「汚職の経済学」

■ 海外論潮短評(16)               初岡 昌一郎

汚職の経済学                 

           
  経済学は汚職を克服するのに貢献できるか。こうした設問に日本で取り組むエ
コノミストがいるとは思えない。しかし、世界的には汚職の政治経済学がホット
なテーマになっている。

 政治腐敗や地位を利用した汚職に対する批判は、近年世界的に高まっている。
先進国の政策調整機関、経済協力開発機構(OECD)が主導して、1990年代よ
りこの問題が国際的に取り組まれるようになってきた。民主主義の徹底によって
、情報公開、意思決定プロセスの透明性、説明責任などが重視されるようになっ
た結果であろう。政治腐敗が単にジャーナリズムによる追及の単発的テーマにと
どまらず、政治学的経済学的研究の持続的対象となってきた。

 アメリカのリベラルな国際問題専門誌『フォーリン・ポリシー』9/10月号が
、表記のタイトルの論文を掲載している。コロンビア大学経営学大学院教授レイ
モンド・フィスマンとカリフォルニア大学経済学部準教授エドワード・ミゲルの
共著によるものだ。示唆に富んだその論旨は、以下のようなものである。


◇◇汚い腐敗の知られざる真実


 国庫は乱費され、キックバックが横行する。だが、世界的な影の取引はミステ
リーのままだだ。密貿易、詐欺、贈収賄は表面的には隠されて見えないが、やる
気とささやかな経済学的探偵作業があれば、それらを暴くことはできる。

 贈収賄や汚職の話は昔から政治につきものだ。官僚の職権乱用、議員の圧力行
使、大統領の議員買収、判事の収賄などはお馴染みのもの。数年前にアメリカ下
院議員の冷蔵庫から見つかった9万ドル、ザイールのモブツ大統領が横領した数
百万ドルで建てた"ジャングルのベルサイユ"、中央アジアの石油ボスの銀行預金
など、現代の国際政治の悩みは、指導者たちの過剰な金銭欲である、

 汚職は単に道徳上の問題ではない。政治指導者に対する集団的な指弾を必要と
している課題だ。世界の諸悪の根源が政治指導者にあるという批判は、おそらく
正しい。アフリカの恒常的な貧困やラテンアメリカの慢性的停滞の原因として、
また経済開発にたいする慢性的障壁として、腐敗が広く告発されてきた。それが
貧困国をさらに貧しくしている。

 汚職は法による統治を阻害し、商取引を歪め、特権的な少数者を富ます。汚職
は人道援助を被災者から奪い、手抜き工事でビルを倒壊させる。汚職が賄賂と政
治献金の絶えざる重みで、ビジネスを窒息させている。

 しかしながら、汚職がどのように進行しており、どのように蔓延しているかに
ついて実情はほとんど明らかにされていない。マルコス、ムガベ、テイラーなど
の略奪的指導者についての小話は、グローバルな腐敗の広がりと深さを物語るも
のではない。贈収賄や横領は、うまく行なわれたときには目につかない。東アジ
ア諸国の経済はこの数十年間、悪名高い腐敗した政権下で繁栄してきた。

 あまり系統的な証拠ではないが、分かっている事のほとんどは世界銀行やトラ
ンスペアレンシー・インターナショナル(注。腐敗監視NGOで毎年世界各国の腐
敗度ランキングを公表している)などによって行なわれた調査によるものである
。だが、経済学者は汚職や賄賂についてとりあげることに懐疑的で、研究上の対
象から排除している。'いくら賄賂を貰いましたか'というアンケートでデータを
容易に集められないからだ。

 隠された腐敗の姿は、思いがけない形で現れることが多い。それをよくみると
、実際の腐敗をわれわれが測定し、それを防止する方法を考案するのを可能にし
ている。必要なのは、僅かな経済学的素養と創意工夫だ。汚職を理解するために
は、人の語るところではなく、人の行なうところを観察しなければならない。見
るべきところを承知していれば、腐敗のフットプリント(足跡)を発見できる。


◇◇法医学的経済学


 経済学は人間がどのようにインセンティブ(経済的誘引)に反応するかを研究
の対象としている。法医学的な目を持って腐敗を調べようとするならば、不正な
報酬を求めるインセンティブが、誰にでもわかる行動をとらせる状況を発見でき
るはずである。換言すれば、目の付け所さえ適切ならば、状況を分析することで
汚職の証拠を摘発できる。それによって初めて、汚職にどう対処するかという、
もっと難しい問題に取り組むことができる。


◇◇政治的コネの対価


 企業は巨額な選挙費献金や、政治家OBに対する旨い仕事を通じて、政治的コネ
を利用していると常に批判されてきた(例。チェイ二-副大統領のハリバートン
社、プーチンのガスプロム)。だが、これらの政治的コネの真の価値とは何か。
政治家や投資家に聞いても否定されるだけだ。真実はインサイダーに訊かねばな
らない。

 われわれのアプローチを説明するためにインドネシアヘの旅を取り上げるので
、時計の針を1996年に戻す。

 当時の大統領スハルトは30年近く独裁支配を行なっており、経済も完全にコ
ントロールしていた。誰にローンを認めるか、木材伐採を許可するか、有料道路
建設を請け負わせるか、あるいは米の輸入を任せるかを全て大統領が決定してき
た。誰がいくらカネを儲けるかは大統領の匙加減次第であった。

 そのころ、高齢の大統領の健康は優れなかった。彼の子ども達や取り巻きは有
能な後継者とは見られておらず、スハルトの後継者が誰になろうとも、彼の統治
下で形成された縁故関係を継承できるとみられていなかった。スハルトが去れば
、コネの価値は反古となるという前提で賭けがなされていた。

 実際にこれは外れなかった。1996年7月4日、インドネシア政府がスハル
トはドイツに健康チェックに行くと発表した。直ぐに、スハルトが倒れたという
うわさが株式市場を駆け巡った. その噂で株は2.3%下落した。特に、スハ
ルトとコネのある企業株が売り込まれた。スハルトの息子、バンバンが社長のメ
ディア・コングルロマリット、ビマントラ・シトラが急落した。この株は発表前
から下がり始めていたが、おそらく医者や家族から情報を入手したインサイダー
が売りに走ったからだろう。

 パーデュウ大学の経済学者、マーラ・ファッチオは、正常に機能する証券市場
が存在している、ほとんどの国における政治的コネの価値を測定した。彼女は実
業界大立者の政治的キャリアと政治家のビジネス・キャリアをフォローした。家
族の血縁姻戚関係を調べ、誰が誰と食事をしたかを知るために地方紙の社交コラ
ムを読んだ。その結論は、ほとんどすべての国で政治とビジネスの間に密接な人
間関係が存在することだった。

 ロシアでは、モスクワ株式市場価値の87%が、クレムリンと密接なコネを持
つ企業であった。さらに驚くべきことに、ロンドン株式市場価値の40%が政治
的コネを持つ企業であった。イタリアではインサイダーコネがモノをいう。フィ
アット社長ジョバンニ・アネッリが上院議員に指名されたとき、その会社の株価
は3―4%上昇し、一夜にした数億ドルの利益をもたらした。

 アメリカは不幸にしてイタリアに似ている。コネのある企業の経済的な命運は
そのコネの政治的命運をよく反映している。2001年にジム・ジェフォード上
院議員が共和党から鞍替えし、民主党が辛うじて多数派を制したとき、民主党に
コネのある企業の株価が直ちに跳ね上がった。同様に、最高裁が2000年にブ
ッシュの当選を判定したとき、共和党元議員が重役にいる企業の株価が跳ね上が
った。反対に、民主党元議員が重役になっている企業の株価が下がった。


◇◇不正を炙り出す


 コネのある会社でも、正直にやっていればその政治的コネから大儲けはできな
い。OECDがグローバルな腐敗防止協定を作った1999年以前には、ドイツ、オ
ランダ、スイス等を含む全加盟国は、自国以外の公職者に賄賂を贈るのは問題と
されなかった。それだけでなく、国際的賄賂は必要経費として課税を免れてきた
。税還付からだけでは賄賂額はわからない。だが、容易に入手できる国際貿易デ
ータのお陰で、不正行為がはっきりと浮き上がる。

 骨董品を例にとってみよう。業者が正直ならば、輸出国に申告された価値は輸
入国で申告される価値と同じはずだ。ところが、骨董品を正直に申告する経済的
インセンティブは存在しない。そこで密輸が横行する。
  
  輸出入申告上のギャップは骨董品だけではない。中国の輸入税を潜り抜けよう
とする香港業者の記録を照査してみた。原則は同じだが適用は逆だ。香港の貿易
は自由なので価格を低く申告する必要はないが、中国税関に対し過少に申告して
節税している。こうした方法を知って応用すれば、汚職による価格操作も摘発で
きる。


◇◇汚職の道ならし


 腐敗した税関吏が不正取引の腐敗の上前をはねるように、腐敗した政治家と建
設業者が道路建設プロジェクトからカネを吸い上げている。道路建設は、砂や石
などの多量の材料や多くの労働力を必要とする。これらの経費を過大に計上する
ことで利益が上がる。資材見積もりを倍にして劣悪な安価品を購入する。余剰の
カネを政治家、官僚と業者が山分けする。

 その他のすべての汚職も同様に、解決を模索する前にデータを入手する必要が
ある。マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者ベン・オルケンが、道路汚
職を測定する独創的な方法を考案した。インドネシアの道路プロジェクトで世銀
の融資がどのくらい盗まれているかを見つけようとした。そのプログラムでは、
600の村がそれぞれ6000ドルを地方道建設のために貰うことになっていた
。実際の建設費を知ることで、どれだけのカネが"洩れた"のかを測れる。そのほ
とんどは業者と公職者の懐に入っていた。

 オルケンは、手練の技術者を全村に送り込み、道路の質を点検し、経費を測定
した。事前に検査が予告されてなかった村では30%以上が盗まれていた。予告
されていた村では20%以下の漏れだった。創意ある調査で多くのことが判明す
る一例だ。


◇◇汚職の治療法


 ここに数例を挙げたような汚職は実際に世界に蔓延しているが、それを削減す
る方法は常識プラス経済原則の適用である。公共事業の入札と落札の内容をホー
ムページに公表するなど政府財務の透明化、関税や税金査定の簡素化と裁量的査
定の廃止、政府公務員が汚職に依存せずに済む様な給与改善などが容易に考えら
れる。

 汚職を追放するために、政府は様々なほう方法が実際に効果をあげるか試行し
てみるべきだ。それは、良心的な医者が難病治療にあたってひとつの方法に頼る
のではなく、臨床的な観察によって治療法を模索する手法と同じである。異なる
状況には異なる改革が必要だ。抽象的な解決法には限定的な効果しかない。

 解決法が判れば、あとは政府がそれを系統的に実行する意思にかかっている。
常識と少しの工夫で経済学は汚職追放に貢献できる。


◇◇コメント


 エンゲルスが研究はニーズがあってこそ発展すると指摘しているが、汚職がこ
れまで政治経済学的研究対象とならなかったのは、ニーズがなかったからだ。汚
職の研究などは、文科省の科学研究費の対象にならないどころか、現在の日本で
助成金を出すところは皆無であろう。 

 他方、占い師まがいのエコノミストの活躍が花盛りなのはそれに対する"仮"需
要があるからだ。最も彼らの言説が如何に信頼できないものかは、現下の状況に
よって白昼にさらされている。あらゆる理論は、価値観と動機から出発している
という、イギリスの歴史学者、E. H. カーの名言が想起される。

 OECDが経済開発との関係で、汚職の国際的防止策や公正な取引ルールの設定を
目的にして、汚職の研究を手がけるようになったことが、国際的な汚職研究の嚆
矢となった。でも、日本ではこのような研究が始まっていないどころか、まとも
に紹介もされていない。それは、OECDの関係と活動が主として外務・通産官僚の
ポケットに入り、彼らの国際出張の場として扱われてきたからだろう。

 開発途上国における汚職の酷さは、国際援助の非効率な原因として広く知られ
るようになった。しかし、こうした汚職は先進国の企業や政治家の関与によって
蔓延したことはそれほど指弾されていない。先進国の汚職は、袖の下といわれる
現金の授受という単純かつ摘発されやすい問題のレベルではなく、この論文に指
摘されているように、政財官の密接な人間関係の中で構造的かつ不可視的なもの
になっており、系統的な分析と追跡がなければ読み解けないものとなっている。

 日本でも政権交替を機に、この問題にたいして本格的な研究と解明が進むこと
を期待したい。その為には、国会の下に独立した行政監査院的なものが必要だろ
う。さもなければ、問題が個人的な不正行為に矮小化され、腐敗の構造的な温床
が解体されない。社会保険庁の問題でもわかるように、末端の担当者の個人的な
行為の追及に焦点がそらされており、主犯である高級官僚や制度設計者の責任と
構造上の欠陥の解明がおろそかにされている。

 北欧に学んで、オンブヅマンによる監視と摘発の制度を提唱している人もいる
が、系統的かつ組織的なバックアップ体制と目的のはっきりした実践的な研究に
裏付けられなければ、とても成果はあがらない。
          (筆者はソーシアル・アジア研究会代表)

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