『京の路地を歩く』 高沢英子著

■書評

『京の路地を歩く』 高沢英子著         西村 徹

           (未知谷刊・2500円)
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  美しい本である。本が読むための書物としてだけでなく内容に見合って愛蔵に
足る調度としても念入りに作られるべきことを思い出させてくれる本である。派
手なカバーと帯を外すとまるで殺風景なのっぺらぼーという本が多い。この本は
ちがう。なんと心にくい装本であろうか。可憐な花布にいつになく気付いて思わ
ず目をうばわれる。背表紙は箔押しというのか題字に金を沈めるという凝りよう

きびしょに南天かなにかの赤い実の一枝二枝という図柄はカバーを脱いだとき
のほうが、バーコードや文字情報のじゃまが入らないからいっそう冴える。贅沢
を感じさせない本当の贅沢がある。こういう本は読み終わっても容易に古本屋へ
移動はさせにくい。塗りの上等な筐かなにかのように、机のどこかに置いて飽き
ることはないだろう。挿画がまたいい。春は下鴨神社の流し雛。夏は六角の宮脇
賣扇庵。秋は壬生狂言。冬は日野誕生院。そして無季には因幡堂の薬師如来。付
録には高山寺近くの洛匠という茶店。いい趣味の挿絵がそれぞれの章の始めに置
かれてつきづきしい。
 
本文の書き手も女性なら装画挿画も女性。そしてなにもかも、本そのものの出
来上がりまで、女性ならではの気配りが隅々まで行き届いて、これを書いていて
私はほとんど狼狽する。アントニー・バージェスがエリザベス・ボウエンと同席
したときのことを書いているのを思い出すからだ。「その時お相手したのは実に
垢抜けのした、そして機知ゆたかな一人のイギリス系アイルランド人のレイディ
ーで、まるでこちらが(少々汚れた)コップのように、すっかり見とおされてい
る気がしたものだ」と。
 
  春夏秋冬,無季、付録と並ぶのはいかにも俳誌に書いたものの面影を伝えるが
、著者の感覚の冴えというか、むしろ耳のよさにおどろくのは、フランス人の男
の子の京都弁を聞きとるところ。「そんなことやめときよし。あかんえ」「いた
っ。これ見とおみ。腫れてきたし」「なんえ。いけず!」(9ページ)。これが
日本人でなくてフランス人の、女の子でなくて男の子である。息を呑むほどにみ
やびな京言葉のやりとりを、通りすがりに小耳に挟んでこれだけ犀利に記憶し記
録する才能は尋常ではない。十六、七の頃から六、七年も学生として京都暮らし

その後また京都住まいということもあろうが、私など逆立ちしてもかなわない
。くらくらと目を回してしまって、とてもこんなに正確に記憶することなどでき
なくて、ただ歯痒い思いをすることになるだろう。もっとも流し雛の見物席で「
小さな手提げから紙と鉛筆を取り出し」(21ページ)とあるように、常に周到
にメモと鉛筆は忘れないのではあろうが。

 教養の大きな蓄積が衣に香を焚き染めるように著者の知性に浸潤していて、そ
の香りが随所に立ち上り瀰漫して、知らずして読者の心を奪うというところはも
ちろんある。しかし、なんといってもこの本の魅力はこのフランス人の男の子の
京言葉をすかさず余さず捉えきる感性の鋭さに尽きるであろう。タイミングのよ
さと言ってもよい。写真家を例にとればシャッターチャンスのよさと言ってもよ
い。
鍛冶屋町の鐵輪の井戸のあたり路地入口の、「黒い格子戸」を開けて出てき
た若いサラリーマン風の人物に、出会い頭に挨拶し「入ってもいいですか」と聞
き「どうぞどうぞ」と手招きされるところがある(147ページ)。また、「江
戸という時代にとりつかれて」富小路五条下る本塩竈町の上徳寺に「毎朝のよう
に通い」たまたま住職に出会って早速「冠句」の意味を伺い、そして丁寧な答え
を得るところ。

 著者の探究心は衰えをしらず、人に問うこと天真のさまが躍如としている。さ
ほどに苦労がしわを刻まない向日性が、じつは内に芯のつよさを包んでいて、人
の心の武装を易々と解いてしまうところがあるやにみえる。問うても腑に落ちぬ
ときの感情表現もまた天真無垢である。堀内雲鼓と冠句について頴原退蔵による
顕彰文を読んでも「相変わらず雲の中でかすかに鳴っている太鼓の音を聴いてい
るような気分」(190ページ)とあるのは、あながち雲鼓の語呂合わせという
だけではあるまい。自らを語るこの諧謔は蕉風の「軽み」よりも、もしかして著
者がずいぶんと読み込んでいる漱石由来のものではなかろうかという気がする。
育ちもあろうが幼年期の路地体験にもよるところが大きいと思う。そしてその路
地こそはこの本の要でもある。

 京都ブームは続いている。というよりますます勢いを増しつつあるかに見える
。わざわざ遠くから京の町家に移り住んで、べべ着ておばんざい食べて、作務衣
に雪駄で路地を歩いたりする人も増えているらしい。こういうのを京都の人はや
んわり「京都ごっこしてはる」と言い、「なんや恥ずかしい」とも言う。あられ
もない気味は拭いがたくて、アメリカ人が長襦袢や半纏を羽織っていたりするの
を見るほどではないにせよ、たぶん闖入者の目と声の高いアクセントを京都の人
はさとってしまうからであろう。幕末の江戸っ子ならば官軍の振る舞いを錦切れ
の稚児戻りと言ったのになにほどかは似ているだろうか。

 京もののエッセーには、しばしばこの種の人の手になるものがあるが、当然な
がら高沢英子さんのこの本にはそういう我がもの顔の「京都ごっこ」はない。高
沢さんは生え抜きの京都人ではないが、もはや闖入者ではない程に京都には親和
している。すでに京都に懐かしさを感じうる程に親和している。しかしまた生え
抜きでないからこそ今もなお京都に寄せる憧憬を失ってはいない。高沢さんが京
都に接し京都を語る物腰はけっして低きに過ぎることはないけれども、そして人
に接すること天真ではありながら、そこには常に訪う者の慎しみ、常に会釈を欠
くことのない節度が保たれているように思う。

 それはたぶん、澤田章子さんが跋文に書いておられるように「京都とは程よい
距離をとり、独自の文化をもつ小都市の生活習慣に育った人だからこそ」のもの
ではないかと思う。その「程よい距離」がこの本の隠し味になって、あるゆかし
さをかもしているのだろうと思う。この本はもともとその「小都市」で出ている
俳誌に寄稿したものから採られている。したがって著者のその小都市への思いは
京都への思い入れと常にないまぜになっているように思う。

 その小都市とは伊賀上野という、小都市といわれると面映いほどの、豊かであ
るとは言いかねる田舎町である。岩波新書の五木寛之著『蓮如』巻頭の地図を見
ると伊賀は伊勢に吸収されて痕跡をとどめない。それほどに忘れられがちな小国
の、しかし城のある、度はずれた大金持ちはいないが格式のある町である。町並
みは井然としていて、その点にかぎれば京都に似ていなくもない。町の旦那衆の
間には一定の文化水準が保たれていたのも確かである。

 話の序でになるが、戦後さほど間もない頃、疎開のまま居坐ってしまった進歩
派の文化人が旦那衆の集う郷土史研究の例会に客分で加わっていた。平家物語に
触れて高沢さんが挙げている石母田正(196ページ)の、その石母田の『中世
的世界の形成』を、その中心資料が伊賀南部の黒田の庄だというので、それを読
むことを進歩派文化人が提案し、保守派の旦那衆が首をかしげながらもおとなし
く読んでいたりした。商売が閑散なぶんディレッタントは多かったのかもしれな
い。

 さらに興味深いのは明治に鉄道敷設が各地で計画された時代に鉄道大臣伊藤博
文に出された伊賀鉄道敷設案の嘆願書は、意外にも終点を大阪とするものはなく
、悉く京都を目指す路線であったということである。経済的には明らかに大阪圏
内に位置しながら文化的には京都を志向していたことがわかる。行政的には伊勢
に対する小国の悲哀があり、それを裏返したように京都に傾斜する感情が伊賀人
の意識には潜在していたようである。伊賀は京都の在ぐらいの心持ちの人もいた
かもしれない。

 「程よい距離」の講釈に大分深入りししたが、この本の持つ京都への思い入れ
がそもそもどこから生れてくるかを知ってもらうには、これくらいはゆるされる
であろう。尽きない憧れと同時にすでに懐かしさが並存していて、その懐かしさ
を媒介するものがじつは路地なのである。この本は「路地を歩く」といっても必
ずしも文字どおりの路地ばかりを取り上げているのではない。文字どおりの路地
を取り上げているところはむしろ少ない。京のどこを歩くにせよ路地を歩くここ
ろばえを忘れないでという、そういう思いをこめての表題であろう。

 「あとがきに代えて」に路地は「ひっそりと住むにはまことに住み心地のいい
隠れ家である。植え込みがあり、共同井戸があり、ネコが昼寝をしていたりする
。見上げれば照る日曇る日、太陽も雨も届くのに、通りをかき回しているかさか
さした風も、きしみ音もここまでは届かない。子供の頃、郷里の伊賀上野で、近
所のそんな家々に上がりこんで、大人たちのお喋りを聞くともなしに聞きながら
、勝手にその辺にある雑誌に読みふけったりして小半時を過ごしたものだった」
(218ページ)とある。

 著者のようなエエシ(良家)の子を路地の店子が拒むはずもないが、路地でな
くても町家は門がなく、したがって門前払いはありえなかった。玄関払いはあっ
たとしても入口の格子戸は夏は開けっ放し、夏でなくても夜分でなければ戸は閉
てないから、誰であろうと先ずはがらりと開けて入って万事はそれからのこと。
いたって開放的で、私空間は襖かあるいは屏風一枚が自在につくるものでしかな
かった。

 私自身の昔をふりかえっても路地は母の胎内のような底深い安らぎのある場で
あった。路地の中庭は子供にとって格好の遊び場。石蹴りとか縄跳びは女の子が
主役だったが男の子も入れてもらった。コマもまわした。外向きには閉じている
ようで中はまったく自由空間。路地はいわば子供にとっての桃源郷であった。内
実は、路地に住む人びとは傘貼りや組紐の賃仕事でその日暮らしの貧しい人が多
かった。盗難をおそれる必要のない平和が確実だっただけなのかもしれない。し
かしその平和は子供にとって間違いなく確実であった。
  そういう路地の平和を土壌としてこの本は生まれた。
                     (筆者は堺市在住)

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