「2008年秋の政権交代」への私見

【短期連載】

■「2008年秋の政権交代」への私見         工藤 邦彦

―「福田から麻生へ」をどう見るか     
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◆なぜいま「生臭い話」か


  今から1ヵ月半ほど前のこと、私は「オルタ」の共同代表にして編集長である
加藤宣幸氏と神田・学士会館1階の喫茶室でお会いする機会をもった。じつは私
は以前から、そのときどきのオルタの企画や掲載内容などについて加藤氏よりお
話しいただき、自分の意見を述べたりしていたのだが、この日もそんな話をして
いたのである。
  加藤編集長はその時の会話のなかで、最近の編集内容などに触れながら、今後
の「オルタ」の編集方向はその時々の時局の動きなど「生臭い話」からは一歩間
合いをおいて、「落ち着いた内容の、オルタにしかできない原稿を載せていきた
い」ということを言われた。私も即座にその方針に同意見であることを述べ、あ
とは別の話をしてお別れしたのだった。

 それにもかかわらず、先日また加藤さんと昼食を共にさせてもらった折り、私
は自分から、その「生臭い話」を書かせてはもらえないかと申し出た。オルタの
初期の頃と違って、私はこの1~2年、本マガジンの諸先生や諸先輩にまじって自
分の拙い文章を載せることはいちおう慎み、年1回程度のインタビューの聞き手
となって原稿にまとめる、といったことに自分の役目を限定してきた。そんな私
が恥ずかしながら、自ら「生臭い話」などを書き止めておこうと考えたのには理
由があった。

 私がここで「生臭い話」と言っているのは、最近のテレビや新聞を賑わしてい
る政治ニュース――(1)全野党と全マスコミから「二代続けて政権を投げ出した」
と非難され、そういう評価が常識となってしまった福田総理の辞任と、(2)それに
続いて鳴り物入りで繰り広げられた自民党総裁選と麻生新総裁の誕生、そして、
(3)その麻生内閣による政権運営と解散をめぐる政局がらみの話のことである。私
はこの「最新の政局」と、それを報じるマスコミ報道や「識者・専門家たち」の
発言に大いに違和感をもち、素人ながら、「こんな見方や意見もある。これだけ
は書きとめておかなければ…」という気持になっていたのである。


◆「福田首相辞任会見」の光景


  私がこの<違和感>を最初に感じたのは、その「福田首相が二代続けて政権を
投げ出した」という評価を生んだ、さる9月1日の同首相の「緊急記者会見」の奇
妙な光景と、打って変わったその翌日の新聞各紙(といっても私がざっと見たの
は、朝毎読の3紙だけだったのだが)の記事だった。
  「記者会見」はその日とつぜん唐突に行われた。といっても「福田総理の記者
会見がある」というニュースは、たしか夕方ごろからテレビ画面の上部にテロッ
プで流れ、「何かある」という感じを視聴者に与えていたはずなのだが、これが
「福田辞任」であったことが明らかになったとき画面に登場した人々は、政治家
たちも街角の「市民」たちも一様に、青天の霹靂というような反応であった。い
っぽう私はこのテロップが流れたとき、即座に「これは辞任発表だな」と思い、
その会見の始まりを待っていた。だから、この記者会見の一部始終は、仔細洩ら
さず画面上で目撃できたつもりである。

 この「辞任会見」の内容とその意味するものについては、稿を改めて記述する
つもりだが、ここでさし当たってふれておきたいのは、この会見場におけるマス
コミ各社の記者たちと福田首相の間にあった、どうにも埋めることができない距
離、溝、感覚のズレについてである。現場にいた記者たちと世の識者たちは、こ
れを首相の側のズレと見たのだろうが(そして現にそういう見解がメディア上で
振りまかれ定着しているが)、私が感じたズレは「記者会見に臨んだ側」のほう
についてであり、異様と感じたのは、彼らと首相との間に漂っていた<空気>だ
った。

 原理的に言えばこれらの記者たちは、社会の知識人構造全体の中では、いわば
「現場知識人」の機能をもつものとして位置づけることができる。彼らは時代を
主導する「第一級知識人」でもないし、これを受けてその時代の思想や知識をわ
れわれ<市民大衆>に伝達する「媒介的知識人」でもない(注:この「媒介的知
識人」にはなんらの独創性がない、というのではもちろんない。ここでは「歴史
のパラダイム転換」を主導する力のことを言っているのである)。――そのかわ
り社会のあらゆる場所にいる、かれら「現場知識人」たちは、そういう知識や情
報を社会の「現場」に伝え、またそのことを通して逆に、その現場の大衆的現実
から社会の動力を汲み取って、世の中全体にフィードバックする役割を持ってい
る。
  だからこそ私たちは、こういう会見や取材現場での彼ら第一線の記者たちの鋭
い斬り込みに期待するのだし、戦後の若い記者たちの多くはそれなりに、ある時
期までこの役割を果たしてきたのだと思う。

 しかし、この会見にはそうした「現場」での社会的緊張感は何も感じられなか
った。福田首相の冒頭発言は、彼らしい無表情が印象的な、わずか数分のごく短
いものだった。それから会場では、記者たちからのいくつかの「質問」が受け付
けられた。会見の進行を見ていて、記者たちの質問が最初から管理されていたの
は明白だった。しかしそうであったとしても、彼ら記者たちが発したいくつかの
質問は――それはマイクの加減で、低く聞き取りにくかったけれども――、いず
れも目の前の卑近な「政局」にかかわるものばかりであり、しかもそれは当を得
ていないもののように私には思われた。

 私が見ていたかぎりでは、この会見で、(1)最近の自民党における人気取り的な
「政策の180度転換」(それは一部から、いわゆる「バラマキ」と批判されてい
たもので、それを主導していたのは他ならぬ麻生氏であった)の動きについても
、(2)福田首相の辞任に大きな役割を果たしたに違いない「公明党の政策」につい
ても、これらの記者たちの口からは何も出なかった。
  福田氏は公式には、その辞任の主な理由を民主党に帰していたのだが、さすが
にこの記者たちの無神経・無内容な質問に業を煮やし、「自民党は…」という記
者の言葉をわざわざ「与党でしょ」と言い直して公明党との今後の関係に自分か
ら話を向け、「私には先が見えているんです」「あなたとは違うんです」と、い
つもの彼とは違う苛立ちを見せてこの会見を終った。――そうして翌日の新聞紙
面には、この会見現場とは打って変わった「公明党」の文字が躍っていたのであ
る。


◆記者たちの質問を並べて見ると…


  じつは今回この原稿を書くに当たって、私の記憶に残るテレビ画面上の映像が
不確かであってはいけないと思い、(1)翌9月2日の「朝毎読」3紙に掲載された「
首相会見要旨」と、(2)たまたま録画していたその夜のNHK「クローズアップ現代
」の映像を改めて確認してみた(「クローズアップ現代」の映像からは、この会
見で見せた福田首相の苛立ちがじかに見てとれる)。
  新聞各紙の「要旨」は当然、それぞれ扱いが違うが、私が関心をもつ「記者た
ちの質問」については、次のように記録されていた(記者質問の内容まで掲載し
ていたのは「朝毎」のみであり、「読」には首相発言だけが載っていた)。

 「朝日」と「毎日」では、質問内容の要約の仕方は違うけれども、掲載されて
いる質問の順序も内容もまったく同じである。以下では、より詳しくその内容を
記載している「朝日」から引用する(首相の答えは省略)。

――いつの段階で辞任を決断されたか。安倍首相も唐突に政権を投げ出されたが
、福田総理も同じ形になる。政治、政権に対する不信が巻き起こるのではないか

――新しい体制になれば、どのような点で、いまの事態を打開できると考えるの
か。

――消費者庁、道路の成果は道半ば。(首相を)辞めること自体が政治的な空白
を招くのではないか。

――1日夕方に(自民党の)麻生幹事長と何を話したのか。自ら幹事長に起用し
た麻生氏を総裁選で支援していくのか。

――ねじれ国会で政策遂行が難航した。民主党の小沢代表におっしゃりたいこと
は。

――総理は1ヵ月前に自身の手で内閣を改造したばかり。臨時国会も迎えないう
ちに自ら辞職という形をとったことへの見解は。

――首相会見がひとごとに聞こえるという話があった。自民党を中心とする政権
への影響は。

 ご覧のように、この質問内容はほとんどすべてが目の前にある「政局」につい
てであり、そこに至った背景や政策内容については、まったく突っ込みがない。
それのみかこの当時すでにはっきりと目立っていた「公明党」とのギクシャクし
た関係についての質問さえも、この記事には記録されていない(つまりその質問
は発せられなかったのである)。
  じつはこの時、この最後から二番目の質問に対し、首相は「その後の政治状況
を勘案して…」と言い、最後の質問には「私の先を見通す目の中には、けっして
順調でない可能性がある。…私は自分自身を客観的に見ることができる」と答え
、それから前記のように、苛立たしく「あなたとは違うんです」と吐き捨てるよ
うに言って、会見を終ったのである(この箇所の引用は「毎日」による)。

 ついでに記すと、この最後の質問について「朝日」の社会面は、「強めた語気
。最後に気色ばむ」として特別にとり上げ、(1)この発言を引き出したのは中国新
聞の男性記者であること、(2)この記者が「(会見の冒頭から)首相の口からは愚
痴のような言葉ばかりが聞かれた。改革の「成果」を挙げて見せたが、言葉はむ
なしく響いた」「最後の最後に首相がどう反応するか確かめようと、あえて厳し
い質問を選んだのだ」と言っていた――ということをわざわざ紹介した記事を載
せている。
  いつもテレビ画面からこぼれてくる画像を見て感じることだが、政治・政局問
題に限らず、こういう、あたかも正義の味方のような感情を込めた「質問」が、
最近の記者たちには多すぎるように私には思われる。それはおそらく彼らが、彼
らの現場での質問や取材の役割が何であるかということに、気づいていないのと
対応しているのにちがいない。


◆NHK「7時のニュース」が創作した国会対決


  このことがあってから約20日間、自民党は全国をめぐって、民主的で茶番的な
「総裁選挙」を繰り広げた。そして9月22日の党大会で圧倒的多数により「麻生
新総裁」が誕生した。それは明らかに茶番であったが、その茶番性の中には、こ
の国を支配してきた自民党政治の行き着いた果てがまるごと曝け出されていたよ
うに思われた。
  そこでこの新総裁の誕生以後、日々非常な速度で展開し、ニュースがニュース
を追っていくプロセスをあとづけて、私はそれらのニュースを録画記録したり、
書きなぐりでメモを取ったりすることに時間を費やすことになった。そのプロセ
スの観察の中で浮かび上がってきたことは、(1)ほとんど漫画に属する、貧弱な「
政局展開」のさらなる継続と、(2)その中での「漫画オタク」たる麻生総理の、文
字通りの「裸の王様」の姿(そういう王様らしく、ご本人はそれに気付くことな
く、得々として「総理の役割」を演じているのだが)、(3)それを右往左往しなが
ら追いかけて、ピンボケの言論を展開したり、それをまた修正したりしている「
言論機関の人たち」の姿だった。

 そのなかでも、とりわけ三つ目にあげた「マスジャーナリズムの姿」には、ど
うしてもここで黙って見過ごしておけないものがある。最近のその一つの証拠を
以下に挙げておくことにする。
  10月1日、衆議院本会議では、その前々日に行われた麻生首相の「所信表明」
に対する与野党の「代表質問」が行われ、その様子がテレビ中継された。この代
表質問は、自民党や一部のマスコミが評価する、例の「民主党への質問」にシフ
トした麻生氏の「異例の所信表明」に対し、民主党側がどう対応するかという点
で、特に注目すべきものだった。
  私はこの日、(1)小沢質問とそれに対する麻生首相の回答、(2)新しく自民党幹事
長に就任した細田幹事長の質問だけは記録しようと、録画を予定していたのだが
、ひょんな個人的事情のために、その「代表質問」の最初のほうを見そこなって
しまった(そのあとに行われた鳩山民主党幹事長の質問は収録することができた
)。そこでその夕方から、私は放送されるニュースはどんなものでも記録し、実
際にあったプロセスをそこから組み立てようと、あちこちのテレビチャンネルを
ひねり回しながら録画した。そうした中ではっきり見えてきたのは、(1)放送各社
によってこの質疑応答の報道姿勢に大きな違いがあること、(2)その中では唯一つ
「NHK7時のニュース」が驚くべき<事実の創作>を行っていたこと、だった。

 この「代表質問」を報じた最も早いニュースは、夕方5時からの民間放送各社
だった。その短いニュースは、――そしてその夜10時~11時の各社のニュース番
組も、実際に国会で起きたこと、すなわち、首相の所信表明での「民主党への質
問」に対抗した、小沢氏の「選挙後に成立するであろう新内閣の所信表明」を、
事実は事実としてあったとおりに伝えていた。各社はその「事実」の経緯を、実
際の画像で見せて報じていたのである。もちろんその報道姿勢と政治的立場には
各社によって違いがあり、読売系は読売系らしく、産経系は産経系らしく報じて
いたのは当然である(注:これはまたいつかふれるつもりだが、この小沢氏の代
表質問は、この日あわせて行われた鳩山由紀夫氏の質問、さらに衆議院予算委員
会での菅直人氏の質問とセットになった、一続きのものとして捉えなければなら
ないものである)。

 私がNHK「7時のニュース」を問題視するのは、おそらく同局政治部主導のこの
ニュースが、この日に実際にあった、そして民放各社でさえ事実として伝えてい
た、「麻生氏の所信と小沢氏の質問に見る<立場の逆転>」という本質を、実際
にあったとおりには伝えず、「小沢vs麻生」の政策主題ごとの両論併記のかた
ちに整理して、さも中立的に交互に報じたことである。しかもニュースのアナウ
ンサーは最後に、この事件を解説する政治部記者に対してさりげなく、「小沢氏
の代表質問には質問が少なかったように思うのですが…」と、感想らしきものを
述べていたのである。
これは明らかに一種の政治的な<創作>である。その具体的内容についてはここ
では省略するが、「NHKニュース」のこのような編集では、実際に起きたことの
構造が視聴者にはまったく隠されてしまう。そして、その<編集され、創作され
た事実>を、多くの勤め人たちは帰宅したテレビの前で、実際にあったことのよ
うに見せられたのである。


◆「裸の王様内閣」の行方


  私が加藤編集長の方針にもかかわらず、例外的にその同意を得て、この「生臭
い論」を書こうと思い立った次第は以上のとおりだが、実際の政治プロセスは、
この文章が日の目を見ることになる頃にはさらにスピードを上げて展開し、私が
その一端を取り上げまたこれからとり上げようとしていること自体を、すでに「
生臭いもの」ではなくしているであろうことは確実である。
  現に、今の「麻生自公政権」そのものが、現在進行中の「未曾有の世界経済危
機」さえも自分たちの政局主導の<道具>に使いながら、「最適の解散」に向っ
て機をうかがっており、そのなかで「解散先延ばし論」がいまや自民党の総意と
して公然と浮上しつつある。そしてマスコミ界もその後追いを始めている。

 私の予見は、そのような彼らの目論見がどうあろうと、今後の事態の進行の中
で、この貧弱な、麻生太郎という「裸の王様」の内閣はボロボロになり、やがて
行くも戻るもならない状態になっていくだろうということである。――ただ、今
見るように、相も変らぬ「古い政治図式」と「狭い政局的視野」に捉われたメデ
ィアの姿勢がこれからも続く限り、この裸の麻生内閣がもう少し延命されるだろ
うということはありうる。だが、戦後政治の長い流れを背景にレンズを引いて見
るならば、この内閣も「自公」という権力グループ自体も、もはやその生命力が
尽きていることは明らかである。
  今、その流れの果てに、この古くさく軽いドラマの「登場人物たち」は、その
「作者」を探して、ただ漂っているだけのように見えるのだが、さてどうであろ
うか(08.10.11記。未完)。 

*文中の福田氏の「首相」の肩書は、すべて「当時」である。

                      (元編集者、オルタ編集部)

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