【沖縄の地鳴り】

「平和宣言」と辺野古問題

大山 哲


 6月23日は、戦後74年を迎える沖縄の「慰霊の日」。沖縄戦にまつわる全戦没者24万余柱の霊を弔う、恒例の追悼式典が、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれる。
 会場には、主催者の沖縄県知事はじめ遺族会、一般参拝者、来賓の内閣総理大臣、主要閣僚、衆参両院議長、内外の要人ら数千人が参列する。

 長年の祭事のなかでも、とりわけ昨年の追悼式典は、会場はおろか、テレビ映像を見た多くの人々に、強烈な印象と衝撃を与えた。
 重病で頭髪が抜け、やせ細った翁長雄志知事が、おぼつかない足取りで登壇したからだ。
 しかし知事は、あるたけの声を振り絞り、力強く平和の尊さと、沖縄基地の理不尽さを訴えた。「辺野古に基地はつくらせない」「私の決意はみじんも揺らぐことはない」の文言を平和宣言に盛り込んだ。

 はらはら見守っていた並み居る参列者は、その迫力に圧倒された。翁長知事は、この日から僅か45日後の8月8日に死去した。図らずも、平和宣言には、沖縄の未来に希望を託す知事の“遺言”の響きがあった。
 対する安倍首相の来賓あいさつは、素っ気ないもので、県と真っ向から対立する辺野古には全く触れず、軍用地の一部返還と沖縄振興策で「負担軽減」に尽力していることを、誇らしげにアピールした。
 翁長知事への、大きな共感の拍手に引きかえ、安倍首相へは「うそつくな」のヤジが飛ぶ、異様な一幕もあった。

 慰霊追悼式典で「平和宣言」が発せられるようになったのは、1977年の平良幸市知事が最初である。戦没者の追悼にとどまらず、反戦・平和の意思を、現在・未来の全世界に広めるのが狙い。以来42年間、保守、革新を問わず、歴代の県知事に営々受け継がれてきた。

 平和宣言のなかで、具体的に辺野古問題を提起したのは、1996年の大田昌秀知事である。この段階では「県内移設には、多くの課題が残る」の指摘にとどまった。しかし、98年には、県外移設方針を明確にし「いったい県民はいつまでこのような事態を強いられるのか」と、いら立ちを露わにした。
 続く稲嶺恵一知事は、条件付き辺野古容認を掲げ当選したが、在任中、政府と合意に達することができなかった。2002年の「平和宣言」で、辺野古には言及せず「基地の整理縮小と日米地位協定の見直し」を要求したが、基地問題を避けて通れぬ現実を浮き彫りにした。

 あの仲井真弘多知事も、2011年の「平和宣言」では、普天間の県外移設を明言していた。それが13年12月、安倍首相との会談で、180度政策を転換して、いきなり「辺野古容認」を表明した。政府との蜜月関係の構築をもくろんだ“転向”だったが、県民の強い反発を買った。
 14年12月の県知事選で「辺野古NO」の翁長雄志氏が圧勝、確固とした県民世論が裏打ちされた。知事は、15年の平和宣言から、毎年、「辺野古に基地はつくらせない」と叫び続けた。

 翁長知事の遺志を継いだ玉城デニー知事にとって、今年は初の「平和宣言」である。どのようなアピールになるか注目される。去る2月24日の沖縄県民投票で圧倒的多数の71.7%が辺野古反対を投じた。揺らぎない「民意」をバックに、玉城知事は強い姿勢で政府に対峙するであろう。
 だが、県民投票の結果などものともせず、政府は「国権には従え」との強権ぶりで連日、辺野古の海面に土砂を投入している。「辺野古が唯一の選択肢」で日米間合意をした以上、「終わった問題」として、素通りしたい意図が見え見えである。たぶん安倍首相のあいさつは、玉城知事のアピールに耳を貸すことなく、辺野古には一切触れないはずだ。

 令和初の国賓として来日したトランプ米大統領と安部首相との日米首脳会談でも、辺野古新基地が議題に上ることはなかった。
 とりわけ安倍首相が高らかに謳い上げたのが「日米同盟の結束」。頬を紅潮させ、自信たっぷりに「世界で最も緊密な同盟」をアピール。気のせいか、安倍首相の表情には、なにか不気味ささえ漂っていた。

 安倍首相の「おもてなし外交」に気を良くしたトランプ大統領は、つい口を滑らせ、日本が米国製武器を大量購入(爆買い)してくれることを、自慢げに披露してみせた。
 武器購入の大半が、日米の外交防衛筋で合意された事項でも、財政支出や防衛装備など、国内論議の余地は多々残されているはずだ。しかし、トランプ大統領への正面切った物言いは聞かれなかった。日米首脳会談で強調された「日米同盟」が、実質は「対米従属」そのものに見えてきて仕方ない。

 近年、中国の海洋進出への対抗と称して「日米同盟による抑止力の強化」が提唱され、かつてないほどのペースで、防衛体制の増強が加速している。
 そんな状況のなかで、沖縄の基地過重負担をどう打開するのか。そもそも沖縄の位置づけとは何なのか。根本的な課題が突きつけられている。
 安倍首相や政府首脳陣が、絶えず繰り返してきた「沖縄県民に寄り添う」や「基地負担の軽減」が、空疎に響くほど、後退した。

 いま大手を振って闊歩しているのは「抑止力」論である。日米政府は頑として、辺野古基地は「抑止力のため」を繰り返すばかり。これが横行している限り、沖縄が基地の過重負担から解放される道筋は見えてこない。
 抑止力論は、政治的思惑も複雑に絡み、不透明な要素が多い。ただし、在沖米海兵隊に限ると、その装備、機能の実態から、辺野古新基地も含め「抑止力にならない」との結論が、日米の有力な軍事専門家から出された。

 玉城知事は、これに呼応するように最近、しきりに辺野古NOの論拠として、抑止力論の否定を前面に掲げるようになった。政府の厚い壁への細やかな挑戦なのか。
 政府がいくら無視しようが、県民投票で示された辺野古反対の「民意」の意義は予想より大きい。県内に限らず国内外への反響の広がりが続いている。
 玉城県政は、この民意をバックに、全国キャラバン、米国政府への直訴、国際世論への訴えなど、勢いづいている。全国各地でも、議会やさまざまな団体が沖縄と連帯して、辺野古反対で行動する姿が目立ってきた。

 沖縄の基地は、当然のことながら日本全体の問題である。沖縄の基地の偏在は、あまりにも不公平すぎる。そのことを国民的共通認識にしない限り、日本政府の意図的な差別政策は打破できない。
 同時に、沖縄の基地の偏在を許す日本政府の姿勢だが、不平等な地位協定について異議も言わず、米軍基地を日本に置き、さらに拡大していくような安保政策でいいのか。対米依存の姿勢を国策とし続けていいのか・・・・このような基本をつねに頭に置いておきたい。「平和宣言」の趣旨は、日本人自身、ひとり一人の課題ではないか。

 窮地に立たされた沖縄で、最近しきりに耳にするのは「果たして日本は民主主義国家なのか」との反問である。

 (元沖縄タイムス編集局長)

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