■【書評】

「60年代のリアル」佐藤 信 著            木下 真志

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  本書は、毎日新聞に「2010年7月8日から翌年3月31日まで全36回連
載された」(p.i)もの(第I部)と、「書き下ろし」(第II部「10年代のリ
アル」)によって構成される。連載は著者が東京大学の法学部4年のときで、
「できるだけ自分が10代、せめてハタチだったときの感覚に近づけて書こう」
(p.89)としたものであり、もともとは「大衆・肉体・都会」(p.ii)と題され
た学部ゼミにおける報告という。

しかしながら、主として「安保闘争」から「連合赤軍浅間山荘事件」までを年譜
的に追跡しつつ、その論点は多岐にわたっており、「学部生」という限界を超越
したものといえる。

著者は、この連載を振り返ることも意図した第II部「10年代のリアル」にお
いて、若者文化、You Tube・ニコニコ動画を含むネット社会、サブカルチャーを
素材にやや哲学的に、かつ社会学的に思索する。

「自己と他者との間に存在する」「皮膚」という「境界性」(p.100)に言及の
後、「自己と他者とを遮る障壁であると同時に、自己と他者をつなぎ合わせるも
のでもあるこの皮膚。その持っていた意味を1960年代という肉体の叛乱の時
代に問い直してみようというのが、「60年代のリアル」という連載の持ってい
た意味である。」(p.100-101)と回顧している。

 換言すれば、60年代を語りつつも、現代の若者の感覚を語っている、「若者
論」といってもよかろう。「現代の若者による現代の若者(文化・生き方)擁護
論」である、ともいえよう。

 それ故に、歴史を「追体験」(p.4)しようとの意図はあるものの、「ぼくが
知りたいのは60年代を通してあった感覚」であり、「1960とか1968と
か1969年とか特定の年(ないし時期)に集約された感覚じゃない」(p.7)の
だという言説となる。「ぼくが書こうと(というより感じようと)したのは、ま
ず60年代の空気がどんなものだったかということ」(p.103)であり、「ぼく
らもおんなじ空気を吸っていたら、おなじように行動しただろうか」(同)とい
う感覚である。

 けれども、論旨はそれほど単純ではない。むしろ、読者に様々な思索を要求せ
ずにはいないのである。「60年代の若者たちが」「肉体感覚にリアルを求めて
いた」(p.11)、「その肉体感覚を通じて、他者とのつながり、連帯を感じても
いたのではないだろうか」(p.23)、「リアルを求めて運動していた」(p.15)
等々の表現で、著者が何を伝えようとしているのかは、読者の「年代」によって
は一読しただけで直ちに理解できないかもしれない。

しかし、市民的な運動は「ふわりとした皮膚感覚(とそれに伴うゆるい連帯感)
によって特徴づけることができるかもしれない」(p.29-30)という描写をした
り、土方巽のことばを借りて「肉体の叛乱」(p.69)と形容したり、この「殴っ
て、殴られて、それがひとつのリアルだった」(p.68)等々と指摘したりするこ
とから見出すことが可能なのは、「一体感」(p.23、p.112 他)をキーワードと
する著者の認識方法とそれが当時の若者の生きる糧となっていたという整理であ
る。

 著者のいう「リアル」とは、つまり、「生きている実感」(p.14)、あるいは
「生きがい」(p.126)なのである、という認識に他ならない。それは、「つな
がり」(p.153、p.154他)「一体感」、「連帯」(p.23、p.112他)、「ざわめ
き」の「共有」(p.157)とも表現される。
*「一体感」と「連帯」との差異については細かい分析は途上のようである。

 こうした感覚を次のようにもまとめている。例えば、国会を取り囲んでの「請
願デモ」について、「もうホントばかばかしい」 (p.33)、昨今、街中でみら
れるデモ等に対しても、「自分たちの行動に高尚な意味づけをしようとすること
に、嫌気がさす」(p.33)としつつ、デモが「ジコマンでいいってふっきれたと
ころに」「勢いを得た理由があった」(p.33)ともいう。

「どうせデモの本当の理由がジコマンに過ぎないなら」(p.33)、「それがそう
であることを認めたうえで、社会的な評価を待つしかないんだろう」(p.34)、
「カベを乗り越えるには時に「バカになる」ってことも必要なんだ」(p.35)等
の紋切り型の表現は、前述の「ぼくが知りたいのは60年代を通してあった感覚」
であったという言明と矛盾しないのだろうか。結局、「「バカになる」ことがで
きたからこそ、価値を持ちえたんだ」(p.36)と結ばれてはいるが。

 時代を下ろう。68~69年の大学紛争におけるバリケードについて、「青春
をかけられる理想郷だったのかもしれない」(p.78)としながらも、「理想郷は
どこまでも理想郷であって、夢はいつか果ててしまう」(同)という。

 寺山修司に触れつつ、「肉体による相互理解が暴力的な契機を持つようになっ
た」(p.107)理由も説明される。「全共闘と機動隊の肉体の交歓」(p.68)に
変化が訪れたのが「67年10月8日の第1次羽田事件」だという。60年6月
15日以来、再び1学生が亡くなったことで、機動隊はその後、「ジュラルミン
の盾に隠れるようになった」(p.68)ため、ぶつかり合いが陰を潜めたのである。
再度の転換は、「赤軍派」による「武装闘争」の始まりであった(p.122他)。

著者によれば、「政治の季節」の後、「オリンピックとか高度経済成長とか、
国民がひとつの目標を共有してまとまる季節が訪れた」(p.48)のであった。

 評者は、オリンピックの前年に生まれた。だから、60年安保もオリンピック
も知らない。それは当然、著者も知らないはずである。

 しかし、著者と評者とは四半世紀の年の差がある。およそこれだけの差があれ
ば、「感覚」に大きな差があるのは致し方ないことといえよう。試みに、例えば
自分よりも25歳年長の方の言動を想起してみれば、容易に納得がいく。

 にもかかわらず、「ぼくらの街」と感じる「新宿」と、「いらっしゃい」と
「出迎え」られている感じのする「渋谷」(p.54-55)との対照的な感覚には共
鳴するし、他にも、若さゆえのあせり(p.41他)、後述する高度成長期の生活や
意識の変化、60年代における「理系化」(p.48-49、p.71-72)など共有できる
認識は複数ある。

 けれども、庄司薫の、留保や自問自答の多い文体を模倣しているのか、故意に
くだけた表現にしているのか、「せめてハタチだったときの感覚」(前掲)とし
ても、理解に苦しんだ表現は多い。当時傘寿の芥川賞作家を「オッサン」と呼ん
だりするのは、意図や感覚はどうあれいただけない。

 著者は、人生「初めての国政選挙で日本戦後史に刻まれる政権交代」を経験し
たという(p.169)。評者からみれば羨望の的である。

 「いつの時代に[も?評者補―初版]政治に対する責任ということは言われて
きた」(p.169)が、「今求められている有権者の政治に対する責任の問題は、
「実は」「リアルな政治」と接合しているものであることが明らかになる」とい
う(p.174)。

どういうことかというと、「政治にたいして責任を持つということは政治をリア
ルにすることであり、逆に政治がリアルであるためには、ぼくらは政治に対して
しかるべき責任を持っていなければならない」(同)というわけである。「とす
れば、リアルを求める若者たちにこそ、新しい政治に対する可能性は開かれてい
ると言うことができるのかもしれない。」(同)

 「だとすれば、現在の荒れた政治状況は必ずしも「政治の劣化」としてばかり
捉えるべきではなく、そこに広がる新たな可能性の方にこそ目を向けるべきなの
かもしれない。」(p.174)

 これまで著者の意図に沿って要旨を「紹介」してきたが、「言いたくてたまら
ないから言ってしまうと」(p.112)、「あの時代」を理解することはなかなか
難しいというのが評者の「感覚」である。イデオロギー対立の時代における若者
の「感覚」としては、一部リーダーだけの認識なのかもしれないが、巨大な国家
権力に対抗するには、機動隊とゲバ棒という力対力のぶつかり合いが必要であり、
「個」はあまりに無力で、「つながり」をもつことにしか、活路を見出すことは
できなったのではないか。かといって、過激化した暴力を正当化できるものでは
ないが。

 「政治力学的に捉えたくはない」(p.104)という著者が、「「つながり」の
基層としてあるべき「リアル」の重要性 」(p.154)を指摘し、「皮膚感覚」や
「連帯感」(p.30)などをキーワードに60年代を論じていることは、意図通り
にできているといってよかろう。しかし、以下の疑問を評者は抱いた。あの時代
の思想的背景を捨象して「感覚」だけを抽出することが果たして可能なのか。な
ぜ、「昭和35年から昭和44年」ではなく、「60年代」として、論じられた
のか。「50年代」との関連はどうなのか。

 「60年代」に、新しいテレビや新しい冷蔵庫が「我が家」に届いた日は、物
に溢れた現在感じるよりも、大きな喜びであったことは容易に想像がつく。高度
成長期には、「おんなじ団地に住んで、おんなじテレビ」(番組)を見て(p.68)
大手メーカーが大量生産した炊飯器で同じように炊けたご飯を食べる(p.51)よ
うになった。「マイホーム」を建てるために朝早くから深夜まで一心不乱に働く。
これが、同じような目標に向かって進んでいたステレオタイプの60年代のサラ
リーマン像である。

 しかし、人々が集まって、この「同じ場所」にいることは、一体感を生むどこ
ろか、玄関のドアを閉めた瞬間から「個」の生活となる。さらに、例えば、「同
じ渋滞のなか」(p.51)の「マイカー」のなかの「カップル」、満員電車の中で、
黙って別々に同じ会社が発刊した新聞を読むサラリーマン・・・画一化された同
じことをしていても「別」なのである。著者は、彼らを「物体」(p.52)と呼ぶ。
60年代に、都市では、人々は個性のない機械がそこにいるのと何ら変わらない
状態に変容したのである。

 評者が本書から学んだことは、「生活革新」が「人びとをバラバラにする契機」
(p.51)となったという指摘である。「個」が「鍵」のある玄関によって明確に
仕切られたことが、50年代にあった「連帯」を社会から奪っていったわけであ
る。

 加えて、こうした社会の到来は、それ以前の社会よりも、選挙において組織票
が困難になっていることをも暗示しているとはいえないだろうか。もともと、秘
密投票であるにもかかわらず、「組織票」や「票読み」が可能なのは、人々を
「まとまり」として把握できたためであった。「生活革新」がそれを困難にした
といえる。60年代に、「革新勢力」が低迷したのも、それに一因を見出すこと
ができるのではないかという考えが浮かんだが、それに深入りすることは、小評
の任務を逸脱することとなる。

(佐藤 信 著 『60年代のリアル』 ミネルヴァ書房 2011年12月刊
  217頁+xii頁 定価1800円+税)

(著者には『鈴木茂三郎―1893-1970 統一日本社会党初代委員長の生
涯』藤原書店、2011年もある)

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