■ 【北から南から】

 2.米国・マヂソン便り(7)-市民の銃砲所持・携帯について  石田 奈加子
───────────────────────────────────
アメリカにおける銃砲文化、銃砲所有の全土に行き渡っていることはよく知ら
れていることと思います。銃砲の唯一の目的は命あるもの、人間ならびに動物を
殺傷することですから大変な危険物であるわけです。勿論その販売、購入、所有
については公の規制がありますが、アメリカの法律制度は合衆国制定法と各州の
州法の二本立てになっていますから、一番外回りの合衆国市民の基本的権利・義
務は国法で規定されますが、実際の個々の問題についてはアメリカ50州それぞ
れにこまごまと決められていて一概にこうだ、とは言えません。

その上、最近では銃砲といっても色々な種類があって法律の内容は大変複雑です。
銃砲による殺人、大量殺人、人身事故の相次ぐ昨今一般市民の銃砲所持が妥当
かどうか、所持を禁止、制限すべきではないかという議論が出るのは当然ですが
落ち着く先は合衆国憲法修正箇条第二条です。

これは「ちゃんと規制されているMilitia(市民軍―民兵団)は自由な州の安全を守
るためだから人民の武器を保持、帯びる権利は侵害されてはならない。」という
のですがこの解釈について主要点になるのが武器を保持する権利はMilitia だけ
にあるのか一般の個人(Individual)にあるのかというもので、大体において
(決定的ではない点に注目してください。

この一点をめぐって闘争が起きるたびに一件ごとに解釈されます。)権利は個
人にあるとされ合衆国法もその線に沿っています。けれどもそれではただただ誰
でも彼でも銃を持ってよろしいというのではなく、基本的な制限、たとえば年齢
制限、犯罪者、禁治産者等の除外、武器の輸入、販売に関する法、Handgun(拳
銃)やAssault  Weapon(襲撃用武器―自動機関銃等)に関する制限は合衆国法にも
規定されています。

知名人を目的にした射撃事件(ハーヴェー・ミルク、ジョン・レノン、ロナル
ド・レーガン大統領、近いところでは今年一月の下院議員ガブリエル・ギフォー
ドなど)や大量殺人事件(もっとも有名なコロラドのコロンバイン高校、ヴァー
ジニア・テクやその後相次ぐ学校、職場、駐車場、ショッピング・センターなど
での)、家庭騒動(家族の一員が家族を皆殺しにするケース、子供が親を射殺す
るケースなど)が起きるたびに所謂Soul Searching (真摯な自己反省)が叫ばれ
て現在の銃法(合衆国と各州の)が見直されなければならないと提案されるのです
が、その都度National Rifle Associationが第二修正箇条を盾にとって運動し規
制が厳しくなる代わりにもっともっとリベラルにされて行くような気がいたしま
す。

NRAは1871年に南北戦争の余波として設立されました。(今年は南北戦争勃
発の150年目に当たりますので、種々のTVプログラムや記事が出されていま
す。) 銃所持は第二修正箇条によって市民の権利として保証されているという
立場で非常に活発な政治活動を展開し、全土で一番強力な政治ロビーの一つだそ
うです。その信条は最小限度の制限だけでの銃所持権利にあるようです。

市民間での人身事故や殺人が起こり人々が銃は危険だ、禁止制限しなければとい
う声が上がるとNRA は「銃は殺さない、人間が殺すのだ。」という論理で禁止、
制限に反対します。

一見なるほど、と思えるような議論ですが本当は理屈に合わない。銃の唯一の
目的は人畜の殺傷にあるのですから(それ以外の機能が無い)銃を持つ必要がある
ということはとりもなおさず殺傷の意図があるということになる。NRAの論理は
一種の詭弁だと思われます。

銃を持つことの権利、自由、第二修正箇条にアメリカ人がこだわるのは、本当
に日常生活で銃が必要だとか役に立つ(個人を危険から守る)とか、銃そのものが
重要なのではなく、アメリカ流の個人主義というか、他人に自分のことに口出し
されたくない、所持する権利(どうする権利に関わらず)に固執するのではない
かという気がいたします。

ちょっと違ったケースですが、昨年オバマ政府が国会を通した全国健康保険制
度で2014年から成年者は皆健康保険を買うのが義務ずけられているのです
が、それに対して、政府が個人にある商品(健康保険)を買わねばならぬというの
は個人の選択の自由、つまり、買わないという権利を侵害するものだということ
で幾つかの州当局(知事、検事)が連邦の法廷に提訴しています。

銃に関する規定に‘Open Carry’と’Concealed Carry’というのがあります。
Open Carryとは「銃砲を公然と(隠さずに)持ち歩く」、「日常生活の中で銃砲を
公然と携帯している」というものでConcealed Carry と並んでその規則は各州ご
とに、さて許可がいるのか、どの種の銃ならOpen Carryしていいのか等々、所に
よっては各市町村ごとにこまごまと違いますが合衆国法は自己の安全防衛のた
め、またはその他の合法的な理由で銃砲を携帯するのを保証しています(学校、
ならびに軍事、刑務所、警察関係の周辺での携帯は禁止されています。)

全国50州のうちイリノイを除いて49州がその線に沿ってOpen Carryを認めて
います。ウィスコンシンのOpen Carry では個人が銃砲所持の免許を持っている
限り何の制限なしにOpen Carry できます。

80年代に当時の大統領レーガンが襲われた時にいっしょに重傷を負ったジェ
ームズ・ブラデイー補佐官によって設立されたブラデイー・キャンペーンのよう
な反銃砲運動は銃砲携帯に反対していますが、かえって最近ではOpen Carryを
Open に持ち出し示威行動をするケースが増えているそうです。

昨年の秋のことでしたがマヂソンでこんな事件がありました。ある休日の朝5
-6人の男性がそれぞれ皆銃をおおっぴらに提げてレストランに入り食事を注文
しました。側のテーブルで食べていた中年の女性が恐れをなしてすぐさま警察に
通報したもので男性郡は治安紊乱罪で召喚状を交付されました。召喚状はのちに
破棄されましたが男性群は憲法で保証されている基本的人権を侵害されたと逆に
マヂソン市警察に対して訴訟を起ただいま係争中です。

Concealed CarryはOpen Carry に対して、銃を日常生活の中で公共の間で隠し
て持っているということです。これもまた州ごとに、各市町村ごとに様々の規
則、段階があります。

今日まで50州のうちイリノイとウィスコンシンの2州がConcealed Carry を
認めていなかったのがこの七月をもってウィスコンシンが晴れて第49番目の
Concealed Carry 州になりました。悪名高い組合法、緊縮財政法、2011-2
013年度予算などと一緒に州議会に提出されたConcealed Carry法が議会を通
過したのです。注目すべきは組合法、予算案などと違ってこのConcealed Carry
は超党派で承認されていることです。

過去の議会でも2、3回通過したのですがいつも当時の知事の拒否権に会って
州法にならなかったそうです。知事は銃を持ち歩きたいなら堂々と腰につけたら
よい、隠すことは無い。といった由。

ところで、Open Carry|Concealed Carryについては警告条項があって(少な
くともウィスコンシンでは。各州によってないところもあります。)、もし市町
村、官公庁、事業団体、商店などがOpen Carry ないしConcealed Carryは困る
というのなら各自その領域内での禁止を公表してよろしい(立て看板に明示す
る)というのです。

議会を通過した翌日にマヂソンの所属する郡(Dane County)の行政長官はさ
っそくDane County の諸役所の建物、その所有管理する場所では一切Concealed
Carryを禁止すると明言し、マヂソンの市長もそれに習いました。先だってご紹
介したマヂソンの空港はDane Countyの管轄ですからConceal しての銃砲の空港
への持込は禁止されることになります。

それについて行政長官はこういう説明をしました。空港でのConcealed Carry
を許可してきた諸州で、カバンの中に拳銃を入れておいたのをすっかり忘れて持
ち込み荷物として搭乗前のセキュリテイ―チェックでひっかかり大騒ぎになり周
りの乗客に大変迷惑がかかるケースが頻発している、というものです。

Open CarryもConcealed Carryも前提は個人の安全を守るためということ、襲
われた時に銃を取り出して応戦するのにカバンなりポケットなりにいれて忘れて
いるくらいなら何故咄嗟の場合に役に立つという理屈になるのだろうと不思議に
思わざるを得ません。人が隠した武器を持っているかもしれないと、暴徒が人を
襲うのを躊躇するという理屈もあります。

Concealed Carry が合法になってから犯罪が低下したという統計と、いや全然変
わりないという統計があるそうです。銃の所有はともかく、Concealed Carry の
場合などは実際に役に立つなどというより、持っていると安心という、仮想の
力、一種の神社のお守りみたいな心理的な要請ではないかという気もいたします。

一月に下院議員のガブリエル・ギフォードが白昼スーパーの前で撃たれたとき、
たまたま数日後に開かれたGun Showに大勢の人が殺到し銃が自動拳銃も含めて飛
ぶように売れたそうです。銃を持っていないと安心して町も歩けないというので
したら、なんだか非常に残念な貧相な社会認識だと思われます。世論調査による
とウィスコンシン州でも全国的にもConcealed Carry には多数が反対をしていま
す。

マヂソン市長は公共の場所だけでなく個人の市民の所有地(自宅)も所有者の
許可なくしてはConcealed Carryは出来ないという法令を作るそうですので、う
ちもそのうち“No Concealed Carry”の立て札を出し、金属検出器を設置するこ
とになるかもしれません。

因みにもう一つConstitutional Carry(憲法に基く銃携帯)という考えがあ
って、これを推進するグループもいくつかあります。これは無条件の銃砲所持携
帯の権利を主張するものだと思います。

         (筆者は米国・ウイスコン州・マジソン在住)

                                                    目次へ