサロメを刺殺させました。

 途方に暮れている鬼と悪魔が居りました。足元のブッシュの陰に、なにやら ぐるぐる巻きにされた人間のようなものが転がっています。以前よく見た荷札 が付いています。読んでみると、達筆で「この者ばかりは受け入れ難い。そち らでご処置願いたい。天国」とありました。 見ると、ぐるぐる巻きは、なんとあの大統領! 悪事が過ぎると、「次期大統領選絶望」の臨死段階で、天国に送られることもあ るのだと知りました。   天国も地獄も、肉体的な死の後に、魂が送られる場所とされています。  

 ところが、この大統領は、「次期大統領選は絶望だ」という「政治的な 死」を前にして、早々と天国に送られました。自分を大統領にしてくれたスポンサーの石油産業と軍需産業のために、ありもしない大量破壊兵器があると偽りの主張をし、「非民主的独裁国家を潰すのだ。」と言って、イラクという独立国に攻め込み、占領しました。ひどい話です。その結果、万を超えるイラクの市民や、その何倍ものイラク兵が死に、アメリカの多くの青年たちも死にました。自分が大統領で居続けるためには、他人の命   などどうでもよいという考えです。  お金で天国や極楽を買おうとする人々は受け入れる度量を持つお釈迦様も、この種の悪人ばかりは受け入れられないと、処置を地獄に頼んできたのです。鬼や悪魔が「処置なしの大悪人」を前に途方に暮れていたというオチです。

 なお、「ブッシュ」には「茂み」の意味があり、途方に暮れる鬼と悪魔の 足元の茂みの陰に、ぐるぐる巻きのブッシュ大統領が転がされていたわけです。(完) □なんでも思うがままのはずの王が、約束を守る文化:  ここにサロメを採り上げた理由には、心やさしくなった鬼が「残酷である」と考えた例としてからだけではありません。日本では、一国の総理大臣が「公約 が全部守られなくても、当然でしょう。」と国会で開き直った答弁をし、勤務実 体がなく厚生年金に加入する資格がないのに加入していた自らの不正について 「会社いろいろ、社員いろいろ。」などと、あきれた答弁をします。それでも、 怒りの国民運動が起こるわけではありません。企業も平気で嘘を言い、また契 約を破ります。しかし、これが世界中どこでも同じだ、というわけではないの です。サロメのあらすじをお読みになって、「なんでも思うがままであるはずの 王が、義理の娘との約束を、なぜ『だめだ!』と一蹴して済ませなかったのだろう?」と思いませんでしたか。 この、王が苦しみながらも「約束を守ろうとする態度」は、古いユダヤ教から 生まれたキリスト教とイスラム教の文化圏では、作品の中でも、また実際の社会でも一般的なのです。約束を守らなかったときの社会的な非難は、日本では 考えられないほど厳しいものです。サロメの、王が義理の娘との約束を果たす場面に接するたびに、そのことを思い起こすからです。