【書評】

『いま言わずして 二人誌「埴輪」』
  宇治 敏彦・小榑 雅章/著  三恵社/刊  本体価格1,500円

山本 利明


 メディアのあるべき姿についてかねてより問題意識を持ってきた。安倍政権のもとでマスコミの劣化が進行していると懸念していたが、さらに米国でもトランプ大統領が既存の報道機関を異常な形で攻撃するのを見るにつけても、事態は深刻だと感じていた。

 そんな折に、本書を手にした。本書は、東京新聞で主に政治記者だった宇治敏彦氏と、『暮しの手帖』の編集者であった小榑雅章氏によるブログ雑誌『埴輪』の一部を出版化したものである。雑誌『埴輪』のルーツは、なんと二人が早稲田大学付属高等学院で知り合った頃(昭和28年)に目指した同人誌にある。いわば著者たちの青春時代の墓標のようなものだ。

 その後、紆余曲折はあったが、当初の『埴輪』は1961年から70年まで23号にわたって早稲田大学の友人を加えた形で刊行され、さらに歳月は流れて、小榑・宇治の両氏が『埴輪』の復刊を実現させたのが2008年。ブログ雑誌として100回の投稿を重ねて、これまでの諸稿を紙ベースでまとめたのが本書である。

 構成は、前半部は宇治氏による「政治ジャーナリストの叫び」と版画万葉集・宇治美術館。後半部は小榑氏による「戦うべきは権力だ、国だ」(副題は「花森安治に教えられたこと」)と続く。宇治氏の版画は、装丁だけでなく、11作品が挿入されており、なかなか素朴な味がある。本書の論調は歯ごたえたっぷりであるが、読み疲れたときに版画にふと目を落とすと心を癒してくれるという不思議な効果がある。

 さて内容だが、問題意識は、きわめて明瞭だ。「戦後民主主義の頑強な信奉者がどっこい生きている」ことを世に示したいことだ(小榑氏のあとがきより)。

 宇治氏の論考では、政治記者としての経験と識見が散りばめられているが、通読してみると、時代の流れの早さを改めて痛感する。
 やはり面白いのは、政治家の実像に迫っている部分だ。今をときめく安倍首相については、お友達を偏重する体質を批判しながら、次のようなエピソードを紹介している。
 日本記者クラブの新年会に出席・挨拶をして貰った後に懇親会に残ってくれるかと期待していたが、首相はそそくさと退場。怪訝に思っていたら、翌朝の新聞の「首相の一日」を見て納得した。「記者クラブでの挨拶後、読売新聞ラウンジで渡辺恒雄氏他と二時間近く会食」とあった。公私のわきまえ、「バランス、目配りに欠ける政治家をトップに戴く日本の未来は決して明るくない」と手厳しい(2014年1月9日記)。

 宇治氏は政治家に最も必要とされる三要素は、常識、学識、良識(三識)だという。それぞれを涵養し、踏まえたうえで実行力をつけた政治家像を望む。他方、マスコミのほうにも注文がある。自戒を込めて、朝日新聞の慰安婦問題での対応を批判。「朝日問題は、朝日の奢り体質の問題という側面と、保守政権の暴走に歯止めをかけてきた良識マスコミの後退という側面の二つを提起している」と総括している(2014年9月6日記)。

 さて、後半部分の小榑氏の主張も、論旨が明快である。『暮しの手帖』の責任者だった、花森氏が、「ジャーナリストの使命は何か」と問われて、「権力に抗すること。権力を糺すこと」「権力に迎合する、まして応援するなど、ジャーナリズムの最も恥ずべきことで、やるべきことではない」と答えたことの紹介がずばり本質的部分であろう(2015年1月17日記)。

 さらに、あとがきの部分でも、花森氏の厳しく鋭い問いかけを引用している。すなわち、「君はそれでもジャーナリストか!」「牢獄に入る覚悟で原稿を書いているか」「権力は牙を研いでいる、君はペンを磨いているか」「ジャーナリストの使命は、庶民のいのちや暮らしをめちゃくちゃにする馬鹿な戦争を、ふたたび起こさせないようにこの国を歩ませることだ」(P241)等々。

 小榑氏はユニークで多彩なキャリアを持った人だ。ジャーナリズムの世界から、ダイエーの中内功社長のもとでブレーン的役割を果たした。阪神大震災のときには、FMラジオ放送会社の社長も経験。その後、大学で社会学博士を取得したうえで、企業やNPOの利他的行動の社会心理のリサーチに転じて、向社会性研究所まで立ち上げている。

 小榑氏の多角的な視点からの時事評論は、マスコミ論だけでなく、企業の社会的責任論、東日本大震災、原発問題等々、実に幅が広くかつ深みがある。評者にとって最も印象的で衝撃的だったのは、「靖国神社になぜ行かなくなったのか」(2010年7月29日記)と「3.10と3.11」(2014年3月10日記)だ。小榑氏は父親を戦争で亡くして、姓名・階級のみが記された白木が入った遺骨箱と対面した。母親は、靖国神社では階級の上下で差別されていることを知ってから参拝を止めたという。

 3.10は東京大空襲の日だ。無差別空襲の危機の下で、気丈な母親の機転と執念で氏は九死に一生を得る。その体験記には迫力がある。3.11は言うまでもなく東日本大震災だ。多くの命を奪ったこの未曽有の出来事を、「私は、忘れない。忘れられない」と結んでいる(P218)。

 政治とメディアのあり方を考える上で、本書の示唆するところは多い。ぜひ、幅広い方々に読んで頂きたい本であると確信した。

 (大阪電気通信大学教授)


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