『シティ・ファーマー』

【書評】

『シティ・ファーマー:世界の都市で始まる食料自給革命』

    ジェニファー・コックラル=キング/著  白井 和宏/訳
    白水社/刊  定価2,592円

西分 千秋


 2000年代後半、都市の中で食料を生産しようという試みが各地で急増し、著者が調査を始めた当時は、まだ多くの人々にとって都市農業はまったくの隙間産業でしかなく、現実性のない実現不可能なアイデアだと思われていました。
 しかし、今では世界の都市で、屋上菜園、養蜂場、都市農家が広がり、超高層ビルの狭間にあった「食の砂漠」が「食のオアシス」に変わりつつあります。人口密度の高い都市で行う農業には様々な課題を抱えながらも、都市で食料を生産しようとしている人々の物語を広めたいとの願いから執筆に至ったと書かれています。

●静かなフード・ムーブメントと都市農業の台頭

・第1の波

 1992年11月イギリスの番組「フード・ファイル」で、NGO「持続可能な農業、食料、環境(SAFE)連合」の議長であるティム・ラング氏が指摘したのは、当時ほとんどの人が気づいていなかったグローバル化した食品システムの問題についてだった。そこで、どうすれば消費者がこの問題を議論できるようになるか考えるようになり「フードマイル」という手法を検討した。これは食料が生産された場所から、最終的に消費者が購入する場所までの距離のことである。「フードマイル」は、食の未来をめぐる重要な戦いに消費者が参加できるようにするための表現である。自分の食べものがどこで、どのように生産されたのか、消費者が理解すれば、目に見えない変化が起こると彼は確信していた。
 1986年、ローマのスペイン階段の脇にマクドナルドが開店したことがきっかけとなり、食文化のグローバル化と画一化に反対する人々が、「スローフード」運動を立ち上げ、1989年には同様に怒りを覚えた15か国の食通の人々がパリに集合し「スローフード公式宣言」を行った。

・第2の波

 2000年代に入ると、「フードマイル」や「スローフード」の広がりから、「地産地消」が世界的な運動になった。北米では消滅しかけていたファーマーズマーケットが復活した。農家から食べものを直接購入する仕組みとして「地域支援型農業」という仕組みも登場した。2010年には全米で1400以上になっている。
スローフード運動は世界中に広がり、その目標も人々の意識の改革から、実際に行動することへと発展した。生物多様性の保護、農業労働に対する適正な賃金の支払い、家族農業への支援、食べものに関する伝統的な知恵の継承といった、具体的な活動に取り組むようになった。
 スローフードの新たな哲学は、味と文化の平準化と食品産業における多国籍企業の寡占化、工業化された農業に対して、真正面から反対することである。2007年にジャーナリストのカルロ・ペトリーニ氏は、「消費者」という受け身の言葉を放棄し、「共同生産者」という表現を提唱した。

・第3の波

 2008年には、歴史上初めて、都市の人口が地方の人口を上回った。2030年には、全体の3分の2以上の人々が都市に住むと予測される。既に先進国では人口の80%が都市に住んでいる。
 「地産地消」を考えるようになったのが第2の波なら、「食料の調達方法」を考えることが第3の波の課題となった。少しでも燃料を節約するには、食品の流通距離を短くしなければならない。都市生活者である私たちは全てを都市の中で調達しなければならない。食料を生産するために必要な、土地、水、労働力などの資源は、都市の中にも存在する。食料生産も考慮に入れて都市を再設計することで、新たな可能性も開けるだろう。
 これまで、農業や食料の生産は、州や県、国と言った広域行政が対応すべき課題とされてきたが、今では何百万もの人々が都市で生活し、どこまでも都会の風景が続く。21世紀には、国でなく都市が新たな食料改革の推進役になるのも当然である。
 地域支援型農業やファーマーズマーケットなどを通して供給される農産物は先進国にとって必要な量の1%にも満たないのが現実で、ほとんどの食料はスーパーマーケットなど大規模流通システムを通して販売されている。食料生産システムを改革するには長い道のりが必要であるが、石油、水、土地が不足する将来に向けて、都市の住民に食料を供給する方法を人々が考え始めたことは事実である。

●近代都市農業の起源パリ

 「ゲリラ・ガーデナー」と呼ばれるグループが登場し、空き地になっていた工業用地や放棄されたままの土地で、所有者に許可を得ることなく農作物の栽培を始めた。「グリーンハンド」と呼ばれたこの運動は、今ではパリ市公認の「コミュニティガーデニング支援団体」へと発展した。 
 パリ市は園芸目的の殺虫剤使用を市内全域で禁止した。伝統的な地元産の食材を守ろうとする意識も高まり、ポントワーズ・キャベツなど在来種の作物の栽培が流行になった。
 「エッフェル・パーク・ホテル」の所有者コリーヌ・モンセリ氏は、バルコニーでミツバチを飼い、3つの巣箱から年間135キログラム以上の蜂蜜を採取している。展覧会場・美術館「グラン・パレ」の屋上や超高層ビル、パリ4区の市役所、シャルル・ド・ゴール空港にも巣箱が置かれている。

●生産する首都ロンドン

 マーク・リデル・スミス氏はロンドンの北部の街中に住み、自分が利用できるアパートの2階3階の小さなスペースで、どれだけの野菜が生産できるのか、知りたくなりやってみたところ、予想以上の収穫があった。
 「垂直菜園」というブログを立ち上げ、野菜の生育状況を伝えるとともに、NPO「垂直の菜園(Vertical Veg)」を設立した。彼が目指したのは、一般の市民農園の面積で生産できる量と同量の野菜を自宅で生産することだった。少なくとも、年間500ポンドで購入している分と同量の野菜を生産することを目指した。2010年には年間83キログラム、店で購入すれば約900ポンド分に相当する量を生産できた。これが、本書の表紙にもなっている「垂直菜園」である。

●都市開発から都市ワインへ

 ロンドン南部に住むリチャード・シャープ氏は、フランスの村を訪れた時、村人全員が協力してぶどうを収穫し圧縮している光栄に驚かされた。彼も自宅でブドウの木を数本育てており、同じような作業を友人としていたからだ。ロンドンに戻った彼は友人たちと共同出資でワイン醸造場「アーバン・ワイン・カンパニー」を設立。2010年には100人の組合員を集めて協同組合を設立し、最初の収穫で1300本のワインが生産され、ブドウを提供した組合員は1人6本のワインを受け取った。シャープ氏は「ワインを育てるコミュニティが、ロンドン中に広がりつつある」と言う。

●カナダの西海岸バンクーバー

 2007年の調査ではバンクーバー市に住む世帯の半数がガーデニングを行う場所を保有している。市には55ヶ所のコミュニティガーデンが登録されている。
 「シティ・ファーマー本部」は、事務所と思えないほど、花や野菜、果物であふれていた。NPO「シティ・ファーマー」の創設者レヴェンストン氏は、今の食料システムが、どこに向かっているのか、農業が将来どうなるかもわからない。それでも、地方自治体が都市農業に対して支援を始めたのは初めてのことである。開発途上国における都市の広がりは、歴史的にも経験のないことで、流動的な現象であるが膨大な人口が都市に集中していることは確かである。都市と農村の人口比率が逆転した以上、食料システムもきっと変化するであろうと語っている。

●キューバ・全国規模の都市農業

 1950年代後半から1980年代までのキューバでは、資本主義諸国と同様に工業型農業を推進した。共産主義国であり、国有農場だったため、資本主義国以上に大規模化することで生産効率を上げた。高度に機械化した単一農業と集中的な家畜飼養を拡大したのである。
 1980年代には年間130万トンの化学肥料と8000万ドル相当の殺虫剤を使用し、高収量の作物を生産した。集団農場を近代化して効率的な運営を行い高い精神性を誇示することが共産主義革命の勝利と考えられた。しかし、それはキューバがソ連と結んだ特異的な貿易協定による、見せかけの経済の成功があった。
 1980年代末になると東欧の共産主義体制が崩壊を始め、1991年のクリスマスにソ連が崩壊したことにより、輸出品で主力の砂糖の販売先を失った。農業資材の80%を輸入に依存していたキューバは、輸出が85%減少し壊滅的な状況に陥った。

 国際社会から孤立したキューバでは国際援助なしでこの危機を乗り越えるため緊縮計画が実施された。大量の労働力や有機肥料を必要とせずかつ高収量を実現する農法を開発するため、農家を支援することが科学者の任務とされた。畑を耕し肥沃にするため、雄牛が使われた。混植や輪作体系が試された。国家的に種子を共有する体制が構築され、土壌の専門家を育成して、農家はいつでも助言を受けられるようにした。輸送や冷蔵に必要なエネルギーもないので、すべての都市の空き地を使って有機農業を始めた。直売所を併設した都市農園が次第に広がり食料生産システムの重要な基盤が築かれた。
 2000年代になると、首都ハバナで消費される生鮮食品の90%が市内や近郊の農縁から調達できるようになった。緊急手段として始められた都市農業が、分散的な食料システムを形成し、キューバ・モデルと呼ばれる食料安全保障のしくみを築いたのである。

 「シティ・ファーマー」(原題 FOOD AND THE CITY)を読んで、ここではほんの一部しか紹介できませんが、ジェニファー氏のレポートは、単に都市のアパートのベランダや庭先で作物を作ることを推奨するものではなく、都市における食料を中心に据えた地域コミュニティを再生し、食料生産システムを構築していくことがいま必要なことである、それにはまだ可能性は残っており、都市に住む私たちが行動を始めることが重要であると。
 いま、食料を生産するために必要な水、土地、燃料が尽き始めており、工業的な大規模農業には限界が来ているといわれています。さらに遺伝子組み換え作物の栽培は多国籍企業による種の独占、農地の大規模化によって、地域の多様性が前提の種子と農法、文化など人々の暮らしを壊しています。環太平洋経済連携協定(TPP)など自由貿易により、ますます食料主権が脅かされる可能性は強まりますが、世界中で自分が住む地域の中に、食と農を中心に据えた多様で小さなつながりを作るために行動する、それが食料自給革命への1歩に繋がると考えます。

 (評者は「たねと食とひと@フォーラム」共同代表)


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