「巷間見聞録」(下)

■「巷間見聞録」(下)  中野 紀邦

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六、過密過疎の進行

今は田舎暮らしがブームめいたように言われているが、挑戦してい

るのは都市のサラリーマンが大半ではなかろうか。

高度経済成長期に農村の過疎問題がかなり取り上げられた。当時、

同窓生の集団就職列車を見送ったことなどを様々思い出す。その結果、若者が

地方に居なくなっただけでは済まされなかった。集落がある一定の人口以下に

なると急に過疎化が進む。さらには廃村となっていった。

例えば、豆腐やさんが生活が成り立つ売り上げがないと廃業だ。豆腐屋さんが

居なくなると、雑貨屋さんも売り上げが落ちる。農家も農繁期に人手が無くな

ると近くの都市へ出稼ぎに向かう。遂には出稼ぎしている土地に住んでしまう。

並行して車社会になったことで緩和された面もあろうが過疎化は進んだ。

このところ過疎問題も落ち着いたかとも思われるが、新たな人口移

動が始まっている。それは都市部の過密過疎ともいえる現象だ。さらに地方都

市間でも過密過疎の進行が目立ち始めた。

北九州市と福岡市は人口が逆転。地方都市の場合パチンコ屋が繁盛している街

は衰退している。小倉の駅前パチンコ屋は朝早くから満席、口の悪い友人は

パチンコ屋は年金回収業だとも言っている。要するに生産地が消極的な消費地

に変わってきた。

長崎には「かもめ族」という言葉がある。JRの特急かもめは2時間以内で長崎

から博多へ着く。若者は福岡に出かけ昼間は買い物、夜はディスコで踊って夜の12時には長崎の自宅に帰る、そのような人たちを「かもめ族」と言う。地方

の都市に住んでいても服の専門店や遊び場は大きな都市のほうが多い。

熊本のテレビ局の幹部が「コマーシャルを地元のデパートに頼んでいるが、会

社の女房族は連れ立って博多に買い物に行っているよ」と話してくれた。

このような現象は全国的に見られる。今や農村から人が離れるばかりか、

小さな地方都市から大きな地方都市へ人が流れている。

このような人の流れが続くと以下のようなことになりそうだ。

九州圏は福岡が中心ついで熊本。えびの高原は車の利便さということでは

一つの中心になりそう。

中国圏は広島が有力で、ついで岡山だが、岡山は瀬戸内海を隔てた松山と一つ

のまとまりを作りそう。ただし岡山は関西圏に目を向けているようにも見える。

四国は松山が主導権を握っているようだ。四国全域的に松山ナンバーの車をよ

く見かける。日本海側は全体として瀬戸内側へ人が益々流れるだろう。

関西圏は如何に変化するか分らないが、船場の問屋街はシャッターが下り始め、

近郊のベッドタウンは人影が少ない。

北陸は金沢が中心、高速道路を使えば富山も福井も一時間内で金沢に入れる。

富山の友人は飲み屋は金沢と決めている。

静岡は首都圏に属するか中京圏に属するか分らない。気持ちは首都圏だろうが

アクセスによる。かって静岡はタバコなど新商品のテスト販売県であったが

中途半端になってきた。

東北圏は仙台が中心。仙台市内を走る車のナンバーは東北各県のナンバーが

多く見られる。

北海道では札幌に人口が集中しそう。東京勤務の友人が両親を夕張から札幌

へ移住させた。それは医療問題だった。歳を取った両親のことを考えて医療

機関が整った札幌を候補地に選んだ。

関東でも横浜市が介護の面で整っていると引っ越した人もいる。医療という

面も今後の人口移動の一つの基準となろう。過って、親は田舎で、でんと構

えていたが、このところ子供が居る大都市に集まり始めている。すると代々

の家を処分してくれ、墓を移してくれと始まった。

また、関東では都心部への住民移動が目覚しい。

たまりかねた江東区はマンション建設に待ったをかけた。急激な人口増で学

校などの社会的なインフラが間に合わないのだ。

また、一方、ベッドタウンはゴーストタウン化しつつある、シャッ

ターが下りた商店が目立つ。ここではインフラが無駄になった。ニュータウン

や分譲地は大体同世代が入居する。従ってライフサイクルに従って街の人口構

成が変化する。ある時期は子供たちがどっと幼稚園に押しかけ、ある期間が経

つと小学校が賑やかになり、中学校が満員となる。そして幼稚園や学校が寂し

くなり統合廃止となる。連続性のない人口構成が進んでいる。

四国の大洲市郊外の新しい国道沿いはあらゆるチェーン店が並んで

いる。近くに大きな工場や市街地があるでもなく、不思議な所だ。一方、宇和

島市や大洲市の駅前商店街や古い繁華街は人も少なくお店は開店休業かシャッ

ターが下りている。他の地域でもお馴染みであるが、新しい道が出来るとパチ

ンコ屋が開店、ファミリーレストラン、服の安売り店、本屋などチェーン店が

次々に開店。「バイパス文化」ともいうのであろうか、ひとつの文化圏とも

いえる勢いのある街が出来ている。

現代の過疎化は労働人口の移動より消費行動に起因するものとなっ

てきた。将来は複数の地方市町村をターゲットにしたスーパーや大規模店舗の

集合体が益々増えるであろう。一方では動けない年寄りのためにトラックに

生活雑貨を満載したニッチな商売も流行るだろう。親子何代といった、お客は

やってくるものだという、でんと構えた商売は衰退するであろう。

七、マニュアル社会

ある関西の作家がファーストフードでハンバーグを数十個頼んだら店員に

「店内でお召し上がりですか、お持ち帰りですか」と聞かれてあきれ返

っていた。

なにもかもマニュアル社会だ。これではロボットだ。最近のロボットは

これよりも賢いかもしれない。

六本木の寿司屋で、女性の歯医者さんから聞いた話。ある時、若い従業

員に「お湯が沸いているか見てきて」と頼んだそうだ。「はい、沸いて

いました」という返事だった。しばらくしてチョット変だなと給湯室へ行って

見ると、お湯がぐらぐらと煮立っていたそうだ。彼女も常識で考えてお湯が沸

いていれば火を消すだろう、さらに気が利けば「ポットに入れて置きました」

あるいは「日本茶ですかコーヒーですか」と聞かれると思っていたそうだ。

そこで、その後は「お湯が沸いていたら、火を止めて置いて」とか「コーヒー

入れて」とか具体的に指示することにした。だから皆さんもそうしなさいと言

う。

年配者はマニュアル社会が味気ないと言いつつもマニュアルを徹底

しなければ仕事も出来ない現実となってきた。これではマニュアルが増えるば

かりの社会になっていく。

しかし、マニュアル店は値段や品質が均一だから当たり外れが無い

ことで庶民には歓迎されるだろうから、増えることはあっても減ることは無さ

そうだ。

単純なマニュアル的な仕事はロボットに任せてもいい社会へ向かう

であろう。ロボットとはいわゆる人間型ロボットのことではない。デスクトッ

プとかノート型とかいったいわゆるコンピューターでもなく、ICチップのよ

うな簡単な電子頭脳のことだが、家電や車それに家庭や企業でどんどん使われ

ることになる。

ロボットではまだ難しい仕事は、外人部隊が控えている。ニューヨ

ーク市の市役所でレバーが高い職種はゴミ処理の担当者だと聞くが、これも外

国人が多く携わっているそうだ。銀座のクラブでもアジアの人たちが大半だ。

近頃の飲食店では注文をしても、了解されたのかどうか分らないウエートレス

が多いが大概はアジアの人たちだ。銀座のママの話では、外国人は給与が半分

でも倍働くから給与四分の一で済むそうだ。

熟練を要しない人でも働けるマニュアル企業はますます増えるであ

ろうし、企業も多少の熟練が必要な人材が必要であれば人材派遣会社に依頼す

ればいい。

自動車メーカーの友人から聞いたが、生産ラインは静かなものだそ

うだ。人がいない、せいぜいラインが順調に稼動しているかを見張る人が歩い

ているだけであるということだ。この場合の作業員は高度な知識と熟練が要求

されると思われる。10年ほど前の話だが、東大工科系大学院の学生の半分以上

はアジア人だった。そうした仕事も後継者が準備されている。ソフト産業では

かなりのインド人や韓国人が即戦力で働いている。

ロボットと外人部隊で労働市場が賄われるとすれば、日本人は暇が多い生活と

なる。マニュアル社会では、あまり考えなくとも生活できる。刻苦奮闘し

て技術を得たり、知識を集約する必要も無い。マニュアル化されたチェーン店

で働けばレバーは安いが、衣食はそれに見合ったマニュアル化されたチェーン

店で事足りる。住は親に寄生する、あるいはマニュアル人間同士でアパートな

どの共同生活か、地下街でたむろすればことたりる。

苦労しなくとも、生きていける社会が見えているのだ。貧富の差は

拡大するだろうが、これからは働かなくとも食っていけるので、好きなことに

専念できるし、芸術などで目覚しい活躍をする人が増える時代となろう。

これもまた外国人の話、将来、日本はホームレスばかりになるそう

だ。確かに朝の6時ごろ新宿駅に行ったら地下街の階段はホームレスが鈴なりだ

、かってよりも人数が増えているように見える。多摩川の河川敷きではボン

ボンベッドで日向ぼっこする優雅なホームレスが居る。これもまた一つの選択

といえよう。

六、バーチャル社会

数年前、警察関係者に「未だ犯罪は増えるか」と聞いたら、「未だ増える」と

言う。根拠を聞いたら「日本が豊かになったからだ」と言う。理由は豊かに

なって何とか食っていける社会が出来た。会社や地域など組織に忠実でなくと

もよくなって自由になったからだということだった。

犯罪の凶悪化などの原因について様々な見解があることだろう。しかし、当事

者の日本人は「茹で蛙」で変化が見えにくい。外国人の方が日本をよく見てい

る。金融関係の外国人に聞いてみた。犯罪の増加はゲームのやり過ぎが原因と

おっしゃる。リセットすれば生き返るのを繰り返しているうちに、そんなもの

と勘違いしていると言うのだ。一理はある。

パソコンで航空機のシュミレーションをやり操縦が出来たと思い違いした男が、

航空機を乗取って「操縦したかった」と言い訳していたことがあった。

現在の日本人は、テレビとゲームでバーチャル化しており、その気になってい

る。殺しても生き返ると意識の潜在にあるかも知れない。生命もリセット可能

と思っているのではないか。頭と身体あるいは行為にギャップが出来てしまっ

た。

我々も経験がある。やくざ映画を見て映画館を出ると、自然と蟹股歩きになっ

ている。しかしテレビは日常茶飯事だ。茶の間の映像は情報番組やドキュメン

タリーといった番組もあるが、総じて「仮のお話」である。視聴者はテレビ番

組全体として現実と錯覚して見ている。

法律で犯罪が防げるかは疑問がある。学校教育でも無理であろう。

法律の改正をしても解消しないと言える。しかし、マニュアル社会であるから

防犯マニュアルは増え、犯罪を取り締まる法律は改正されるであろう。

しかし、最終的には個人の殺人や窃盗は政府にとって問題ではない、個々の犯

罪が治安上ゆゆしきことであると判断されれば別であるが、政府にとっては治

安上が優先するであろう。しからば庶民は自己責任で防犯に心がけるべきだろ

う。

防犯を考えるには犯罪先進国アメリカに学ぶといい。近未来の日本の状況に対

処するために「アメリカの防犯を学ぶツアー」を企画したらどうだろう。

近年、ロスのビバリーヒルズやサンディエゴのティファナなど超高級住宅街を

廻ったが、パトカーが常駐して街並みの写真もうかつに撮れない。

聞くと、他の地域より一層の防犯のために住民は特別な税金を余分に払ってい

るということだった。訪れた地域はさらに民間のガードマンも雇っていた。防

犯にかなりのコストが掛かっている。

このことについてアメリカの作家は、これは一時的なことだと書いている。貧

困層がもっと増えると警察力や民間ガードマンでは手に負えなくなるだろう。

結局、富の分配がなされる社会、共産主義を考えなくてはならないと書いてい

た。

七、家庭の変化

家庭に主婦と子供がいない、居るのは番犬のみというのが一般的。老人暮らし

の家でもジジイもババアも元気で外出、家で日向ぼっこなどしていない。

益々、個々化する家庭だ。高級でもない住宅街を歩いていても何だかひっそり

としている。皆どこへ行ったのだろうか。ある時、友人の実家を訪ねた。友人

は居ないことは分っている、久々にオジサンかオバさんと会ってみたいので、

何度かコールするが返事がない。家の中には明かりが灯っている。

隣の家で消息を聞いたらお爺ちゃんが居るはずだと言う。ただ寝たきりらしい

。再び呼び鈴を押す気になれなかった。ラッシュ時に渋谷から電車に乗った。込

んだ車内で足の太ももに火傷しそうになるような熱い物が当たって堪らない。そ

の内、弁当のような匂いもする。このオバさん弁当をしっかり掴んで離さない、

何だかバタバタするのも気の毒になった。

夕暮れは気持ちが萎える時間だ。ハンバーガー屋で若い主婦がどっさりと買っ

ていた。子供たちは喜ぶのであろう。

醤油味噌メーカーの社長が言うには、醤油の消費量が減少しているそうだ。原

因は家庭で料理をしなくなっているからだと聞いた。

一家庭の構成人が少ないと主婦も腕の振るいがいがないのか。パートで疲れて

食事が作れないのか。弁当屋やお惣菜屋が結構繁盛している。手軽なレストラ

ンも幹線道路には必ずある。

現在は手軽なレストランの中に、いわば昔の大衆食堂をリニューアルした若い

女性に人気がある店が繁盛している。将来は家族の夕餉の団欒はレストランに

何時集合となりかねない。どうやら暖かい夕餉を楽しむ家族の風景はテレビの

中の架空話であるような気がしてならない。

この歳になると先輩から墓を造ったという話をよく聞かされる。東京に出てき

て子供たちが東京で独立していると郷里の先祖代々の墓に入るのもどうかとい

うことらしい。しかし、子供たちが富士山の裾野や秩父の山奥のいわば一日が

かりの墓参りを長く続けてくれる保証はない。無縁仏になるのは見え見えでは

なかろうか。墓の維持もママなら無いとなると、一代限りの家庭となるのでは

なかろうか。

家庭の中でも縦社会の崩壊が起こっている。例えば組合、企業、自治会といっ

た既存組織による選挙での集票力はがた落ちだ。

民心が一代限りという方向へ向かっていくのは避けられない話のようだ。

八、回転が速い社会

回転すし屋が繁盛している。回転が速い世の中を象徴しているよう

だ。十年一昔は通じない、五年一昔はと思っていたのもつかの間、今や

三年一昔、どころか一年一昔のものもある。

新宿の飲み屋も看板は変わっていないが経営者は変わっていたり、激しいもの

だ。うっかり昔の値段を想定して飲んいでいたらとんだ請求書を見てびっくり

してしまう。

バブルが崩壊して、洋服の安売り店が大繁盛した時期があった。これからはこ

ういった店が定着するのかと思っていたが、今はカッコウ鳥が鳴いている。

それでいて外国のブランド店が年間に千億単位の売り上げを上げているという。

もう日本人は高級高値の商品に手を出さないのかとも思われたが予想は外れた。

新しい大きな古本屋に入った。新書も文庫本も全て100円だ。本は中身で値段が

決まるのではないのか。ついでに幾らで古本を買ってくれるかと聞いたら、新

書も文庫本も仕入れ値は全て10円だと。これでは本ではなく、物だ。

ちなにみ他の古本チェーン店にかなり大量の古本を持ち込んだら、出版されて

五年以上の本や文庫本が出た本は受け取らないとのことだった。該当する本は

一冊も無かった。大量の本がゴミ処理となった。

これでは新刊本も手早く処理処理する能力が要求される時代となった。本が読

者の手元にある期間は極端に短くなっているに違いない。

不動産屋の友人が「最近は気が抜けない、仁義も何もない。いきなりファック

スで倒産だ」と連絡してくると言う。

代々木の登山用品専門店に冬用の下着を買いに行ったら、閉店。こんなことは

ざらにある。 

かなりの事業をやっている友人に「トレーラー店を作ったらどうだ」と話した

ことがある。これだけ回転が速いとある商品が売れ筋となったらトレーラーを

店に改造して東京から北海道や九州へ廻ったらどうだろう。流行は東京から地

方へタイムラグを持って行くから丁度いいのではないか。固定した店舗を構え

るより設備投資や経費が少なくて在庫もなくなるのではないか。トレーラーが

東京へ向かう時は地方の特産品を積んで大都市で売りながら帰れば無駄ではな

かろうという考えだ。採用されなかったが一考に価すると思っている。

九、ダウンサイジング

友人の踊りの師匠が「孫が名取になった」と言う、エット思ったので何歳かと

聞いたら、十三歳だと言う。踊りの名取が十六歳から十三歳へ変更となったそ

うだ。理由を聞くと、少子化だと言う。

一時代前は年間200万人を超す出生、現在は100万人チョットの赤ん坊が生まれ

ている。その訳は置いて、ウォークマンは半分しか売れない時代に入っている

と言うことだ。

数のダウンサイズと質のダウンサイズが同時平行して進行しているようだ。

ホテルに勤める友人が言うには結婚式場の売り上げが半減しているそうだ。こ

れまで五十人がひとつの規模であったが一式の参加者はかっての半分だそう

だ。若い人に聞いていると、レストランでワイワイやるお披露目も流行ってい

るようだ。結婚式も様変わりのようだ。若い人が社員旅行を嫌がる風潮も理解

できる、年配者の教訓めいた話は参考にもならない世の中になったのだ、話が

通じる仲間だけでの集まりでいいのではないか。

最近、プロ野球の球団再編やオーナー問題が話題となっているが、これもまた

ダウンサイジングの一環とも見える。企業が球団を抱えておれない事情もあろ

うが、基本的には社会全体の規模縮小の波でもある。

あらゆる組織でダウンサイジングが起こっている。全ての業種で大きな企業が一社づつは淘汰されるであろう。学校や幼稚園は進行しているが、銀行界、自動車産業、家電業界、デパート、スーパーなどと限りがない。

十、言葉

職場の部下に「段取りはかくかくしかじかだ。あとは常識でやれ」とよく言っ

ていたが、ある時「先輩、先輩が言っている常識が若い人には分っていないん

じゃないですか」と言われ、言葉が通じなくなっていることが分った。「常

識」という言葉に対するイメージでも世代間で相当違ってきている。

若い女性の会話の中で「トリフル」、「トリフル」言葉が出てきて、話の流れ

で推測するに「鳥インフルエンザ」のことだと分った。言葉はどんどん簡略化

の方向だ。

プロ野球界のゴタゴタで久しぶりに、「組合」とか「スト」という言葉を耳に

した。これからの組合は「目的別組合」と言うか、ある目的のためだけで、目

的を達すれば解散同然となっていくだろう。将来は死語となっていくだろう。

「歌は世につれ世は歌につれ」で、言葉も社会の変化を反映して代わる。

使われなくなっていく言葉は「謙虚」、「惻隠の情」、ことわざでも「働かざ

るもの食うべからず」、「老いては子に従え」文法も変わるのであろうか。

「・・・じゃないですか」文章にすると疑問ないしは謙虚な問いかけだが、現

実に使っている様子では、押し付けがましい語感である。

会話に述語が少なくなった。その為か身振り手振りが多くなった。

外国で買い物など単純な会話は、単語の連発と身振りで大体通じる。日本社会

も単語の連発社会になるのであろうか。

中国の古典に「言葉の乱れは国の乱れ」とあったが、二千年も昔の賢人の言葉

は現代には通じないと思っていいのであろうか。

風来坊生活は未だ板に付かず、今回は中間報告とする。

                         中野 紀邦