【書評】

『じゅうぶん豊かで、貧しい社会―理念なき資本主義の末路』

  ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー/著  村井 章子/訳  筑摩書房/刊  定価 2,800円+税

藤生 健


 本書は経済学というよりも、哲学から現代の資本主義と経済学の有り様を問い直す書になっている。ロバート・スキデルスキー氏は、経済史を専門とするケインズ研究の泰斗。共著者で息子のエドワードは中世哲学の研究者であり、この二つの視点から、人類がかつてないほどの富を生み出したにもかかわらず、貧困あるいは貪欲から脱却できず、同じ理由から長時間労働に従事し、「人間らしい生活」が実現できない資本主義の現状と課題を読み解いてゆく。

 経済成長や技術革新が進めば進むほど、所得格差や資産格差が進み、貧困が内在化してゆく現代資本主義の特徴を見つめ直し、「豊かになることが幸福」という従来唱えられてきた価値観を一旦脇に置いて、「貪欲からの脱却」「(精神的幸福ではなく)良い暮らしを実現するための基本的価値」を思索、追究してゆく。

 例えば、一定以上の所得のあるものは、所得の多寡で幸福や満足が左右されることはなく、家電製品の普及は実は家事労働時間を大きくは減らさなかった。ケインズは1930年代の経済成長率や技術進歩を見て、百年後には資本主義が抱える諸問題は解決され、生活に必要な収入を得るには少々の労働時間で十分となり、人々は余暇を楽しみ、創造的な活動に専念できると予想した。だが、現実には技術革新で中間的な雇用は失われ、貧困層は低賃金が故に超長時間労働を強いられ、富裕層は富裕層でさらなる貪欲を追求するために長時間労働に従事している。こうした課題について、現在の経済学は相変わらず経済成長と資源配分(再分配)の視点からしか論じないが、果たしてそれで良いのだろうか。

 確かに近年では「幸福の経済学」が提起されているが、「精神的に充足した状態」に客観的な指標はあるのだろうか、現代資本主義の暴風に対して「人間らしい生活」を提起する基準になり得ているのだろうか。この点について本書は否定的だ。

 少なくとも現代の中・先進国においては、社会の命題は「稀少な資源をいかに分配するか」ではなく、「十分に蓄積された富をもって、いかに万人が人間らしい生活を送れる社会をつくるか」に移行しているはずだが、現状の大多数は相変わらず「いかにしてもっと富ますか」ばかり論じられている。

 その象徴はAIとロボットであり、近い将来、これらによって現在ある労働の相当部分が代替されると言われている。特に20世紀において中間所得層の根幹をなしたホワイトカラー事務職の大半がAIにとって替わられる蓋然性が高く、今後、所得格差は加速度的に拡大し、失業が増えることが予想される。にもかかわらず、生産力はさらに高まるのだから、社会の歪さが増してゆくのは避けられそうに無い。富の蓄積が自動化されるのが確実になりつつあるのに対し、「人間らしい生活」を保証する社会制度は未整備なままの状態にあるのだ。

 現代の先進国や中進国が例外なく抱えている課題であり、著者らの提起する価値観に首肯するかどうかは別にしても、少なくとも問題提起を自覚し、考えて議論し始めなければ、またぞろ昭和初期の日本やヴァイマール末期のドイツがごとく暴力的解決を望む声が高まってゆくだろう。

 (政治評論家)

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