『北原泰作』

■部落解放運動に生涯を捧げた日本青年館の職員=北原泰作    

                                               富田 昌宏

───────────────────────────────────
 
 日本青年館(大日本青年団を含む)に勤務した職員の中には、鈴木省吾元法務
大臣や望月新一全国開拓農協連会長など異色の人材が多い。生涯を部落解放運動
に尽くした北原泰作もその一人で、今回はこの偉大な先人について書いてみたい。
 北原泰作は明治三十九年岐阜県に生れた。小学校五年の時級長に当選したが、
担任の教師は「この選挙は参考までにやった」といって、大地主の息子を級長に
指名した。北原が被差別部落出身であったからである。学校では同級生から部落
出身者は賎称語で蔑まれ、世間の冷たい風にさらされた。
 
小学校高等科を卒業した北原は十七歳の春に東京に飛び出したが、予定してい
た就職先が身元調査をやるというのであきらめた。部落出身と分れば希望する働
き口を断わられるのである。そこで新聞配達をしながら神田の予備校に通った。
北原はその新聞の記事を通して京都の水平社運動を知り、異常な感銘を受けた。
早速郷里に帰り、京都の本部と連絡をとり、部落問題を学びながら解放運動に身
を投ずるようになる。
 水平社運動は大正十一年に京都の岡崎公会堂で全国の部落民代表四千人が集
まり「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」ではじまる大会宣言を採択し、
弾圧と戦いながら全国的な解放運動を起こすのであるが、その発祥は奈良県南葛
城郡で、掖上村柏原青年団の西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作の三人によってノ
ロシがあげられた。


■水平社運動の闘士


 水平社運動の闘士として知られるようになった北原は適齢期に達し徴兵検査
をうける(当時、兵役は国民の義務であった)。だが検査官の指示に従わず、筆
記試験では白紙答案を提出した。入隊式には営門に到着するまで、集まった群衆
や警備の憲兵を前に、反軍演説をぶちまくった。
 
当時、日本の軍隊は世界一の厳しい規律で知られ、上官の命令は絶対服従の社
会であった。北原はこの軍隊の中で不服従、反抗を通し解放運動をすすめようと
した。入隊式にはただ一人髪を伸ばしたまま、宣誓式では宣誓を拒否した。また、
上官に敬礼せず、理由を聞かれると「わしはあんたを尊敬していない、それで敬
礼する必要はない」とせせら笑って答えた。こうした抵抗運動に中隊長や連隊長
も手をやき、北原には手を出すなと部下にいい聞かせるようになったのである。
 
ある日、古参兵がスリッパの修繕をしながら行なった差別発言に激怒した北原
は、連隊主催で差別撤廃の講演会を開くことを要求した。これを拒否された北原
は、軍隊内の差別撤廃運動は外部の同士と共闘しなければ目的は達成できないと
考え、無断で脱走し、外部との連絡をとった。一週間ほどして帰隊するが、その
まま二十九日間の重営倉に処せられた。拘置所内で北原は断食で抵抗した。中隊
長は北原の妹や両親を呼んで説得に当る。
 
やがて全国水平社東海連盟の代表が訪れ、軍隊内での差別問題を詰問する。連
隊長は会見の席で「北原を軍隊内でたたき直すつもりだったがとうてい直すこと
は出来ないと分った。北原を帰します」と言明。


■天皇に直訴


 そして北原が軍隊内で最後に打った前代未聞の奇手は、天皇陛下への直訴であ
った。昭和二年十一月十九日、名古屋方面での秋の陸軍特別大演習の最終日、馬
上で閲兵中の天皇陛下にかけよって直訴状を差し出した。その文面は「恐れなが
ら訴におよび候」ではじまり「一、軍隊内における特殊部落民に対する賎視差別
は、封建制度下に於ける如く峻烈にして、差別争議続発し、その解決に当る当局
の態度は被差別社に対して些少の誠意もなく、むしろ弾圧的である。二、三(略)
 右の状案御聖察の上聖旨を賜りたく訴願におよび候、恐々謹言、昭和二年十一
月十九日、第六八連隊二等卒北原泰作」というものであった。
 
この事件は記事差し止めとなり、解禁は四日後であった。北原は懲役一年の刑
に服した。『昭和史発掘』第二巻で「北原二等兵の直訴」を取り上げた松本清張
は「未解放部落に対するいわれのない差別観念は、今でも拭い切れていない、い
わんや昭和二年の当時である。北原二等兵の行動はそれに対する激しい抗議であ
った」と結んでいる。

 その後、北原は日本青年館で働き、さらに部落解放運動に身を挺する。戦後は
部落解放同盟中央執行委員、書記長や同和対策協議会委員(総理府委嘱)として
活躍するが、この偉大なる闘士、青年団の先輩も今はない(昭和五十六年一月没)。

 存命中一度ご来館をいただいた。その時私は色紙に一筆書いてもらった。それ
は〃地にあるものは落ちることなし〃であった。先生の信条が直に伝わる言葉で
あり、今も大切に保存している。(文中敬称略)
    (筆者:元財団法人日本青年館常務理事、元法務省人権擁護委員)

                                                 目次へ