横丁茶話

「失望」と「がっかり」とは違うのか?

                       西村 徹


2013年12月29日に、BS朝日の番組で長谷川幸洋という東京新聞・中日新聞の論説副主幹なる人が言った。

「disappointedと出ていましたが、あれは“失望”とも、たしかに訳せますし、もっと軽く“がっかりした”とも訳せます」と。安倍総理が同年12月26日に靖国神社に参拝したことに対する米国政府の反応は、さほど大騒ぎするほどのものではないと、水を差す含みでそのように言った。

同じ日の「朝日新聞」には小田島隆という人が「米国からは、“disappointed”、つまりがっかりしたという、男女の間なら別れ話になるような強い言葉が出た。いずれお灸をすえられるかもしれない」と書いていた。軽く「がっかりした」だけでもお灸をすえられるのなら、「失望した」場合どんな目にあうと長谷川さんは考えるのだろうか。

私は「がっかりした」という関東語の持つ微妙なニュアンスを知らないからかもしれないが、「失望した」と「がっかりした」とに軽重の差があるとは思えない。今日では関西でも「がっかりした」は関東渡来とは意識されない程度に汎用されているが、むしろ関東渡りゆえに標準化されて「失望した」との差は、もとはあったとしても今日では消えているように思う。

関西では、以前には「げっそりした」が使われていたが「失望した」などという生易しい響きのものではなかった。吐き捨てるような、英語でなら”gutted”の感じだった。四角張った漢語より卑近な口語のほうがどぎついのが相場だ。“disappointed”は、むしろ外交上抑制表現ではあっても「軽く」用いられるとはどうしても思えない。全面的に小田島説を支持したい。

一例に過ぎないので説得力は大きいとは言えないが、たまたま2014年1月6日NHK-BSプレミアムシネマで見た「ミート・ザ・ペアレンツ」という映画の、1時間23分あたりで出てきたdisappointedは、ほとんど聞こえないほどの小声だったが、字幕では「あなたには失望したわ」であった。「あなたにはがっかりしたわ」であったとしても少しも「軽く」なるような場面ではなかった。

なぜ、こんなに無理するのだろうか。長谷川という人は、本来こんなことを言う人ではなかったように思う。いつか、田原総一朗氏を相手に、「マスコミは大人しくしていれば役所が適当に特ダネをリークしてくれるので、安きについてポチになりやすい」とし、「かつては私もポチだった」と言っていたのを記憶している。特定秘密保護法が決まって、素早く立ち位置を「ポチ」の方に移し始めたのであろうか。そう考えたくなるほど、この法律は、たしかにこのままだと怖い。

奈良を地盤にしていた政治家に奥野誠亮という、現在も百歳で存命中の人がいる。1943年(昭和18年)30歳で鹿児島県の特高課長になり、1940年に始まった新興俳句弾圧の一環として37人を逮捕した。新興俳句誌「きりしま」に掲載された句に、椿の花の色の赤さを讃美するものがあり、赤を讃美するのは共産主義を讃美するものである。「菊枯るる」という季語の入った句は皇室の衰退を暗示するものである。よって不敬罪に当たるというようにこじつけたのだそうである。

奥野誠亮は畝傍中学、一高、東大というからバカではあるまい。ひとまず「秀才」のはずである。こんな乱暴なこじつけは、よほどIQが低くないと、とても恥ずかしくてできないことだと思うが、小沢一郎裁判にも推認判事というのが出現した。司法・警察関係の官僚には奥野級の「秀才」も珍しくないのかもしれない。

特定秘密保護法が、もし何も手を加えることなく、このままであれば、やがて奥野的こじつけが横行することになるだろう。すでに好戦的強がり体制を指して積極的平和主義などと、まるで「戦争は平和である」とか「豚は少女である」とかいうような、ものすごいことを言う政治家が権力の頂点に立っている。長谷川さんも、まだ61歳と若い。余命二三十年は十分あるだろうから将来に備えたとしても理解できなくはないが、いくら午年だからといって、少々逃げ足が早すぎるのではないか。(2014・1・10)
           (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)


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