「死ぬと困る」

■臆子妄論

「死ぬと困る」        西村 徹

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■ 漱石最後の言葉 


  中学3年、1941年だったと思う。修身の時間に代講で校長がやってきた。こういうときは教科書を離れて校長の独演になる。フィヒテという哲学者の言葉だといってReden an die Deutsche Nation と黒板に書いた。ドイツがなにせバカ人気だったし英語より珍しいので覚えてしまった。ドイツ語は上級学校で学ぶ言語だったし、先輩の高校生がエッセンとかメッチェンとか得意げに口にするのを聞いていたから好奇心に憧憬もまじって記憶に焼きついたのだろう。ペダンチックだから新鮮でもあった。何をしゃべったかほとんど覚えていないが、おそらく国が一旦緩急あるとき『ドイツ国民に告ぐ』の檄を飛ばした偉い哲学者だというようなことだったと思う。とにかくフィヒテを褒めた。格別の感銘もなかったが、さりとて反発も感じたわけではなかった。なにか遠い感じで吹き抜けて行った。
  それに続けて夏目漱石の臨終の言葉を話した。「死ぬと困る」と言ったという。これはフィヒテを引き立てるためだった。なにせ国を挙げて「死ね、死ね」と喚き立てていた時代のこと、なにを言わなくても「死ぬと困る」は論外、ケシカランのきわみだった。さして上ずった常套句は使わなかったと思うが、とにかく漱石のように死の覚悟がないのはよろしくないという話だった。あるいは使ったのかもしれないが常套句は耳にタコができている。上の空を滑っていってなにも残らなかっただけかもしれない。
  漱石の話はフィヒテよりおもしろかった。校長の意図するところにはまったく感応しなかったが「死ぬと困る」はむしろ新鮮だった。「へえー!」というほどの意外性があった。「死ね、死ね」の集団発狂に水をぶっかけることになって今風に言えば「意外とカッコいい」感じだったのかもしれない。『我輩は猫である』『坊ちゃん』は読んでいた。ラヂオで『三四郎』を朗読かドラマ仕立てで放送していたのはさらに早く中二の頃か。Pity is akin to love なんかも一発でおぼえた。「カワイソウダタ惚レタテコトヨ」など、与四郎の口真似をしておもしろがっていた。「死ぬと困る」は偉い文豪としては意外でも、その後の深刻な作品にもどこかに漂う一抹のとぼけた味、江戸前の落語に通じる飄逸の風にはふさわしい言葉のように、どこかで直感していた。漱石がより身近になる気分があった。そりゃ「死ぬと困る」だろう、そのとおりだろうとどこかで頷いていた。
  漱石が「死ぬと困る」は、むしろあまりに出来すぎていて作り話かとも思っていたが評論家の柄谷行人がどこかでおなじことを書いていたから作り話ではないらしい。柄谷版では「死んだら困る」だったと思う。柄谷が何を書いていたか覚えていれば今役立つはずだが、読んだときは納得したはずなのに今はみな忘れた。


■仙ガイ*と親鸞


  江戸時代後期、仙ガイという禅僧がいた。出光美術館にある、左から右へ四角と三角と丸を並べて描いた絵でよく知られる。その頂相を見るに、目に微笑みを湛えた、まことに温容閑雅の僧である。我慢でなく堪忍を大切として、風に靡く柳の絵に添えて書にもした。蛇足ながら仏教語の我慢はつまり自慢であり傲慢である。根本煩悩の一つである。堪忍は忍辱で六波羅密という仏教実践項目の一つである。京都の観光寺には我慢坊主がたくさんいるが、それとは全く逆の本当にすぐれた、心の優しい坊さんらしい。死に臨んで「死にとうもない」と言った。もう一言と弟子が促すと「ほんまに」と言ったという。この僧、この言葉について、私は10月14日のNHKテレビ「新日曜美術館」で作家の玄侑宗久が語るのを聞いた以上の知識を持たない。漱石の言葉と響きあうので面白く、また思わず嘆息するほど好ましく聞いたまでである。
  歎異抄の九章に、唯円が「いそぎ浄土へ参りたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにて候ふやらん」と尋ねたところ親鸞は「親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊同じこころにてありけり」と、手を打ったかどうかはともかく、意気投合したという。さらに「いそぎ浄土へも参りたく候はんには、煩悩のなきやあらんと、あやしく候ひなまし」とまで言っている。
  念のために我流現代訳しておくと「いっこうに浄土へ参りたい気にはなりませんが、どうしたことでしょう」と尋ねた唯円に「実は私も気が進まないので不審に思っていたのだが、唯円坊も私と気持ちは同じだったんだね」と親鸞は答えた。親鸞は、さらに突っ込んで「いそいで浄土に参りたいなどという人がいたなら、煩悩のない身のはずもなかろうに、そんなのかえってヘンだよと言いたくなるね」と付け加えたという。
  親鸞の場合はじつは意外性はない。これはほとんど論理的に理解できる。逆説などではない。彼は徹底して身を低きに置いた。弟子一人持たず墓も作らせず先祖崇拝にも批判的であったほどに、煩悩具足のままに弥陀の本願に縋った。「いそぎ浄土に参りたきこころ」は既に自力を恃む驕りであり我慢であって明らかに他力本願からの逸脱である。もっとも親鸞は「いそいで死にたいとは思わない」と言っているだけで「死にとうもない」とまで言っているわけではない。臨終の言葉ではないし、いざとなったら分からないが、いざとなっても絶対他力だから「死にたい」などと大それた我見は口にしないだろう。

  *仙ガイ(ガイは「厂」に「圭」)


■ イロニー


  「死にとうもない」も自力だから親鸞はそんなことは言わないという反論があるかもしれない。形式論理を機械的に転がせばそういうことになるかもしれない。しかし、そもそもこれは自力とも他力とも無縁だ。別次元のはなしだ。「死にとうもない」は死を断固拒否するというのではない。死ぬのは仕方ないが「この期に及んでまだその気にはなれん」と、気持ちを正直に述べているだけである。「ウソついて気張ったこと言う気になれん」と言っているだけである。死に際であろうとなかろうと「死にとうもない」は親鸞も同じだ。
  漱石は近代人だから実用主義的に「困る」と言った。『明暗』を仕上げることができないのは実際困る。他にも「死んだら困る」ことは多い。食いたいと思っていたウナギが食えないというようなのもあるだろう。仙ガイは無心の童子のように言い、親鸞はいささかしめやかに囁き、漱石ははなはだ散文的に呟いた。三人三様に同じことを言った。三人三様に非常に面白いと思う。もしも悟り済ましたことを言ったのなら、修身の説教同様しらしらと上の空を吹き抜けていっただろう。そうではなくて凡夫衆生の心をそのままにケロリと言ったところが面白いと思う。 人はもちろん死にたくなることもある。死が救済であることはもちろんある。病苦貧苦さまざまに生きる苦しみが臨界点に達したときには死にたくもなる。私の知る範囲でも、主として疾病を苦にして、あるいは家族関係の軋みから死をえらんだ人は存外いる。しかしながら臨界点に達しない限りは、まあ生きていようかというのが自然である。人間老いれば、多少の持病はあっても、病いも身のうち「死にたくもあり死にたくもなし」ぐらいのところで生きている人が多い。大した病気でもなければ、なんとか食っていけるうちは素直に遺伝情報に従って「死にたくもなし」に傾くであろう。悟ったとかすべったとかいう域を突破して、平等性智というのか無分別智というのか、この三人が見事に衆生の心をわが心として告白しているところがなんとも爽やかで面白いと思う。否定の否定、顛倒を顛倒するイロニーとでもいうことになろうか。


■坊主めくり―脱サラ出家の幼な友だち


  私の幼な友だちに60歳で坊主になった人物がいる。一種の脱サラで、なかなか賢明な選択であったと思う。副住職だから収入は半分寺にピンはねされるが、なにしろ無税だから実質的らしい。それはともかく昔年艶福にめぐまれた。というよりめぐまれすぎた。出家以後は知らないが、それまでは行くとして可ならざるはなかった。白系ロシア人のクォーターとの説もあって長身隆鼻。そのうえ81歳になって足が痺れるとか言って騒いでいる程度に健康である。そのせいか、はなはだしく死を怖れる。断固として怖れる。いささか大袈裟に言うと、最後の十二時を告げる時計が鳴って「おお鳴っている。鳴っている。さあ肉体よ、空気に変わってしまえ」( O it strikes, it strikes: now body, turne to Ayre, ) と絶叫するクリストファー・マーロウのファウスタス博士のように脅えている。仏典を読んでいるときぐらいは落ち着くが、それ以外は間断なく死を思うという。「臆病者のアカンタレ」と自分で言う。私はメールでこれに突っ込みを入れることを、ひそかに「坊主めくり」と呼んで愉しむ。「死を怖れる自分を怖れているだけではないか。その自分など無いはずではないか」と分け知り顔に挑発すると「それは分かっているが、やっぱりアカン」という。まことに金剛堅固の敗北主義である。
  それでも食わんがためには布教使とかで法話に出かける。真宗だから法事にもかならず法話がある。その準備で真剣に勉強する。私の知るある宗派の世襲坊主で観音と観世音が同じだと知らないのがいた。そういうのとは大違いで仏教そのものに対して純粋である。ウソがない。職業意識が乏しい。檀家の老人から「死ぬのが怖い」などと言われて「私も怖い」と正直に言う。すると思いのほかに受けるそうである。普通の世襲の坊主はそんなことを言わない。職業的本能が薫習されていて、かさぶたのように建前が身に貼りついている。だから本音は棚に揚げてどうしても高みからひたすら如来の功徳を説くことになる。そこに深い溝が出来てしまうことには気づかない。「私も怖い」は一挙に溝を埋めるらしい。欲の皮に苔の生えたような世襲のプロフェショナルにはできない、なかなか味な話だと思う。

                 (筆者は大阪女子大学名誉教授)

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