「私の履歴書―人生越境ゲーム」青木昌彦著

■ 書評

「私の履歴書―人生越境ゲーム」青木昌彦著     篠原 浩一郎

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  青木氏の「履歴書」を読んで驚いたのは留置場の話から始まったことだ。本書
の多くがブントと安保闘争に割かれている。国際経済学連合会長に選ばれ、ノー
ベル賞候補と目され、国際的な象牙の塔の彼方に去ってしまったとばかり思って
いた青木氏が、今なお安保闘争にこだわり、其の時から持ち続けた志を研究の中
心に据えて生きていたことを初めて知って、安保闘争をともに闘った人間として
、言い知れぬ喜びを感じた。

 付録の青木著-[安保闘争]で、彼の明快な論理と当時のブントが持っていた熱
気を知ることが出来るだろう。安保改定を日本独自の軍事力強化ととらえ、共産
党の対米従属強化ではないと喝破した。敵をアメリカではなく日本資本家階級を
代表している岸政権とさだめて、闘いの方向を明らかにした。社会党や総評幹部
が日本共産党の見方に追随していた当時を考えるとこの指摘は非常に重要であっ
た。全学連は国会デモという戦術だけではなく、闘争の対象を正確に示したこと
で国民の広い支持をえたのだった。

 当時のブントの活動家にとって、姫岡玲治(青木昌彦)「日本国家独占資本主義
の成立」は、敵にスターリンの「経済学教科書」あればこちらに姫岡の国家独占
資本主義論ありと共産党系反主流派と論争するのにいつも後ろに控えているとい
う安心感があった。ブントはこの本があるために活動家集団から、共産主義政党
となることができたともいえる象徴的な存在である。これを著者は、「書庫で見
つけたこの本のホコリでくしゃみが出た」で片づけているのは勿体ない。

 安保闘争を全く新しい視点からとらえているところも、この「履歴書」が画期
的なところだ。「ブントは敗北したというのがブントの正統史だ。だが他の見方
もあると思う。安保闘争を画期として、国のかたちをめぐるゲームのあり方が変
わったといえるからだ。つまり一方では、統治能力の不足を軍事力の動員によっ
て補うというような、岸流の政治的選択に未来はなくなった。他方では、民衆の
自発的な政治行動を統制し、管理するという「前衛党神話」や、労働者階級が暴
力によって国のかたちを変えるために立ち上がるという幻想も打ち砕かれた。」

 ブント崩壊以後、組織建設を自己目的化する感覚に全くなじめなかった青木氏
は「戦線逃亡」して学問の道に進む。計画経済には不可能な最適な分配を市場メ
カニズムが実現できることを証明する理論のハーウィッツを慕ってミネソタ大学
大学院に留学し(1964年)、たちまち頭角を現して、4年でスタンフォード助教
授となり、1年後にハーバードに移る。      この間、スタンフォードも
ハーバードも反ベトナム闘争のど真ん中で揺れ動いている。新古典派とラディカ
ル派の対立、公害問題に加え、妻の事故死によって経済学に迷いを生じてしまう
。この迷いは、完全な個人を前提とする経済学と社会が前提となる社会学とのあ
いだのおり合いをどうつけるかと表現されているが、私の感じでは、いくら最適
な配分を経済学が求めても、政治や社会の仕組みに無関係では、問題の解決にな
らないではないかとい素朴な疑問と共通していたのではないだろうか。そしてこ
れは、このあと比較制度分析と言う形で社会科学の統合という形で解決し、時代
史と個人史のからみあいとして

 しかし、まもなく元気を取り戻した青木氏は、京都大学での河合隼雄などとの
交流を通じて、株主と従業員双方の利益のバランスを取る経営者という概念を導
き出し、「日本経済の制度分析」1988を出版し、アメリカで流行していた日本経
済特殊論にたいし、日本経済を米国が理解できるよう努力をしている。また、日
本の経済学者が世界に向けて発信するよう英文日本経済専門学術雑誌(JJIE)発
刊(1987年)し、1989年には京都にスタンフォード日本分校を開設し、
米国学生が日本にきて日本経済制度などを学ぶ機会を作った。こうした日米間の
相互理解の基礎を作る活動を根気良く続けてきた。

 そしてついに、1990年タンフォードに比較制度分析の専門コースを開設、
世界のトップレベルの講師陣を集めた。「市場経済にも企業組織や法的規制、社
会規範などの違いにより多様な制度様式がある。また政治学が扱ってきた国家も
多様だ。それらの制度関係を、ゲーム理論を言語として用いながら、理解しよう
というもの」で、青木氏の10年間の活動で、比較制度分析は経済学だけでなく他
の社会科学にも取り入れられる最重要なテーマに育て上げられてきた。

 バブル期にはジャパンアズナンバーワンと驕り、バブル崩壊後は「失われた10
年」と自信喪失するような学問的議論をしない官僚にだけ政策立案の権限を委ね
ている日本に、「しっかりした政策立案できるシンクタンクを作る必要がある」
という青木氏の提言に官僚トップも賛成して、青木氏を所長に迎えた独立行政法
人経済産業研究所が設立されるが、3年経たないうちにやはり官僚の無能の海に
飲み込まれてしまい、退任せざるを得ない経験もしている。
  他方、中国精華大学にCIDEG(産業発展と環境ガバナンス研究センター)とい
うシンクタンクを設立した。こちらの方は、中国の環境問題に関する利益集団ご
との対立を冷静に討議する場として役立っている。

 市場原理主義を克服するのに「武士道」の精神でいこうなどという人もいるが
、国際的にはとても通用する話ではないと考える氏は、異なる制度、国家を理解
する比較制度の学問の普及、発展が最重要と考えている。ゲーム理論はみんなと
同じ行動選択する。そのみんなの行動は経済性だけでなく社会的、政治的、かつ
歴史的規範または習慣から生まれる。従って、経済学だけで問題が解けるのでは
なく、社会学や政治学、歴史学などの社会科学の統合が必要である。そのために
比較制度研究所(VCASI)を立ち上げた。ここではより広い範囲の研究者に参加
してもらうために、仮想研究所としてインターネット上に研究所を設けるという
新しい試みを並行して行っている。

 篠原有司男描く口絵「大学の青木先生」は、男女の学生を引き連れてスタンフ
ォードの校門をロックのステップで飛び出し、両手を突き出し見るものを踊りに
引き込もうとするようである。制度比較の学問とそれを活用する社会改革への踊
りに読者を誘っているのだろう。青木氏の社会を良くするための思考と実践のエ
ネルギーが学生時代と全く変わらないことを余すところ無く表現している。

 添付されている九つの書評もまた本書のテーマに沿ったもので興味深いし、四
つの付録も本書を単なる履歴書に終わらせない筆者の迫力を感じさせて面白かっ
た。(完)

  (筆者は特定非営利活動法人 BHNテレコム支援協議会 理事)

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