「犀川一夫先生を偲ぶ」

■ 「犀川一夫先生を偲ぶ」 (弔辞)           河上 民雄
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   ※この弔辞は日本基督教団・銀座教会・一麦会会報「一粒の麦」2007年11
月4日 No.79号に掲載されたものを銀座教会一麦会および河上民雄氏のご承諾を
得て転載させて頂いたものです。関係者のご好意に感謝いたします。


  私共夫婦が神戸栄光教会から三十五年ぶりに銀座教会に再転入会したのは、二
〇〇五年の三月二十七日、イースターであったが、その丁度一年前に犀川先生ご
夫妻は銀座教会に転入会されておられた。
  犀川先生ご夫妻の教会生活は、朝のキリスト教基礎講座に始まり、礼拝そして
礼拝以後の一麦会の例会まで、熱心かつ喜びにみちて列なり、見事というほかあ
りませんでした。教会の大礼拝堂の講壇に近い二列目の席に先生ご夫妻は指定席
のように必ず静かに坐っておられた。
  すでに目を悪くされ、かつ耳も遠くなっておられた先生は、お説教を一語も聞
き漏らすまいとされていたのである。
  今年の五月六日、第一聖日の礼拝のあと、先生は珠子夫人に伴われ、一麦会の
例会に出席され、その席上、とくに発言を求められ、ご自分のご病気が厳しい段
階にあることをユーモアを交えながら、悠然たる態度で報告された。その後も、
もう一度、教会に行きたいと希望されていたが、その願いはかなわなかった。た
だ信仰の仲間の訪問を最後まで喜ばれた。

  朝日新聞の訃報欄(二〇〇七年八月一日夕刊)は、犀川一夫先生(国立療養所沖
縄愛楽園名誉園長)が、七月三十日、膵臓がんで亡くなり、八九才、と報じ、そ
の生涯と業績について、「ハンセン病医師として岡山県の長島愛生園に勤めたが
、隔離政策に疑問を感じ退官。世界保健機構(WHO)専門官として台湾などでハ
ンセン病医療に携わった。沖縄県名護市の沖縄愛楽園長時代は、患者の強制隔離
を定めたらい予防法が沖縄返還に伴い、沖縄県に適用されることに反対、同県に
限り在宅治療を存続させた。沖縄県ハンセン病予防協会(現沖縄県ゆうな協会)
の元理事長として、今年三月まで月一回、東京の自宅から沖縄に通い、元患者の
診療や生活相談に応じた。」と伝えている。

  昨年秋、十一月二十一日、浅草の画廊「ア・ビアント」で、ハンセン病患者の
鈴木時冶氏(故人)の油絵展が開かれたそのオープニング・パーティーにお招きし
たところ、犀川先生ご夫妻は快く出席された。そして先生ご夫妻がその画廊の会
場に姿を現わされると、そこに来ていた元患者の方たちから、嗚咽とも歓声とも
つかぬ声が起り、やがて、ひとりひとり車椅子で先生に近づき、名乗り出ると、
耳も遠く目も悪くなっておられた先生は、握手して初めて「あっ、ナニナニ君か
」と大きな声で励ましておられた。

  私はそのとき、新約聖書の福音書でキリストの衣に触りたがって近づく病をも
った女性や、屋根をくりぬいて仲間の患者をキリストに診て貰うため天井からつ
り下ろす人々の動きが再現されているような錯覚を覚えた。
  先生の奥様のお話では、沖縄県で新たなハンセン病患者の発生が零の年がもう
三年間続いていることに、先生はなすべきことはなし終えたとの感慨を漏らして
おられた、とのことであった。犀川先生こそ、神様に愛せられた忠実な僕であっ
た。   
          (筆者は東海大学名誉教授・銀座教会一麦会員)

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