■【書評】 

「アメリカと共に沈みゆく自由世界」 K.V.ウオルフレン著、

   徳間書店刊  1800円
                            増野 潔
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  著者はオランダ生まれのジャーナリスト。今は日本に住み、日本の政治の特
徴を「画策者なき陰謀」と表現したことでも知られる。この著作では、「画策者
なき陰謀」が米国でも、コーポラティズム(市民ではなく、軍部、巨大企業、キ
リスト教福音派などの利益団体による支配)の形で進み、EUも(断定は避けて
いるものの、EU機構の官僚によって)進行する可能性が高い、と示唆している。

 09年の政権交代以後、日本の政界、検察、マスコミの奇怪な動きに愕然とし
たぼくだが、どうやら、その震源地は米国で、日本よりは、米国に対する隷属度
が低いと思っていたEUも、50歩100歩なのだ、という認識を本書から得た。
 
  この巨大な「画策者なき陰謀」に対して、無力な我々に何が出来るか?著者も
適切な回答を持つわけではないが、本書後半に、ヒントが読み取れる。
その一つは「西側の価値観」と言った曖昧な線引きをして、敵と味方を分けるの
は危険、ということだ。「イスラモファシズム」という言葉が、米国で使われる
が、頭から爪先まで黒衣をまとった服装(イスラム教徒の女性にとっては、極く
普通の服装にすぎない)などと結びつき、見慣れない文化に対する違和感を助長
することは、民族差別と容易に結びつく。(ぼくも08年にイラン旅行するまで
は、服装への一種の偏見を持っていたので、その危険はよく理解できる)
 
  著者は、西側の価値観が失われると危惧する人は、実は、世界中の人々の考え
方には驚くほど共通するものがあることを見過ごしている、と指摘する。
世界の何処でも、殺人はタブーで、人の物を盗むのは悪だ。昔は、戦いに勝った
勇者が称えられたこともあったが、それは今では、スポーツなどの分野に限定さ
れている。誰もが、荒々しい隣人ではなく、友好的な隣人を望む。それは、信じ
る宗教によって大きな違いは無いし、無宗教者と信仰厚い人との間でも、基本的
な違いは無いだろう。

 上記のような、普遍的な価値観とも言えるものを「自国民だけが共有する」と
信じている人は、意外にも、外国をあまり旅したことのない人によく見られるも
のだ、とぼくは思っていたが、著者によると、実は米国人は、あまり海外旅行を
しないと言う。(日本と違って、国土が広く、国内だけでも観光資源は沢山あ
る、という理由もあるだろう)

 われわれは、まず日本の「画策者なき陰謀」の認識を、多くの人に広める必要
がある。最近の東日本大震災における放射能汚染の危険を、曖昧にボカそうとす
る東電や御用学者、マスコミの結託は分かり易い例だ。

一方、ツイッターなどの新しいネットツールは、陳腐化するマスコミに対する、
民衆の有力な武器になる。一つの適切な情報は、短時間で無数の山彦のように拡
散が出来る。陰謀に気付いた人は、知恵を出し合い、効果のありそうな活動(容
易に開催できる、少人数の勉強会や、ML=メーリングリスト=ネット上のサー
クルなど)を起こすべきだ。昔のような「金時飴」(何処を切っても同じ顔)的
な集会ではなく、活動家用語を使わない、庶民の言葉で話し合える、人間のネッ
トワークを幾重にも創らなければ「画策者なき陰謀」の基盤を崩せない。

 既成の政党、団体などは、あまりアテにしない。彼等の多くは、旧いものに囚
われている。「画策者なき陰謀」は、旧いものの中に根を張るのだから、ツイッ
ターのように、双方向性を持つメディアの方が、陰謀にとっては脅威になる筈
だ。賢い、自立した情報網を持つ民衆こそ、「画策者なき陰謀」側が最も恐れて
いるものなのだから、我々自身が、その民衆になろう。

追伸:3月26日、ツイッター運営会社が「従来、140字の字数制限を4月か
ら、日本に限り、17字に制限する」と発表。「画策者なき陰謀」が早くも予防
作戦開始か?
              (評者は秦野市在住・エッセーイスト)

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