「9・11総選挙の討議を聞いて若干のコメント」

◇「9.11総選挙の討議を聞いて若干のコメント」

                    法政大学名誉教授 力石 定一
────────────────────────────────────1.小泉氏は靖国問題を語るとき「あの戦争に尊い生命を捧げられた人々の犠牲の上に、われわれの今日がある」という感想を述べる。こんな言い方に異議を申し立てるのを聞いたことがないのはおかしい。

「あのおろかな戦争の犠牲になった人々に哀悼を捧げるが彼等の犠牲の上に今日があるのではない。おろかな戦争による廃墟にもかかわらず、生き残った人々の努力によって今日を築き上げてきたのである。」

2.郵政法案をめぐって、小泉総理は衆参両院議員に対し、その投票行動に対して、将棋の駒のように臨んではばからなかったし、これをマスコミは面白がって報道した。政治的民主主義のもとでの国会議員の地位について、基礎的な教養が欠けているように思う。

 ドイツ連邦議会の憲法第36条はこう述べている。『議員は全国民の代表であって委託および指示に拘束されることなく、自己の良心にのみ従う』

 選挙区の人が表決にひもをつけたり、党首や指導部がフアナテックになって指示を押しつけようとしてもそうはさせないという規定である。

  フランスの憲法第27条も同じ意味のことをこう書いている。『命令的委任はすべて無効である。国会の構成員の表決権は一身専属的である』

日本国憲法には、これに相当する条項がないが、独裁的指導者の出現に対する防波堤として歴史的役割を果たしてきた議会の経験から生まれた上記の国の条項は民主議会の運営上の教養として知っておくべきだらう。

 現職の議員の自殺があったり「刺客」候補といった言葉が安易に語られたり、取り消されたりといった状況に「冷水」を浴びせる意味で紹介しておく。

3 郵政法案の論議について、西欧諸国では民間銀行の市民に対する横暴な低預金金利の押し付けや、貸付活動の冷酷さに対するチエック要因として公的貯蓄銀行が重要な機能を果たしている事情の紹介が無視されている。

 たとえばドイツでは金融機関に占める個人預金のシエアの40%を地方自治体の貯蓄公庫が占めている。預金金利と貸し出し条件で大銀行と違ったビヘイビアを見て市民に歓迎されているのである。日本の郵便貯金も営利にのみゆだねた金融市場のいわゆる「市場の失敗」を是正するような西欧型の活動をめざすという改革について、語られるべきだと思うのに、もっぱら縮小だけが論じられている。

4 民主党は年金改革を焦点に据えたいようであるが、厚生年金と国民年金の統合のプロセスをもっと具体的に分かり易く述べるべきである。

 日本の公的年金の財政方式は「積み立て方式」をとってきた。現役世代から保険料をとっておいて、積み立てて運用利益を加え、老後に年金として支給するというものである。政府が国庫補助金を入れるので、その分「修正積立方式」だというわけである。

  欧米の公的年金は「賦課方式」である。現役世代の保険料をそのまま老年世代への年金支給に当て、現役世代の老後は、次の世代の保険料で老齢年金を支給するという巡送りの方式である。

 日本は「積立方式」をとってきたので、現在積立て金残高は、厚生年金138兆円、国民年金10兆円の計148兆円(GDP 536兆円の27%)という膨大な額に達している。財政投融資に運用して、コゲつきをだしたり、株式市場への投機に失敗して損したりしている。郵貯の財投についてあれだけ批判するなら、年金の財投運用について、何故、皆黙っているのか。

 積立残高は厚生年金の場合、年間支給額の約5倍である。

 欧米の場合は賦課方式が原則なので、積立金がこんなに貯まることはなく年間支給額の一倍以下で、普通「準備金」と呼んでいる。

 「積立方式」はインフレで目減りしたり、デフレで欠損したりで個人の年金権を侵害するものであって、「賦課方式」の方が正しい。

 欧米も最初は「積立方式」をとっていたが、間違いだと分って「賦課方式」に転換したのである。

 アメリカは、1935年のニューデイールで「積立方式」をとるが積立金が年金として支払われないで消費購買力を減少させることになるとして反省し、1939年に「賦課方式」に転換し今日に至っている。ブッシュ大統領は今、ニューデイール以来の「賦課方式」の公的年金を、日本の方式に学んで「積立方式」に転換しようと策して、今国民の猛反対を受けている。

 西欧では1941年にフランスが、スウエーデン、イギリスは1948年、西ドイツは1957年に「積立方式」から「賦課方式」に転換している。

5 私たちが「積立方式」から「賦課方式」への漸進的移行を決定すれば、147兆円の積立金の取り崩しを大幅に行ってゆく。まず、国民年金の支給額月6万円を民主党は月7万円に上げると言っているがもっと大きく二倍の12万円にする。年額では72万円から144万円になる。

厚生年金の基礎年金部分は国民年金と揃えているので、これも72万円から144万円に引き上げられ、この上に所得比例の年金が乗るから総額では72万円の増額となる。
 このために要する積立金の取り崩しは国民年金に3兆4000億円、厚生年金に9兆9000億円で計13兆3000億円である。残高の約9%の取り崩しである。

 現在、20歳の人の場合、国民年金の掛金は月1万3300円、年15万9600円×45年=718万2000円。 

年金支給額は65歳以後85歳まで生きたとして45年後に72万円×20年=1440万円で掛金総額の約2倍である。

支給額を2倍に引き上げると144万円×20年=2880万円で掛金総額の約4倍となる。これなら国民年金に加入を拒否している40%の市民が俄然加入意欲を示すことにより保険料収入の増加がおこるだろう。

 国民年金と厚生年金との統合に向う展望を基礎年金の橋渡しを(積立金の取り崩しによる)通じて完成するようにもってゆくことが当面の課題だと思う。

 国民年金の受給世代の子や孫でサラリーマンになっているものは多い。厚生年金の現役世代とは世代間の連帯関係にあるわけで、「賦課方式」は世代間の得再分配であることを皆が知ることが大事である。

 積立金の取り崩しは約10年間行いうるから、この間に次の年金の財政収支のとり方についてコンセンサスをまとめることができよう。

6 20世紀末以来日本経済のゼロ成長とゼロ金利の局面が継続し国民的な改革の期待の波を呼んだ。改革には二つの選択肢があった。

 第一は 30年代の大不況以後の混合経済、公的セクターと民間セクターの組み合わせによる経済成長政策が、環境の危機で行き詰まった。そこで、経済をクリーンセクターとダーテイーセクターに分って、ダーテイーセクターを抑制、切捨ててクリーンセクターを選択的に成長させるような新しい政策モデルをとる潮流である。
 その場合ニューデイールや福祉国家のうちヒューマニズムの遺産となる要素は当然継承されなければならないと考える。
 第二は 混合経済というケインズ革命は間違っていたと考え、公的セクターを縮小し、民間セクターのヘゲモニーを再建する反革命(小さな政府)を改革の理念とする政策モデル。サッチャー、レーガニズムの潮流である。

 ニューデイールと福祉国家のヒューマニズムに対する反動的な否定、ワイルドな資本主義的欲望の礼賛が行われる。

 私は小泉氏の構造改革論はニューデイールに対する反革命としての反動的なサッチャーリズムであると思う。

 私たちが1960年代に唱えた構造改革論はニューデイールと社会民主主義のヒューマニズムを継承するものであった。そして20世紀第四半紀以来、現代経済の技術の選択に反生態学的なものを含んできており、混合経済と計画化のシステムは内容においてダーテイーセクターを抑圧しクリーンセクターを成長させるサステイナブルデべロプメントの政策モデルに転換しなければならないと考える。

  総選挙の争点は、本来ならば日本型サッチャーリズムかエコロジカルニューデイールかという二つの構造改革論の戦略的展望に関する国民的選択を問うべきものであろう。

 しかし残念ながら日本の環境運動はシングル・イッシューのものの多発にとどまっており、「緑の党」は未形成である。欧米でも「緑の党」は少数党として存在しているが、統治能力から、はるかに遠い所にある。