「親日台湾」に甘えてはならない

【コラム】酔生夢死

「親日台湾」に甘えてはならない

岡田 充


 「ただいまぁ」。階下から男の子の元気な声が聞こえた。てっきり日本人かなと思い込んでいたら間違いだった。声の主は台湾人で、同居する祖父母がしょっちゅう日本語を使うため覚えたのだという。台北に4年間住んだ7階建てのアパートでの話である。

 家の近くには、立派な日本家屋が何軒か残っていた。多くは日本時代の役人の住居だが、これを茶芸館(カフェ)に改装して観光名所になった家もある。畳敷きの店内では座布団を枕に、寝そべって本を読む若者の姿も。駅弁を「ベントウ」といいい、タクシー運転手を「ウンちゃん」と呼ぶのも、日本時代の名残である。

 台湾は1945年の敗戦まで50年間、日本の植民地だった。「同化政策」の下で中国語の使用を禁止し、徹底した日本語教育によって敗戦時に日本語を話す人は7割を超えたという。李登輝元総統を含め、80歳代後半以上の台湾人は折り目正しい日本語を話す。

 多くの台湾人は日本人に親近感を持ち親切だ。日本人と分かれば、日本の歌謡曲を流してくれるタクシーにも乗った。台湾で、日本人であることを理由に嫌な思いをした経験はなかった。大陸や香港ではそうはいかない。日本人観光客の多くが台湾をいっぺんに好きになるのはよく分かる。

 だからといって台湾を「親日」という言葉で一括りにして「甘える」と誤解が生じる。一例を挙げる。小林よしのり氏が書いた「台湾論」の中国語翻訳が出版された。2000年のことだ。その中身は、日本の植民地統治は台湾の近代化に貢献したとみる李登輝世代の台湾人の声が拠り所である。

 ところが、「従軍慰安婦は強制されたものではない」「(台湾先住民は)大東亜戦争の魅力に勝てず、こぞって日本軍に志願した」と語った台湾財界人の発言が問題化した。当時は民主進歩党(民進党)の陳水扁政権。その陳政権が「国家と民族の尊厳を傷つけた」として、小林の台湾入境を禁止したのである。

 決定を聞いた小林は「台湾に対する“片思い”が破れた」と台湾紙「中国時報」に語った。小林にすれば、「反日」の国民党からの非難なら理解できるが、「親日」のはずの民進党政権が、まさか入境禁止するとは思ってもみなかったに違いない。

 小林が描いた台湾人の日本観は、過去の日本の幻影を極大化した「片思い」である。同時に台湾全体があたかも「親日」であるかのように描き、それに呼応した小林の「親台」もまた「片思い」に過ぎなかった。他人のフンドシで「日本ボメ」したツケが回ったのである。

 台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(大使に相当)が民進党主席だった当時、台北特派員だった筆者に「彼の主張は一部台湾人の言論を借り、日本はかくあるべしと主張する小林の日本論にすぎない」と分析したのを思い出す。
 「親日」の代表と見られがちな李登輝氏だが、発言の内容をよく見れば、大国化する中国と日本との分断を図る「戦略的親日」だと分る。旧宗主国を無条件に支持したり愛したりするリーダーがいるとすれば、それは「植民地根性」以外の何物でもない。(一部敬称略)

画像の説明
日本家屋を改装した茶芸館の店内(台北市電影委員会HPから)

 (共同通信客員論説委員)


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