「非武装中立論再考」(下)

■研究論叢

非武装中立論再考 (下)             木下 真志

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◇ IV 非武装中立論・違憲法的存在論の再検討


  社会党の防衛政策が右に寄らなかった(保守政党からみると、「非現実的」政
策を提唱し続けた)ことの要因を考えよう。

 第一に、1960年の総選挙で、結党直後の民主社会党(のち民社党)が40議席か
ら17議席に激減し(現職の落選は27名)、その後も社会党以上の低迷を余儀なく
されたことである。民社党は、解党までこの結党時の勢力を超えることができな
かった。民社党は、主として社会党の防衛政策が非現実的であることを憂いて結
党された政党であり、民社党の低落を尻目に、社会党が民社党寄りの防衛政策を
選択するという状況にはなかなかならなかった。
 
  第二に、最大の支持母体である総評の運動方針が「平和四原則」、「護憲・民
主・中立の政権」であったことに象徴されるように、それを許さなかった。選挙
において、総評参加の組合員からの組織票に依存している社会党は、総評の意向
を無視することはできなかった。加えて、総評は、社会党大会の前に、大会を開
催することもあり、社会党大会の運動方針を規定しもした(16)。
 
  非武装中立論をめぐる、当時の資料として、興味深い本がある。『<社会党政
権>下の安全保障』(17)である。各党の要職が参加した「質問戦」で、もし社
会党が政権を執ったらという仮定のもと、その政権によってどのような防衛政策
が展開されるのかを質すという企画である。多数参加しているが、引用部分の参
加者(肩書きも当時)は、石橋政嗣(社会党国際局長)、賀屋興宣(自民党外交
調査会顧問)、矢野絢也(公明党書記長)、小坂善太郎(自民党外交調査会長代
理)、江田三郎(社会党書記長)である。

 外国が日本に攻撃してこないように外交努力していれば、攻めて来ることはな
いという、石橋の「信念」に対し、

 石橋 侵略者は仮想のものじゃない。たとえばソ連とか中国とか、あなた方が
     考えているのはそういう国でしょう。そういう国が攻めてくるではなか
     ろうかという条件をみずからつくっておくことで、なぜ国の安全保障が
     確保できるのか。
  賀屋 とにかく侵略は絶対ないと考えられるかどうか。
  石橋 ない。ないようにしなさい。(きつい口調で)
  賀屋 できるか、できないか……
  石橋 できますよ。
  賀屋 どうしたらできる。
  石橋 それはあなた方が仮想敵国視しないで、たとえば米国と軍事同盟結んで
     ……
  賀屋 (言葉じりをとるように)「たとえば」ではなく、どういう方法ででき
     るかということです。
  石橋 中国がそんなに脅威ならば脅威でないようにしたらよいじゃないですか。
     その努力もしないじゃないですか。
  賀屋 どうしてできる。どういう方法でなさる。どういう方法で……、侵略者
     はないというなら、どういうわけでないのか。(20-21頁)

◇非武装は丸腰なのかという疑問について、

 石橋 まず第一にいえることは、直接侵略という形に備えるといった武装は、
     一切必要ないという考え方です。
  矢野 そうすると、間接侵略には、何らかの物理的軍事能力は必要だというこ
     とになるか。
  石橋 間接侵略という言葉は、非常にあいまいなことばです。実際は従来政府
     ・与党の皆さんが使っている意味でいくならば、いったい、間接侵略は
     何だということになるから。 
  矢野 そこにある勢力が……
  石橋 (さえぎって)だから治安対策……
  矢野 (せきこんで)警察能力で対処し得ないような騒ぎが起こる。
  石橋 国内の治安対策ということは、責任ある政党として十分に考えなければ
     ならない。
  矢野 警察力以上のものが必要ということですか。
  石橋 それはその状態によるでしょうけれども、あくまで警察力と考えている
     わけです。

(中略)
  矢野 国内治安対策のためなら、物理的な軍事能力は認めるかもわからん。
  石橋 あくまで警察力だから、軍事的じゃない。
  矢野 そうすると、国内治安対策のためなら、極端にいえば機関銃があろうと
     、大砲があろうといいかということなんです。
  石橋 第一義的にそういう状態を作らないという……
  矢野 その信念はわかっているんだ。敬服しているんだから。(笑声)
  石橋 国民警察隊の内容は決めてないですよ。過渡的な形としてはあるけれど
     も。
  矢野 …次の解散によって、社会党が政権を担当しなくてはならない勢力にな
     った場合?内外情勢の変化を伴わない政権担当、この場合は。
  石橋 ありがとうございます。(笑声)
  矢野 それを期待しているんですから。
  江田 起こらないんじゃないかな。(笑声)
  矢野 起こらないといったら、国民に怒られますよ。政権担当するんだといっ
     て、わが公明党もやっているんだから……(38-41頁)

◇社会党が提唱する平和国土建設隊について

 矢野 …平和国土建設隊の任務規定というのはどのようにご理解になっておる
     か。
  石橋 平和国土建設隊は全然、治安とか直接侵略に備えるということとは関係
     ない。これは純然たる国土建設に当たる。
  矢野 それならあれか、建設業者みたいなもんか。(笑声)国営土建隊だな。
  小坂 土建屋だな。(笑声)
  石橋 だから、自衛隊をそのまま平和国土建設隊に結びつけるから間違いであ
     って……
  矢野 しかし、いわゆるその隊員は、全然クビにしちゃって、新たに国土建設
     隊をつくるわけじゃないでしょう。
  石橋 一般からも公募する。それが一つ。お国のためにこういう仕事をしたい
     というものを集めてくる。それから自衛隊を漸減するわけだから、就職
     あっせん的な役割を果たさなければならないという一面が出てくる。だ
     から、やめていく隊員の中で希望者は「どうぞこちらにおはいりなさい」
     という一つのルートはできる。
  矢野 国土建設隊というのは建設の作業で、治安対策には出動しないのか。
  石橋 それは別に国民警察隊というものをつくっていく。(112頁)
 
  明らかに不利な立場に置かれている石橋の議論を現在の視角からみて、哄笑す
ることは簡単である。また、「観念的」「幻想的」(衆院憲法調査会、2000.11.
9、自民党水野賢一議員の発言)「理想論」と冷笑することも容易である。自衛
権についての思慮が足りないと嘆くことも可能であろう。
  しかしながら、現在でも憲法学界では、現存の自衛隊を違憲とする学説が有力
である。しかも、みてきた「質問戦」がおこなわれた当時、「理想」を語らない
で、何を語り得たか。国際情勢の変化があったとはいえ、警察予備隊、保安隊、
自衛隊と形を変えてやってきた「再軍備」、めまぐるしく変わる政府の憲法弟9
条拡大解釈、加えて、年々増大する「防衛費」、現実に存在している自衛隊や装
備を「近代化」させていく在日米軍と対抗するのに、いかなる他の選択肢があっ
たのか。「「国防意識」というのは、一体何に対して何を守ろうとするのか」(
18)、政府の側から明確な説明がなされたことは寡聞にして知らない。

 また、「国境の彼方で多くの人を殺すこと(戦争において、原文)が誇とされ
るのなら、なぜ国境の手前で一人の人を殺傷することが罪とされなければならな
いのか、という問題は、戦争を承認する場合には解決できな」い問いである(19
)。

 しかしながら、それとは別の問題として、「自衛のための実力を保持すること
なく国民の生命や財産を実効的に守ることができるかといえば、それは非現実的
といわざるをえない」(20)のである。国際政治の現実は、「国家」を単位とす
る抗争が頻発し、「民族紛争」も各地で勃発している。このような情勢下で、石
橋がいう、軍事力を伴った国際紛争が発生しないような環境作りに向けて努力す
る、といった方針では、具体的には何をするのかがみえない。

 複雑に利害が絡む現実の国際関係において、万が一、紛争が発生し、それを議
論では解決できないと判断する「国家」が存在する場合、われわれの「社会」や
生活を守るすべは「軍事力」以外に何があるのか。われわれの「社会」の平穏を
脅かす勢力が、侵入してきた際、あるいは、有無を言わせずに、軍事力で介入し
てくる可能性があるにもかかわらず、全くの無防備でいいのか。平和国土建設隊
は、「治安」や「直接侵略」に対処しないというが、では、その「主たる任務」
は何なのか、判然としない。
 
  現に、1978年6月には、ベトナムのカンボジア侵攻、年末には、ポル=ポト政府
軍との激戦があり、翌1979年には、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻している。石
橋の『非武装中立論』が出版される直前の出来事である。出版後も、中東情勢も
、ユーゴ情勢も不穏な状態が続いてした。
  石橋が前掲のような議論をするに至る背景として、まず個人的要因が考えられ
る。1924年10月生まれで、終戦時20才である。「戦後、佐世保市に引き揚げて米
軍基地の労務者となり、47年全駐労佐世保支部を結成して初代書記長」(21)と
いう経歴をみても、厭戦・非戦・反戦感情が強いことは理解できる。
 
  しかしながら、この年に生まれた者が皆、非武装中立論を支持したかといえば
、当然のことながら、そうではない。歴史学者・今井清一、小説家・安部公房、
社会党参院議員・竹田現照、参院議員板垣正などが同年生まれであるが、例えば
、竹下登(1924年2月生)、安倍晋太郎(1924年4月生)、箕輪登(1924年3月生)、
梶山静六(1926年3月生)は自民党の議員であったし、草柳大蔵(1924年7月生)が
社会党寄りの議論をしていたとはいえない。
  やはり、個人的経歴に加え、社会党内の雰囲気が彼に非武装中立論・違憲法的
存在論の必要性・有用性を認識させたと考えるのが妥当であろう。
 
  石橋の主張をもう少しみておこう。
  「自衛力といおうと、軍事力といおうと、軍隊の力によって国の安全をはかる
という立場をとる限り、そこに限界はないのです。愛国心とやらが高まり、国防
意識についての教育が成功すればするほど、より強大なものを求める声の高まっ
てくるのは当然であり、軍事的対外強硬論にたいし、歯どめをかけることはほと
んど不可能となることは、歴史に照らしても明らかなところといわなければなら
ないのです。そして今度は、呼びおこした」世論が、逆に政治指導者を身動きで
きないまでに縛る結果となる」(22)

 「軍事力は、いかにそれを自衛力といおうと、抑止力といおうと、他国にとっ
てはそのまま脅威と映ることを忘れてはならないのです。要するに、自国の軍事
力は自衛力といい、抑止力と称し、他国の軍事力は脅威と名づけているにすぎな
いのです。」(23)

 こうした石橋の議論が、一定の支持者を得て、一定の影響力をもち、歯止めと
なってきたことは事実である。民社党が「現実政策」を掲げても低迷を続けたこ
とから、石橋は、自らの信念の「正しさ」を次第に確信していったのではないか
。否、民社党の情勢がどうであろうと、彼は「軍事的」なるものを忌避すること
は政治家として、一人の人間として捨て去ることのできない信念をもっていたと
思われる。

 しかしながら、本稿ではここまで捨象してきたが、現今のようなマニフェスト
的視野からみると、数値目標や期限が曖昧であるといわざるをえない。また、石
橋の議論が「正しい」か否かは別として、多くの有権者の賛同が得られなければ
、国会において多数派を形成できず、政権の外からすなわち野党の立場から、与
党の政策を非難することしかできないのが、現実の政治制度である。それがゆえ
にかえって、”「正しい」ことを主張していれば、いつか有権者がわかってくれ
る、だからこの「正しい」主張を訴え続けなければならない”、と判断していた
のであろう。
  政権を執ることができるのは、実は、「正しい」政策を訴えている政党ではな
い。有権者の、より厳密には、投票日に有効投票をした者のうちの相対的に多数
の支持が得られれば、政権は獲得できるのである(24)。投票率が低ければ、ご
く一部の有権者の賛同さえ得られればよいのである。そこに、政策の「正しさ」
を保証する装置は内蔵されていない。
 


◇さいごに


  みてきたような社会党の基本政策からすると、後、1994年に村山富市自社さ連
立内閣が「自衛隊合憲論」を打ち出したことの政治的「意味」はあまりにも大き
い。これまで自民党ですら、現在の自衛隊を「合憲」と言明したことはないので
はないか。社会党がこの基本政策の「ぶれ」から、有権者の支持を失い、勢力を
急速に弱体化させていったことは記憶に新しい。
 
また、1999年には周辺事態法が制定され、「後方支援」が自衛隊の本来任務と
規定された。さらに、安倍政権になってからは、2006年末の法改正により、防衛
庁は防衛省(Ministry of Defense)に移行し、世界有数の「防衛力」をもつ自
衛隊は、海外活動も本来任務とされた。それまでの自衛隊法は、第3条で、「自
衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵
略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維
持に当るものとする」と、国防以外の任務は「主たる任務」ではなかった。さら
に、安倍内閣期には憲法改正のための国民投票法も成立した。
 
形骸化したとはいえ、現行憲法や自衛隊法により、自衛隊の海外における本格
的な武力行使の歯止めとなっていることは事実である。PKO法に基づく海外派遣
で死者が出たことはあるものの、戦前のように、多数の外国人を日本政府の行為
によって殺戮するという事態は幸い招かれていない。
 
改憲勢力の論者からは、いまだに占領下において短期間につくられた「押しつ
け」憲法だから、自主憲法を制定すべきだ、それが「民族としての」自信を取り
戻すことにつながる、との主張がしばしば聞かれるが、公表された憲法改正草案
は、読売新聞案にしろ、中曽根案にしろ、西部邁案にしろ、2005年10月28日に公
開された自民党新憲法案にしろ、「自衛軍」規定等の規定が追加されてはいるも
のの、現行の憲法と構成上の大差はなく、文言の微細な変更にとどまっているの
が大半である。現行憲法の有用性を証明しているかのような皮肉な結果となって
いる。争点となっているのは主として、現行の第1条と第9条であり、「押しつけ
られた」憲法だから、自主憲法の制定が必要だ、との主張の論拠を乏しくしてい
る。前田哲男は、「じつは「自衛隊創設」のほうこそ、”押しつけ”であった」
(25)と述べている。

 1997年夏の参院選で自民党が大敗したことで表立った改憲への動きは「なり」
を潜めてはいるものの、今後、麻生政権は改憲を強く志向していくのか、それと
も、折りをみて憲法改正を実施したいとして誕生した安倍路線とは一線を画し、
独自の選択をするのか。総選挙は間近である。民主党も、外交・防衛政策で一枚
岩とはいえず、政治過程次第では、(前原元代表のように)自民党と変わらぬ国
防政策に転換する可能性は低い状況とはいえない。
  本稿が改憲問題を考える素材を提供できていればと祈る。


(1)木下2003、第4、5章参照。
(2)石橋、1980、64-65頁。本書は、当時、30万部余を売り上げるベストセラー
となった。英独仏訳版が出ただけでなく、ロシア語、モンゴル語等にも訳された
。2006年9月に、明石書店が大塚英志の解説を付し復古版を出した。本稿は、原
著社会新書からの引用である。
(3)同上、65頁。
(4)同上、67頁。
(5)同上、80?84頁。
(6)同上、84頁。
(7)同上。
(8)小林1982、149-150頁。
(9)同上、150頁。
(10)同上、151頁。
 
小林の他党への批判はとどまるところをしらない。例として、以下だけ挙げて
おく。「1950年代の再軍備の発端から、「安保」を進んで受け入れ、つねに積極
的に軍事拡大につとめてきたのは、今日の自民党(およびその前身である諸党派
)の多数派を形成する保守政治勢力である。そのなかの諸派閥の間には、むろん
色合いの違いがあり、また派閥の消長や動きによる変化はあったけれども、大勢
はつねに「安保」の路線を堅持し、自衛隊の増強に力を入れてきた。60年の安保
闘争を抑えこみ、新安保に踏み切ったのも、80年代に防衛費だけ”突出”させ、
軍備の増強を決定したのも、すべてこの保守多数派であった。

そして少数のリベラル派を別とすれば、その大多数は-----地方の保守派と結
びついて----建国記念日や元号法制の実現に努めたように、旧憲法的イデオロ
ギーを持ちつづけてきたといえる。/さらにこうした多数派のなかに、中核と
なって、”防衛力増強”を推進するタカ派(いわゆる”国防族”)がある。こ
のグループは総じて、つよい反共志向をもつとともに、力の政策を信奉し、憲
法九条に対し敵意さえ抱き、改憲についても積極的である。文化や福祉より
も、根本的に軍事を優先させる観点に立ち、”防衛費の突出”に奔走したり、
有事立法の必要を説いたりする点で、国防族は制服組に勝るとも劣らぬ軍拡の
前衛となっている。/同時に彼らはまた、単純で古い軍事的発想のゆえに、人
類の問題を展望する視野を欠き、国民に一面的な「愛国心」を要求するなど、
「核の時代」の戦争をリアルに認識する眼をもたない点でも、平均的な旧帝国
軍人と共通の性格を示している。靖国神社の国営化などに熱心な者が多いの
も、このグループのそうした特徴の一端といえるだろう」(本書、114-115
頁)。

(11)但し池田は、第二次内閣時の1961年、自民党内に憲法調査会を設置してい
る。初の公聴会開催は、1962年2月24日で、改憲の是非等が議論された。
(12)首相公選論なども唱えている。中曽根1996、2004等を参照。
(13)中曽根2004b、75頁。
(14)同上、79-80頁。
(15)同上、82頁。その他、本書第3章「憲法改正試案」を参照。現行憲法の前
文批判、「象徴としての元首」、「防衛軍」の明記、「非常事態条項」、「政党
条項」等について述べている。
(16)1958年、警職法をめぐる反対運動の際、10月24日から臨時大会を開催して
いる。社会党は、11月11日から党大会を開催している。翌年には、企業合理化反
対闘争をめぐって、60年代前半にも、安保闘争や炭労支援をめぐって総評は大会
を開いている。社会党大会の開催直前に開催されたのは、単なる偶然だろうか。
(17)毎日新聞社1969a

(18)石田1968、130頁。「「国防意識」が対外強硬の世論を形成するに至ると
、これを平和の方向に転換することは経済にもまして困難であることを忘れるべ
きではない。」(同頁)とも指摘している。
(19)同上、155頁。
(20)長谷部2006、72頁。長谷部は、憲法の条文と、現実の乖離の例として、憲
   法第21条にある「表現の自由」の例を挙げている。そこでは、「準則」か
   「原理」かが議論され、ともに、「原理(principle)」なのだとされる。
(21)『[現代日本] 朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、143頁。
(22)石橋1980、76頁。石田1968に依拠していると石橋の断りがある。
(23)同上、77頁。

(24)さらに、「1票の格差」問題を考えれば、政権政党の正統性は、ますます
疑わしくなってしまう。違憲状態の迅速な解消が求められている。加えて、国政
選挙における投票率低下問題は深刻化しており、制度の根幹にかかわる問題であ
るだけに、未成年者への啓発活動が重要である。
(25)前田2007、171頁。のち、防衛庁官房長や国防会議事務局長を勤めた海原
治は、「(マッカーサー書簡は警察予備隊設置を?原文)「オーソライズ許 可す
る」というが、こちらは要請なんかしていない。知らない人が後から読むと、日
本の方がお願いしていて、それを総司令官が許可した、と取ってしまうだろうが
、そうではない」と語った(「新国軍の誕生と歩み」『This Is』1989年10月号=
前田2007、171頁の引用による)。

◇引用・参考文献
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  『『世界』主要論文選 1946-1995』岩波書店1995

◇対談
  松下信之・江口昌樹2006 『社会党の崩壊 内側から見た社会党・社民党の15
年』みなと工芸舎

◇新聞記事
「江田氏一周忌」『朝日新聞』1978年5月24日夕刊
「遺志に”すきま風”」『毎日新聞』19778年3月25日

                 (筆者は法政大学研究員)

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