深せんから

『引越し顛末記』(中国)   佐藤 美和子

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 事の起こりは確か、そろそろ暑くなってきた4月初旬でした。
ある晩、そろそろ寝ようと玄関の鍵を閉めるのに、何気なく玄関ドアを開けてみ
たら.....。
ウチの玄関ドアに、べーったりとA4の紙が、全面ノリで貼り付けられているのが
目に入りました。
 誰だ?人ンちのドアに、紙なんか貼り付けてイタズラしてんのは!と、書いて
ある内容を見てみると.....
「○○様(←ウチの大家さんの名前)
 あなたは××年に、当行と○○万元の個人住宅ローン契約を結ばれています。 
契約規定に基づき、あなたは期限通りに利息をつけて返済しなければなりません
が、 △月△日より、返済が滞っております。(中略)
 すでに3期分の本金と利息合計で、11951.60元に上っております。 貸借双方
の権益を維持するため、3日以内に返済いただかなければ 当行は借款契約規定
に基づき、訴訟の上契約を解除し、あなたの部屋を差し押さえることになり、一
切の法的結果はあなたが負わねばなりません。
 なお、もし起訴となれば訴訟費用・弁護士費用・公告費・評価費など発生しう
る一切の費用はあなたの負担となります。無用なあなたの経済的損失を防ぐため
にも、即刻利子を含めて返済いただくよう、ここにご忠告申し上げます。
 もし3日以内に3期分の返済が行われなかった場合、当行はあなたを起訴し、
併せて深セン市○○区の裁判所へ申し立ててこの部屋は差し押さえます。
  中国○×銀行 深セン△◇支店」

 えええぇぇぇーーーーーーーっっっ!? なにそれ?!ちょっと大家さん、そ
んな話聞いてないよーっ!
あっ、そういえばお昼頃誰かが玄関ノックしてたけど、(連絡なしに訪ねてくる不
躾な知人はいないので、防犯のためにいきなりノックされても、家に一人のとき
は出ないようにしています)  
 これってお昼からすでに半日、貼られていたわけ~?!てことは、裁判所だの
差し押さえだのってこの紙、当然ご近所さんはしっかり目撃してるだろうし、ウ
チが資金詰まりでこんなことになってるって思っちゃってるよね、絶対.....。
いやそんなことより、3日以内って書いてるから、もう半日過ぎてるわけで間に
合わなくて差し押さえってことになれば、たった1万2千元(=約17万円)ぽっ
ちのことで、もしかしてウチの家具とかも一緒に差し押さえられちゃうの?!す
でに3期=3ヶ月も滞納してるのに、大家さんったら何にも連絡してくれなかっ
たのね.....(T_T)
びっくりして出張中だった相方に連絡し、相方は翌朝、休暇を取って大慌てて銀
行へ交渉に、裁判所へも申し立てに行きました。
あの部屋に住んでいるのは賃貸契約している我々であって、いきなり差し押さえ
だのナンだのと言われても困る!ウチが転居先を見つけて引っ越すまで、差し押
さえだの起訴だのは待ってくれ!と訴え、なんとか認められました。ふぅ、やれ
やれ。

 ウチの部屋、大家さんは香港人です。
 ここ数年、広東省、特に香港と隣り合わせの深センへ投資する香港人がかなり
増えています。ただ、大陸の住宅不動産に投資するような香港人はちょっとした
小金持ち程度。本当のお金持ちの香港人は、チャイナリスクを嫌って大陸には投
資しないんだそうです。
問題は、彼らは中途半端な小金持ち程度なもので、いつ資金繰りが厳しくなるか
わかりません。そうなると、店子の都合もお構いなしに追い出しては売っぱらお
うとします。
そういえば、物件探しをしているときに知人が、香港人の部屋はそういう目に遭
うからやめた方がいいよ、いまどきは大陸人大家のほうが却って資金に余裕があ
るからね、とアドバイスを受けていたんでした.....。言うこと聞いておけばよ

った.....。

 過熱気味の不動産投資熱を抑えるため、最近中国の法律が変わり、物件購入か
ら2年以内に転売すると多額の税金がかかるようになったそうですが、
けっきょく投資者は2年を待って転売するようになっただけなようです。
ちっとも役に立ってないじゃん!

 それからはもう大変でした。一刻も早く出て行かねばならないので、大至急、
引越し先を探さねばなりません。
 こんな時に贅沢言ってられませんが、中国人が長く住んでいた部屋は避けたい
ので、あまり選択肢はないんですよね。なぜ中国に住みながら、中国人の後は嫌
なのか?
賃貸の部屋では、中国人はあまり掃除をしないからなんです。
 たまーにキレイ好きな中国人もいますが、基本的に中国人の考え方というのは
「自分のものか、他人のものか。自分にメリットがあるか、ないか」ですべてを
判断します。
それでいくと賃貸物件は、家賃をいくら払っても自分のものではありません。
自分が住んでいる今、どんなに不便であろうとも、自費で改装してみたり自分が
出て行くときに外して持っていけないような棚をつけたりは絶対にしません。
 掃除も同じで、いくらキレイに磨いても他人の部屋だから無意味だ。という事
で、ホコリだらけの中で暮らしている人がけっこういるんです。そういう中国人
気質が顕著なのがキッチンで、元々油タップリの中華を毎日作る上に掃除をしな
いのですから、もうギットギトのネットネト。
 これが数年経っていると、マジックリンを一本使い切っても、輸入物の高いカ
ビキラーを買ってきてもお手上げなのです.....。
幸いなことに、同じマンション内で現在内装工事中の新築物件を見つけ、そこへ
引っ越すことにしたのですが、今度は梅雨が、我々の邪魔をしてくれました。

 中国の物件というのは、まるきり箱だけの、コンクリート打ちっぱなしの状態
で引き渡されます。ある程度の部屋割りはしてあるので壁はあるのですが、各部
屋のドアも便器も蛇口も、ナンにも付いていません。むき出しの配管があるのみ
です。
 そこで物件を買った人が、自分で内装工事会社と契約し、嫌というほどホーム
センターへ通い、床材、ドア、壁漆喰、ペンキ、電気コンセント、蛇口.....と

釘の一本一本までも自分で吟味し、買い揃えていくのです。
 もちろん投資目的の部屋であれば、自分が住むわけではないので、少しでも安
く上げるためにそういった資材も含めて予算を示し、買い付けも一切内装業者に
託してしまう場合もあります。
 でもそんなことをすれば、内装業者の思う壺。もう、やりたい放題されてしま
います。
実は追い出されることになっている部屋、どうやらそういうタイプの部屋だった
ようで、子供のおしっこより心もとないほどの水量しか出ませんでした。
 大家さんが工費をかなりケチったため、内装業者が少しでも儲けを増やそうと
目に見えない水道配管や排水管、指定の物より一回り小さなものをつけたためだ
ったようです。
おかげでその部屋に住んでいた2年間、誰かがシャワーを浴びているときに他の
水道を使おうものなら、水圧が更に弱くなって給湯器が反応しなくなり、お風呂
がイキナリ水シャワーになって悲鳴をあげることになる、だから誰かがシャワー
中はトイレも行けないし、手を洗うことすらできずにひたすら終わるのを待つ、
という不便な生活をしておりました。

 私達の見つけた物件は、内装工事が終わりかけの状態だったのですが、間の悪
いことに5月中旬から梅雨入りし、連日降り止まぬ雨のせいで壁漆喰が芯まで乾
ききりません。
後は不要な材木やらを片付け、ざっと掃除さえすれば引渡しできるはずなのに、
進まないのです。
 「いや、今すぐ掃除してサッサと引き渡せって言うなら、ウチはやってもいい
よ?でも乾ききってない時に掃除とか点検して、壁がはがれたりなんかしても知
らないよ?」
と内装工事の人に言われては、無理に推し進められません。
 そんなこんなで梅雨にジリジリしていると、旧宅の方の大家さんから電話がか
かってきました。
「毎日雨で、うっとうしいわよね~。ところで梅雨の時期だから、あなた方の転
居先のほう、内装工事も進まないでしょ? だから、(大家さんがローン組んでた)
銀行側とも話し合ってきたのよ。 この間は5月末までに転居してくれって言っ
てたけど、6月いっぱいまで住んでてくれても構わないわよ~。無理に急いで内
装工事しちゃったら後で問題がでるかもしれないし、 お天気のいい日に一日窓
を全開にして、しっかり換気しておかないとシックハウスになっちゃうしね。そ
んなことで健康を犠牲にするなんてよくないもの、ゆっくりしてね♪」とのこと。
 人の都合も考えず、我々を追い出そうとしていた大家さんが、今度はいったい
どういう風の吹き回しですか???
 結局この大家さん、もうローンを払い続ける意思はまったくなかったようで、
部屋の権利はすでに、銀行へと移ってしまっていたのでした。なので大家さんと
銀行間は、返済済みの差額を差し引いて清算することになっているとのこと。と
ころがこの部屋、その時点ではまだ銀行は転売先を見つけられていない状態だっ
たのです。
 ということは、大家さんにすれば、少しでも長く我々に住まわせておけば引き
続き家賃収入がある上に、一ヶ月や二ヶ月遅れたからといって銀行との清算額に
は影響しない.....ということらしいのです。
 なんだか香港人って、お金に関してはすごい悪知恵働くもんなんですね.....
我々を追い出そうとしておきながらこの期に及んで親切を装い、恩まで売ろうと
するあたり、感心してしまいます。
 家賃はきっちり6月分も払わされるのですが、まぁ確かに時間に余裕があると
助かるのも事実なので、不承不承、恩を売られてやりました。(笑)

 更にちょうどよくというか何と言うか、キッチンのシンク周りの棚に問題があ
ったので、これもやり直しすることにしました。
 これは内装工事屋さんではなく、シンクや棚を売った会社が据付工事人を寄越
してきて工事したのですが、なんと
1.隣り合わせになった二つの扉が余りにも密着しすぎていて、同時にはあけら
れないし、全開もできない。
2.中の棚板を乗せるためのビスをつける位置が間違っていてグラグラ、棚の上
に何かを置くと棚がひっくり返って落ちてくる。
3.2.を指摘すると、ビスの位置を改めて付け直すのかと思ったら、棚板の後
ろ側にビスをねじ込み、棚板の奥行きを出すことで間違った位置につけた壁のビ
スをそのまま使っている。
 お箸を乗せたら転がっていって、奥の隙間から転がり落ちてくるんですけ
ど.....状態で放置。こんなのでよくも「据付完了しました」って言えたね、と

ある意味感心してしまうほど、ヒドイ出来でした。
 この国で自分の仕事にプライドを持つ人を探すのは、至難の業です。それから
は工事のたびに私自らが密着監督し、6月中旬にはなんとか引渡しの運びとなり
ました。

 そこで旧宅の大家さんに連絡し、引越しの日取りを伝えると、「引越しの後はも
う部屋の掃除なんて、してくれなくていいわよ~。 散らかしたまんまでいいか
らね」
さすが、部屋が自分のものでなくなった途端、素晴らしい変身振りです。
香港人も、やっぱり中国人だった模様.....。
 そうは言われたものの、日本人である私は立つ鳥跡を濁して部屋を返すなんて
できません。丸一日かけて床を磨き、窓ガラスを拭き、カーテンも洗濯してから
引き渡すと、大家さん、「あらっ?まるで2年前、あなた方に貸したときとぜんぜ
ん変わらずの状態じゃないの!」と、かなり驚いていました。
 この大家さんの驚きようからしても、通常、中国の賃貸マンションではいかに
店子は部屋を大事に・キレイにしないかが、分かるってもんです。

 さて、とうとう引越しです。
 中国では、家具はいちいちバラして運ぶのが普通です。引越し業者が毛布で家
具をくるんで、傷つかないように.....なんてファジーなことは一切ありません

 それどころか、旧宅内・旧宅のエレベーターホール・地下駐車場に停めてある
引越しトラック・転居先の地下駐車場トラック・転居先のエレベーターホール・
転居先部屋・の、6ヵ所ものところに見張り番を立てなければならないのです。
 そうしないと、引越し業者が荷物をドサクサに紛れてちょろまかす、というの
はよくあることですし、エレベーターホールに積み上げている時も通りすがりの
誰かが荷物を失敬しちゃう、ということもアリなのだそうです.....。
 そのため、中国の引越しは身内や友達に集合をかけて見張り番に立ってもらう
のですが、日本人の私には「他人を見たら泥棒と思え!」的なやり方、かえって
ひどく精神的に疲れました。
 業者は一回の引越しでいくらの収入なので、少しでも数をこなそうと猛ダッシ
ュで荷物を運びます。割れ物であろうがナンであろうがお構いなしに放り投げる
ので、いずれにせよ、見張りは必須なんですがね。

 実は私、今回の引越しでは新しい靴下をたくさん、用意しておきました。2年
前の引越しのとき、新居はあらかじめキレイに掃除してあったんです。でも引越
し業者さんはお構いなしに靴のまま入ろうとするので、新居の方は靴を脱いであ
がって欲しいと頼みました。
「え?靴を脱ぐの?だって、俺たち靴下の方が靴より汚いよ?見る?」
と言いながら、業者さんが脱いで見せてくれたのは.....つま先の親指部分に穴
が開く、というのはよく見ますよね?でも彼らのは、つま先だけでなく、何とカ
カトにも大穴が開いていました。
 って、それじゃ足の甲を覆ってるだけで、何の意味もないじゃん!あまりのす
ごさに彼らも私も大笑い、そんなの見せられちゃ仕方ありません、
 靴のまま運び入れてもらい、あとからまた大掃除をした、という経験があるの
です。
今回は同じわだちを踏むまいと、それで彼らに履き替えてもらう靴下を用意して
おいた、というわけです。

 ところが.....
 新居運び入れに入る前、全員に靴下を配り、履き替えを頼んだのですが、なぜ
だかみんな、自分の汚れた靴下の上から二重履きしています。
 まぁ外側がキレイな靴下ならいっか、と安心してちょっと目を離した隙に....

うっわーっ、せっかく新品の靴下配ったのに、今度は靴を履かずに靴下のまま、
玄関の外へ出てってるよーっ、あーっ、またそのまま部屋にあがってきたーっ!
 彼ら、私が靴下を配って履き替えてくれと頼んだ意図を、まるきり理解してい
なかったのでした。後から聞いたのですが、田舎の出身の人だと、近場なら、未
だにはだしで
外出しちゃう人がけっこういるとのこと。子供の頃からそうなので、足の裏の皮
が非常に厚くなっています。
 そういえば内装工事人たちも、釘や木っ端だらけの床を、はだしで平気で歩い
ていたなぁ.....日本人なら、一歩目でトゲが刺さって大騒ぎでしょう。

家具を運び入れるときも、家の中に入れる前に私が片っ端から必死に雑巾でキレ
イに拭いたのですが、私が汗びっしょりになって一生懸命拭いているのを不思議
そうにじーっと見ていた引越し業者さん、 「ねぇ、そんなことして疲れない?」
と真顔で尋ねてきてました。
 ていうか、疲れる疲れないの問題じゃなくて、汚れたまま新居に入れたら新居
も汚れちゃうわけで.....彼らには理解してもらえそうになかったので、説
明しませんでしたが。

 引越し騒動でてんてこ舞いしながら、あぁ、こういう衛生観念の人々なら、こ
の国でSARSが発生したのも無理からぬことなのかも.....と、引越しとはま
るで関係のないことを、考えされられたのでした。(了)
        (筆者は在深セン・中国語堪能な英文科出身日本語教師)