『共生経済が始まるー世界恐慌を生き抜く道』内橋克人著

■ 書評

『共生経済が始まるー世界恐慌を生き抜く道』内橋克人著   

-「共生経済」を広げるために-      小塚 尚男

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 本書は2009年3月30日発行(朝日新聞出版)であり、大型書店では、経
済学書の棚ではなくビジネスコーナーに平積みされている。副題が今日的で、そ
れだけでも注目されるからだろう。

 本書の構成は、第1部 序にかえて。第2部「共生経済」宣言。第3部競争至
上主義を超えて。となっており、第2部は、2005年のNHK教育テレビ「人間
講座ー『共生経済』が始まる」(8回放送)のブックレットからの再録であり、
第3部は神戸新聞の連載『針路21』を中心に朝日新聞等に執筆したものである。
書き下ろしは28ページに及ぶ序にかえてのみである。第3部の『針路21』は
、2002年からのものであり、多少の資料、数字の旧さや重複は否めない。し
かし、それをもって本書の狙いや価値を減ずるものではない。
 
  著者は昨年末の「年越し派遣村」の問題点として、(1))自動車、電機業界等日
本型多国籍企業が真っ先に雇用調整に手をつけたこと。(2))雇用形態はどうあれ
、整理の対象とされたのは、その日まで「働いていた」人々だったこと。(3))「
国際競争力」維持のため、深刻な世界同時不況、業績の急速な悪化などが「派遣
切り」「雇い止め」を根拠として挙げ、「苦渋の選択」と日経連会長は弁明する
が、それで今回の企業行動は正当化できるか。(4))背後に「景気変動」即「雇用
調整」を可能にする「労働の規制緩和」が長期(1985年「労働者派遣法」成
立以来)にわたり実現されてきたこと、その「制度改革」を作ってきたのが経
済界であり、それに呼応した小泉構造改革だった、としている。
 
  本書はそれを受け、大部分を貫いているのは小泉構造改革と、その根底にある
ネオ・リベラリズム批判である。筆者は小泉構造改革によって生み出された「新
たな構造問題」として、
1、労働の解体―「働く貧困層」の輩出
2、「均衡ある国土発展」の崩壊―国土の53%に達した「限界過疎」集落
3、進化する所得移転の構造―「太る企業部門・痩せる家計部門」の構造化
を挙げている。さらに小泉政治のもと、グローバル化と併進して勢いを増した
ナショナリズムをあげる。

 そして、「構造改革」なるもののうち実効あったものは、「労働の市場化」で
ある。「働かせる側」にとってプラスの、「働く者」にとってはマイナスの壮大
な「改革効果」があったと喝破し、それに対する検証の目を注がねばならないと
している。
  対抗して著者の提唱する「共生経済」の道とは、

 (1)「対抗経済」として
  世界を席巻する「市場競争原理至上主義」「マネー資本主義」に対して、それ
らが生み出す「負の累積効果」をきちんと見抜き、敢然と立ち向かう「もうひと
つの経済」であること。
  (2)「多元的経済社会」の杖として
  「市場にまかせさえすれば全てはうまくいく」「市場が撤退を迫る」など「市
場主語」が長い間、この国の経済学、それに支援された経済政策形成者の領域を
占拠してきた。
今日、社会には多様な価値観を持つセクターが存在するが、大別すれば「競争セ
クター」と「共生セクター」といえよう。市場一元支配社会においては、競争は
勝ち組、負け組の篩い分け。「格差拡大社会」を必然とする「剥き出しの競争主
義」に社会を任せるので良いのだろうか。
 
  (3)「共生セクター」の担い手として
  「競争セクター」とは分断・対立・競争を原理とするセクターである。これに
対して「共生セクター」は連帯・参加・協同を原理とする。競争セクター一辺倒
の社会からの転換は可能であり、共生セクターの足腰を強靭なものにすることで
市場社会をより均衡あるものにすることによって「不安社会」の超克に成功する
だろう。
  (4)「FEC自給圏」をめざして
  Fはフーズ、食糧,Eはエナジー、エネルギー、Cはケア、人間同士が支えあ
う関係、福祉などを意味する。その自給圏をめざす「共生経済」は21世紀型
雇用(「使命共同体」に拠り所を持つ勤労の場)の安定的創出、そして「浪費
なき成長」を可能にする。FEC自給を国民の基本的生存権として保障する国
家こそ21世紀のものであるはずである。
 
  以上が「共生経済」の大要であるが、さらに著者が本書において強調している
のはエンデの「たとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引
所で扱われる資本としてのお金は二つのまったく異なったお金であるという認識
です」。から前者は「お金」、後者が「マネー」としている。そこからエンデは
「通貨を人間の手に取りもどさなければならない」と説いている。そして、市場
という概念を、人間らしい生活を守る道具へと根本的に組み替え、市場を市民社
会の力によっていかに制御することができるか。「市場」「グローバル・キャピ
タル」をいかに市民社会的制御のもとに置くことができるか。それこそ21世紀
初頭を生きる私たちの主題でなければならない。「変革の世紀」を真に望むなら
、こうした視点を中心に据えることが望まれると述べている。
 
  筆者は本書の述べていることに共感する。しかし、書名の世界恐慌を生き抜く
道としての共生経済は「本当に始まるのだろうか」と自らにも問いたい。本書で
展開するほど、その実現の道は容易ではない。本書でも「共生経済」の実践例を
紹介しているが、「けれども、『共生セクター』を支えるべきNPOや地域通貨
が、日本的風土のなかで、まさに法則的としか言いようのない惰性をもって変質
を遂げていくあり様を、目の当たりにすることになった。」と述べている。
 
  「共生セクター」を実現していくにはどうすればいいのだろうか。困難な道で
ある。広げるために、まず「政治」の力が決定的だろう。まさに今日の政治には
期待できそうもない。しかしことは政治テーマなのである。よって、わずかな望
みは政権交代である。「交代してみなければ分からない」という意味も込めての
ことである。第2は担っている市民運動、社会運動がさらに力をつけ、もうひと
踏ん張りもふた踏ん張りもして連帯し、協同して広げていくことだろう。現状は
厳しい。だが、ことほどさように「共生経済」は重いテーマなのである。

         (筆者は生活クラブ生協・神奈川 顧問)

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