【オルタの視点】

「少子高齢社会」は人間最高の倫理性哲学が問われる

盛岡 正博


 1)初めに自己紹介を申し上げます:
 1943年、南西諸島の徳之島に生まれ、戦時中は鹿児島の霧島山麓の村に疎開を経験しています。米軍占領下での日本復帰運動が社会活動の原風景です。60年安保は、大学受験時代で高校生として気になっていました。学生生活は、大学管理法反対、日韓条約問題、原子力潜水艦寄港問題、全共闘運動、70年安保…と同時代を生きてきました。

 2)医師としての出発は、精神病院の開放化運動と精神医療の告発でした。学生運動に窒息感を感じていた自分にとって医療活動は、常に広く社会と連動して展開される運動だったと思っておりました。青年医師連合・精神科医師連合の仲間と、精神科病棟のうち95%を占めていた閉鎖病棟を90%開放病棟に転換させた活動でした。民間精神病院勤務8年後に、ベトナム戦争に負けたアメリカに渡り2年間暮らしました。1981年に帰国、徳洲会運動に関わりました。「命だけは平等だ」「年中無休24時間営業」「患者さんからの贈り物は受け取らない」、都会でも農村でも離島でも同じ医療が受けられる社会に!という運動でした。

 3)1994年徳洲会を離れて、次の人生の課題を見つけるために、佐久総合病院に着任し、農協組合立の厚生連医療活動に従事することにしました。徳洲会活動では無医村に病院を建設して医療従事者を送る仕事でした。農村部から都市に若者が吸収され、著しく人口が減少していくさまも実感しました。地域社会を保持するためには、「学校」と「医療機関」が重要な役割を持っているとの認識を持ち、病院の充実や開設に努力しました。
 長野県厚生連病院の再構築に奔走したのも、経済政策の観点から「医療制度改革」が行われ、医療機関の下に住民が服従させられていく危険を感じたからです。少なくとも、長野県の厚生連病院は、まだ農協組合立で「住民とともに」の精神が残っていると思っていました。

 4)地域に若者が留まるためにも、また、変質しつつある病院に対して、「住民とともに」を原点にする保健医療福祉に取り組む必要を痛感しました。その実現には、佐久総合病院の地域医療活動を理解できる人財を育成することだと考えました。ちょうど経営難の地元短大の存続のためにも、看護系の四年制大学を設立する決心をして奔走しました。佐久総合病院を今日の姿に有らしめた若月俊一先生が当時はまだ存命で、看護師を大学で養成することには消極的でした。理由は、厚労省はまだ現場即ち地域社会が分かるが、文科省は現場が分からない。その下で有為な看護師は育てられないと云うような趣旨でした。当時既に10年前から、看護師の養成は大学に移行しつつあり、若月先生に対して僕は宣言するような形で大学設立の動きを進めました。この大学は厚生連と長野県及び佐久市の資金出損で開設されました。このような経過で、現在、佐久という地方にある学生数500人足らずの小さな大学(学校法人・佐久学園)の理事長をしております。

 5)以上申し上げた経歴から、用意しました資料を説明して、今日的課題の一端をご報告いたします。

 始めに、私の経営する学校法人・佐久学園は佐久市にあり、来年創立30周年を迎える短期大学部、創立10周年の看護学部、大学院、と別科の助産師養成コースがあります。長野県の東部(東信)に位置する、佐久総合病院を中心として地域医療・福祉の先進地として有名なところです。以下、スライドによってお話いたします。

① 長野県:田舎暮らしを希望する地域のトップ3以内にあります。平均寿命が男女ともに日本一です。しかし、健康寿命は男性6位、女性では16位です。ということは、何らかの支援を受けながら寿命を全うしているのです。現在、健康寿命を延ばす努力を行っていますが、この活動の中心を担って来たのが佐久総合病院の活動です。農民と共にのスローガンで、特に5・3・2方式という活動を続けています。病院力を10とした時5割を入院に、3割を外来に、残る2割を地域に注ぐことを続けています。この活動が、医療過疎地域であった佐久地域が、地域医療の先進地と呼ばれるようになった背景の大きな要因と思います。

② 長野県は教育県といわれますが、高校卒業生の75%が県外に出て行きます。東京が近いせいかもしれません。卒業生の10%程が短大に進んでいます。18歳人口の減少は著しく、平成10年から24年の高校生数は30%の減少です。

③ 年齢3区分(即ち0~14歳、15~64歳、65歳以上)を見ますと、長野県では働く世代(15~64歳)の減少が著しく、65歳以上の高齢者は緩やかな増加です。高齢化率も30%程です。これを東京都で見ますと、高齢化率は23%と低く見えますが、65歳以上高齢者の増加は著しく、高齢者問題が喫緊の課題といえます。田舎を離れて都会に集まった団塊の世代は、どのように最期を迎えようとしているのでしょうか? 介護難民、漂流老人は他人事ではありません。

④ 医療需要と介護需要の予測推移を見ますと、大学の位置する佐久市では、医療需要は現在より伸びても5%程度ですが、介護需要は20%以上が予測されます。一方で「限界集落」という言葉も現実味を帯びています。佐久総合病院が活動している南佐久地域では、医療需要が5%程低下しています。介護需要も横ばい状態です。このような背景から、良質な医療・福祉を担う人財の育成を大学で取り組んでいます。現在3K、4Kといわれ、不足している介護の人財育成が急務ですが、政治においても社会的認識においても対策は厳しい状況です。

⑤ 毎年2回、学生が実修している福祉施設の担当者と大学で懇談会を行っています。その結果の一部をお示しします。6割以上の施設が常時介護要員を募集しています。昨年度より6割以上、離職者が多く、募集困難を訴えています。また、仕事の意義について、8割以上が「社会に求められている仕事だ」と認識しながら、「知人に勧められる仕事だ」と考えるのは10%と極めて低いのです。

⑥ 私は、旧い体力任せの介護から、人間を尊重した「利用者にも介護者にも優しい介護」を理念にした介護福祉士養成に取り組んできました。友人のいるデンマークに行き見聞して、施設職員をデンマーク研修に送り、デンマークから指導者を招き、教育体制を構築してきました。その結果、介護福祉施設の認識も「介護方法の改善が重要だ」との認識が高くなってきました。これは、当大学の活動の成果だと自負しています。

⑦ 近年、介護人材不足を海外に求める傾向があります。このことについて施設の意見を調査しますと、6割の施設で海外人材は不要、3割が受け入れたいと答えています。本学での留学生の実習やアルバイトについては協力するとの答えが半数の施設から返っています。介護施設の経営者からの、人材不足に関する一方的なキャンペーンに呼応するだけでなく、介護に関する基本的な理念を語る時代だと思っています。

⑧ 介護は人間の最高の哲学である:親が子どもを慈しむ故に、種の保存は保たれてきた。殆どの動物で、弱者(老いたもの、病めるもの、障害のあるもの)を労り支える姿をみません。人間だけがその行為を果たし得ると思います。人間に本能として備わったものでなく、教育・文化・倫理・哲学などとして培われて存在するのだと思います。「少子高齢社会」の今こそ、人間最高の倫理性哲学が問われていると思います。

 (学校法人 佐久学園 理事長 )

※この記事は2017年1月25日に東京・学士会館で行われたオルタ新年懇親パーティーでの講演記録です。著者の校閲を頂いておりますがすが文責はオルタ編集部にあります。


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