「政治家の日本語」

■臆子妄論

「政治家の日本語」 西村 徹

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 自民党新憲法草案20条3項はつぎのごときものである。
 「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その
他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若
しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」

 「国及び公共団体は」が主語で、「行ってはならない」が述語動詞であることは
分かる。目的語はどれかまごついてしまう。文はあまり長いと間延びして、筋道
はどうなっているのか霞んでしまう。「特定の宗教に対する援助、助長若しくは促
進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを」がそれかと、とりあえず思うが、
そうでもないとも思う。じつは文法上「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超え
る宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対す
る援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなもの」すべてが目
的語である。

 目的語をこんなに長たらしくしないで、先ず「国及び公共団体は、特定の宗教
に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行っ
てはならない。」と言っておいて
 「ただし社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えざる宗教教育その他の宗教的
活動であって、宗教的意義を有せざるものについてはそのかぎりでない。」
とすればよいはずである。ところが「ようなもの」という目的語に

 1.「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動で
あって」
 2.「宗教的意義を有し」
 3.「特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となる」
の三つの等位節が並んで「ようなもの」を修飾する従属節を成すというバランス
の極めて悪い文の中に「宗教的意義を有し」などという冗句が宙ぶらりんになっ
ているから読み手はますます混乱してしまう。
 宗教教育その他の宗教的活動」なら「宗教的意義を有し」ているにきまってい
る。たとえ社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」内であっても、つまり形骸化した
ものであっても強制したり圧迫したりすれば忽ち眠っていた宗教的意義は息を吹
き返す。本来「宗教的意義を有し」ない「宗教教育その他の宗教活動」などはな
い。ないものについて「行ってはならない」など禁止条項を定める必要はない。
なんど読んでも「宗教的活動であって、宗教的意義を有し」などというトートロ
ジーが何故こんなところで、わざわざ言われねばならぬのか判らない。また「特
定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉」はとりもなお
さず「宗教活動」そのものである。まったく現行憲法を変えて特筆するには及ば
ないことである。

 現行憲法では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もして
はならない。」ときわめて明晰である。この明晰な現行憲法を、なぜこのようにわ
けの分からぬものに変えたかったか。「国及びその機関」では自治体が入らないか
ら「国及び公共団体」に替えるのは了とする。ほかに変える意味はない。
 本音は「行ってはならない」ではなく「行ってもよい」ものを作りたかったの
であろう。それならば現行憲法に但し書きを加えればすむ。

 しかしそれでは現行憲法の、国による宗教活動の全面禁止を解除して、国旗国
歌にとどまらず神社参拝などを、「社会的儀礼又は習俗的行為を超えざる」ものだ
ということにして、個人の思想信条を無視して強制したいというハラのうちが丸
見えになる。それで、わざわざミスリーディングな、闇なべのように得体の知れ
ぬ文章になったのであろう。じつに腹の黒い日本語であり、まったく「美しい国」
の日本語ではない。たぶん桝添要一がいきなりこんな文章を書いたわけでなくて、
いろんな連中がよってたかって勝手なことを言い立てて、どれもこれもてんこ盛
りでこんなことになったのであろう。むかし日野自動車がコンテッサという自動
車を売り出した。技術屋でもない役員が欧州のあっちこっちで見てきたクルマの
イメージをてんでに言い立ててごった煮のようなデザインになってしまった。そ
れとおなじだろうとは思う。
 
 それにしても依然として「宗教的意義を有し」ない「宗教的活動」とはどんな
ものか、「宗教」でない「宗教」と言っているようで、いまだに私にはわからない。
氏神祭祀などは習俗化して、いわゆる「宗教的意義」は無意識の古層に沈みこん
でいるから外見上希薄に見えるとしても、まったく「宗教的意義を有し」ない、
などといえば、宗教法人としての道を選択した靖国神社をふくめて神社や社家に
対して失礼になろう。そういうものではないというのなら、ほかに「宗教」でな
い「宗教」はどこにあるのか教えていただきたい。ひとつ思い浮かぶのは宝塚少
女歌劇ぐらいだ。あれは「宗教」でない「宗教」かもしれない。なにしろSS席
から切符は売り切れるそうだ。
 若者の自然発生的な言語傾向にうるさく嘴を挟むより、このようにごてごてと
混濁した日本語が支配層の間にまかり通っていることにこそ注意は向けられるべ
きであろう。こういうのは作文ではなくて詐文だ。憲法のような誰しもが心得て
いるべき法律は、たとえ草案にせよ、もっと平明闊達に願いたいと思う。
                  (筆者は大阪女子大学名誉教授)
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