【書評】

『ヘイト・スピーチとは何か』

師岡 康子/著  岩波新書

岡田 一郎


 本書は、長年、ヘイト・スピーチ問題に携わってきた弁護士である筆者が、ヘイト・スピーチの定義、諸外国のヘイト・スピーチ規制の実態、我が国のヘイト・スピーチの現状について過不足なくまとめた、まさに「ヘイト・スピーチ問題入門」とも言うべき書物である。筆者自身はヘイト・スピーチを法律で規制するべきという考えの持ち主であるが、ヘイト・スピーチ規制慎重論も十分考察しており、慎重派が最も心配する規制の濫用の危険性が我が国で高いことも踏まえていて、規制慎重派の私が読んでも特に主張の偏りを感じさせない、公正な内容である。

 本書が出版された2013年は、在日特権を許さない市民の会(在特会)のデモやその際の聞くに耐えない罵詈雑言などが内外のメディアで取り上げられ、安倍晋三首相や舛添要一都知事のような保守的な立場の政治家も憂慮の念を発表する事態に発展していた時であった。そのため、本書を読むと、筆者の切迫感がひしひしと伝わってくる。

 ただ、その後、警察庁も内外の批判におされてか、『治安の回顧と展望(平成26年版)』の中で「極端な民族主義・排外主義的主張に基づき活動する右派系市民グループ」として在特会を取り上げるなど、次第に監視や取り締まりを強化していると言われており、本書で書かれているような、在特会がコリアンタウンで買い物をする人びとにまで暴力をふるうと思われる。一方で、町の本屋に嫌韓・嫌中本があふれ、それを多くの人が求めるなど、汚点対するヘイト・スピーチは今なお、日本中にあふれかえっている。

 しかし、ヘイト・スピーチに反対していこう・規制しようという動きは日本では、以前に比べれば沈静化しているように私には思われる。その理由は、本書では想定していなかった事態、すなわち、在特会のヘイト・スピーチに対して批判を加える集団(いわゆるしばき隊)の不祥事が最近発覚したためである。例えば、難民を揶揄する風刺画を発表した漫画家に賛同の意を表明した人びとの個人情報を勝手に公開したしばき隊のメンバーや、しばき隊に対して批判的な言動をおこなった弁護士や在特会の女性メンバーに twitter で罵詈雑言を浴びせ続けていたしばき隊メンバーの身元が発覚し、共に社会的制裁を受けるという事件が発覚したことである。
 在特会のデモやヘイト・スピーチを目の当たりにし、何とかしようと立ち上がったしばき隊の心情は理解出来るが、目的が善ならば何をしても良いと彼らが思っているとしたら、心得違いもはなはだしい。差別をなくすためには、差別問題に無関心な人びとに他人を差別することの醜さを伝え、差別反対の訴えに賛同してもらい、反差別の世論を盛り上げていくことが必要である。しかし、一部のしばき隊のメンバーの行いは中立的な立場に人びとに「在特会もしばき隊もどっちもどっち」の印象を与え、差別問題への関心を薄れさせてしまうおそれがある。

 また、個人的に気になるのは、反差別の立場をとる人たちには、マンガ・アニメの愛好家に対して敵意を持っている人々が多いということである。しばき隊関係者のインターネットにおける発言を見ていると、「キモオタ(気持ち悪いオタク)」などといった差別用語を平気で使っている者が多い。また、マンガ・アニメ調の女性キャラクターを学会や地方自治体がポスターなどに採用すると、地元の人々は全くそう思っていないにもかかわらず、「女性差別」などと声を上げる人々が関係ないところから現れ、日頃から反差別を標榜している方々がそれに便乗するという事件が度々おこっている。
 そういう光景を見ていると、私のようなマンガ・アニメ愛好家は本書の「人種差別禁止法(民事法)の中にヘイト・スピーチの民事規制を入れ、国内人権機関による運用を図ることから出発することが現実的かもしれない」(本書212ページ)という指摘は恐怖にしか思われない。反差別を標榜する人々がヘイト・スピーチ規制の名のもとにマンガ・アニメ表現の規制がおこなわれる未来しか見えないからである。

 確かに実際にヘイト・スピーチ規制を実際におこなっている国々では何重も濫用規制の防止がおこなわれており、濫用を心配するのは杞憂なのかもしれない。ならば、反差別を標榜する人々は自分と思想を異にする人々に対する姿勢や表現規制の主張により注意すべきではないだろうか。私は仮に日本でヘイト・スピーチ規制法が制定された場合、政府や警察による法律の濫用と同じくらい、法律をあらゆる事象に適用するよう要求するであろう、反差別を標榜する市民の暴走が恐ろしい。
 そのため、現時点では私は、ヘイト・スピーチ規制も国旗損壊を禁止する法律も共に「表現の自由」の名のもとに違憲とし、最大限に表現の自由を認めるアメリカ最高裁の立場に日本は立つべきであると考える。ただ、本書で指摘されているような、日本政府がやろうとしない差別の実態調査は、現状を知るためにもおこなわれるべきであると考える。また、外国人に部屋を貸そうとしないといった差別も解消されるよう行政指導を強化していくべきであろう。外国人学校や外国人の商店の周辺で子どもたちが恐怖を覚えるほどの大音量で騒いだり、嫌がらせをしたりするといった行為は明らかに犯罪であるが、それを新たな法で取り締まろうとすると、自民党内で検討されたように国会周辺のデモも規制対象に含まれるなど、ヘイト・スピーチとは関係ない政治活動まで規制される危険性が高く、「人種的偏見に基づく」などといった濫用防止の文言を加えても、何をもってヘイト・スピーチと政治的主張を区別するのかが曖昧になってしまう。当面は警察による取り締まり強化を訴えていく以外ないのではないだろうか。

 最後に本書で気になった点をいくつか指摘する。本書では日本政府が朝鮮学校を他の学校とは区別した対応をしているのを民族差別と述べているが、朝鮮学校が他の学校と区別されているのは、学習指導要領から逸脱し、北朝鮮特有の思想に基づいた教育をおこなっているおそれがあるためであり、一概に民族差別とは言えないと思われる。

 また、外国人差別の例として新井将敬氏の例を挙げ、彼の自殺は「陰に陽に出自についての攻撃を受け続けたことが原因の一つと言われる」(本書158ページ)と書いてあるが、新井氏が活躍した時代を知る者として違和感を覚える。確かに新井氏が1983年総選挙に立候補した際、同じ選挙区の石原慎太郎氏の事務所スタッフによってポスターに「元北朝鮮人」などといったシールを貼られ、落選したのは事実である(新井氏は在日朝鮮人出身であるが、本人は日本出身であり、さらに北朝鮮から帰化したという事実はなく、シールの内容は全くの誹謗中傷である)。しかし、事件発覚後、新井に政界入りを勧めた渡辺美智雄元蔵相をはじめ、新井氏に同情の声をあげる者が多く、石原事務所のスタッフの行為を是とする声はほとんどあがらなかったという。
 新井氏は1986年総選挙で当選した後、改革派若手議員の代表としてテレビの政治番組に度々出演するなど、マスコミの寵児となっていた。その彼が自殺したのは証券スキャンダルに巻き込まれたからである。新井氏が在日朝鮮人出身であるということがクローズアップされたのは最初の立候補のときと死後(韓国で話題になっているという形での報道であり、ある程度同情的な報道)であり、それ以外で彼が出自故に攻撃を受けていたという記憶は同時代を生きていた自分にはない。

 (評者は小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)


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