『忠臣蔵』の“完全通し”上演で見えてくるもの(2)

コラム】大原雄の『流儀』

『忠臣蔵』の“完全通し”上演で見えてくるもの(2)

''大原 雄''
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◆ 「忠臣蔵」全十一段は、こういう物語

 歌舞伎・人形浄瑠璃など観たことがないという人のために「仮名手本忠臣蔵」全十一段の粗筋をコンパクトに紹介しておこう。

●大序「兜改め」。
 南北朝の時代。北朝方を擁立し将軍となった足利尊氏は南朝方の新田義貞を打ち滅ぼした。鎌倉鶴ヶ岡八幡宮社頭。新田義貞着用の兜を八幡宮に奉納するため、足利直義が尊氏の代参として京都から下ってきた。南朝方の多数(47個。作者は四十七士に拘るので、何事も「47」)の兜を奪ってきたので、どれが義貞着用の兜か判らない、という。
 天皇が義貞に賜った兜を見知っているという当時の女官・顔世御前(塩冶判官の妻になっている)が呼び出される。無事、選定を済ませ、足利直義らは、塩谷判官や桃井若狭之助らを伴って、兜を八幡宮に奉納に行く。その隙を見て、高師直が顔世御前にセクハラ行為をする。戻ってきた若狭之助が顔世御前を助け、高師直の恥ずべき行為を咎める。

●二段目「力弥使者(梅と桜)、松切り」。
 「二段目」は、上・下に分かれている。「上」は、通称「力弥使者」、あるいは「梅と桜」(初心な若い男女の恋模様。「梅と桜」=小浪と力弥の出逢いの象徴)。「下」は、松(「松切り」=若狭之助と本蔵の肚の探り合いなど伏線となる)。上・下で揃う松、梅、桜は、「菅原伝授手習鑑」(並木宗輔ら同じ合作者グループの作品)の三つ子の兄弟(菅原道眞に並んで主役格)、梅王丸、松王丸、桜丸に因んでいるのではないか。
 桃井若狭之助の家老・加古川本蔵の娘・小浪と塩冶判官の家老・大星由良之助の息子・力弥は許嫁の関係。「刃傷事件」の余波が若いふたりを翻弄することになる。ふたりは、後半で重要な出番(九段目)がある。つまり、そのための伏線の場面。→ 「八段目」:「道行旅路の嫁入」は、小浪が父親の由良之助とともに京都・山科に閑居中の力弥の元へ強引に嫁入りする場面となる。加古川一家は、迫り来る悲劇を前に「九段目」の山科閑居で全員が集合することになる。

 さて、その二段目の舞台。翌日の登城時刻を伝える塩冶判官の使者として塩冶家家老・大星由良之助の嫡男・力弥が桃井館を訪ねてくるので、通称が「力弥使者」となる。口上の使者・力弥の相手を桃井館では桃井家家老・加古川本蔵の娘・小浪ひとりにやらせる。というのは、継母・戸無瀬の小浪への愛情。力弥とふたりきりの時間を小浪に持たせようと「なさぬ仲」の義母は気をきかせたのだ。

 大序の場面で、高師直に辱めを受けた若狭之助は、きょうこそ、殿中(足利館)で師直を討つつもりである。主君を諌めるべき老獪な本蔵は、庭の松の枝を斬って見せて、若い主君の思うようにさせようと装う。反対すると逆効果だと、見抜いている。「二段目(下)」は、それゆえ、通称「松切り」という。しかし、主君の思うままにさせたら、桃井家はお家断絶間違いなし。苦肉の策。その一方で、本蔵は早馬に乗り登城途中の師直一向に追いつき、足利館裏門で師直家臣の鷺坂伴内に贈賄する。大人の流儀? 後に、殿中で師直は早々と若狭之助に謝罪してしまう。血気に逸る若狭之助とそれを諌める老獪な家老・本蔵の危機管理ぶりが見どころ。
 家老職は、企業で言えば、副社長、専務という実務の実力者のポスト。高師直は、若狭之助に対して我慢した鬱憤を横恋慕中の顔世御前の夫・塩冶判官に向け直すことになる。しぶとい師直はセクハラからパワハラへ、ハンドルを切る。

●三段目「進物場・文使い(門前)、喧嘩場(刃傷)、裏門」。
 「裏門」の場面は、最近では、あまり上演されない。「裏門」を除けば、お馴染みの場面。「進物場」の贈賄の後、夜明け間近に登城してきた塩冶判官に随行していた判官側近の早野勘平は、顔世御前から預かってきた師直への返書(セクハラへの断り状)を判官に託そうと追って来た。若いふたりは恋仲ゆえ、その後、職場放棄をしてちょっと間の情事に耽って仕舞う。

 「喧嘩場」は、「刃傷」あるいは「松の間刃傷」ともいう。有名な場面、塩冶判官が高師直に松の間で刃傷に及ぶ、ということになる。お家断絶は必死の状況。続く「裏門」では、判官の事件発生で足利館は出入り禁止の緊急事態となる。側近なのに、主君の側にいなかった勘平は、責任重大と悟り、「色にふけったばっかりに……」、切腹せねばと落ち込んでしまう。お軽(かる)に諭され、武士を捨ててお軽の実家へ一旦、落ち延びて今後の対応を考えることにする。

●四段目「花献上、判官切腹、城明渡し」。
 「花献上」の場面は、最近では、あまり上演されない。ここは、「花献上」を除けば、お馴染みの場面。国許からなかなか到着しない国家老の大星由良之助を待ちわびながら、切腹へと追い詰められて行く塩冶判官の姿が、息詰まるような緊張感で描かれて行く。通称「判官切腹」あるいは「通さん場」。大名の切腹という厳粛な場面なので、開幕後は客を席に案内しない。金を払った客といえども通さない、というわけだ。今回もそうであった。観客は、出入り禁止。
 「城明渡し」は、主君切腹、お家断絶後の後始末の場面。滅多にやらない「花献上」は、判官蟄居で打ち沈んでいる扇ガ谷の塩冶館で、妻の顔世は鬱状態の判官を慰めようと鎌倉山の数種類の桜の枝を腰元たちに集めさせた。陰鬱な雰囲気とは違って、大道具は金地に花丸の襖も豪華な場面で華やか。悲劇の前の気分転換。華やかな後に、悲劇ということで、悲劇性を一層高める効果もある。一方、足利館から上使来館に備えて待機した家老の斧九太夫と諸士頭の原郷右衛門は判官の罪を巡って論争を始める始末で、顔世御前に戒められる。この場面の後が、上使来館となり、判官切腹の場面へとなる。

 浄瑠璃「道行旅路の花聟」は、通称「落人」。仕事でミスをした勘平をなぐさめながら、恋人のお軽の故郷(京都南部の山崎)へ。若い男女の逃避行。すでに触れたように、「裏門」の場面を省略する代わりに舞踊劇(所作事)化したもの。今回は、「裏門」も「落人」も上演するという「異例」の構成(ほぼ同じ内容が演出を変えてということだが、演じられるという、荒唐無稽さ)と言える。

●五段目「鉄砲渡し、二つ玉」も、「忠臣蔵」には、欠かせない場面。
 京都に近い山崎街道、勘平と塩冶家家臣の旧知との出会い。闇夜で火を借りあう「鉄砲渡し」の場面。闇夜でいかつい猟師姿の男に出会い、まして鉄砲を持ち、火縄の火が消えたから貸して欲しいと突然言われたら、皆、警戒する。ならば、鉄砲ごと渡せば、安心だろうと、「鉄砲渡し」となった。

 舞台が廻って、イノシシ狩りと定九郎殺しとなる「二つ玉」の場面。闇夜を逃げ回るイノシシに向けて勘平は、鉄砲の玉を2発撃つ。だから、「二つ玉」。勘平役者の代々も、定九郎役者の代々も、細かく藝の工夫をしてきた場面だ。

●六段目「勘平腹切」では、お軽の身売り、勘平は「誤解」の果てに自害へ、と悲劇が続く。
 武士に戻りたかった青年は、望みを果たせずに亡くなってしまった。五段目、六段目は、見せ場が続くだけに、代々の役者の藝の工夫で「秒単位(所作、科白の間など)」、「センチ単位(移動する位置関係など)」に口伝があり、藝が洗練され完成している。

 例えば、五段目の定九郎殺し。定九郎の衣装や所作は、初代中村仲蔵の工夫。山賊による与市兵衛殺しの場面を名場面に変えてしまった。六段目の勘平腹切。六段目の勘平の出は華(はんな)り=色気、艶、華やかさ=させる。五代目菊五郎の工夫。後半の勘平の悲劇をより際立たせる。「色にふけったばっかりに、大事なところに居り合わさず」という科白は元々の人形浄瑠璃の原作にはなく、三代目菊五郎が工夫して付け加えた科白で、歌舞伎の「入れ事」(新工夫)という。それ以降、勘平役者は皆が使うようになった。今も、どの役者も同じように演じる場面だ。

●七段目「一力茶屋」。
 京都の華やかな茶屋場で、遊蕩三昧を装う由良之助、遊女になったお軽、お軽の兄・寺岡平右衛門、塩冶家から高家に寝返った元家老の斧九太夫などが登場する。元禄歌舞伎の華やかさを今に伝える場面だろう。その一方で、密かに主君の敵討ちの準備を進めてきた由良之助一派も、観客を欺くことをやめて、観客にも判るように復讐心をじわじわと滲み出させ始めた。

 「道行から七段目まで」の「お軽・勘平物語」は、主君の敵討ちを狙う塩冶家の旧家臣たちの物語(「時代もの」)という主筋の中に仕掛けられた「世話もの」という脇筋。つまり、「世話もの」が、「時代もの」の中に、いわば「入れ子構造」になっている。鮭が卵を抱くように「時代もの」の世界の中に「世話もの」が抱き込まれている。歌舞伎・人形浄瑠璃の演劇構造で、よく見かける「入れ子構造」という物語の展開の妙味、と言える。主筋より脇筋が時空を超えて人気を呼ぶ。「時代もの」は時代に制約される。その時代を理解しないと芝居が判りにくい。一方、「世話もの」は人間の本来的、原初的なもの。従って、普遍的。時空を超えて、国境を超えて、現代人にも、インターナショナルに共感を得る。現代にも通じる判り易さがある。この場面でお軽は、腰元から初々しい若妻・女房へ、さらに、色っぽい遊女へと、同じお軽という人物ながら「羽化」してみせる。世話ものの魅力の極地ではないか。

●八段目「道行旅路の嫁入」は、所作事(舞踊劇)。
 初々しい加古川本蔵の娘・小浪と義母の戸無瀬の二人連れが東海道を行く。ふたりは小浪の許嫁・大星力弥、由良之助、お石ら一家が隠れ住む「山科閑居」に強引に押しかけようとしている。当初の約束通り、嫁入をしようと東海道の富士山付近を急いでいる。

●九段目「山科閑居」は、雪景色の冷え冷えとする場面。
 今回は、普段はあまり上演されない「雪転(ゆきこか)し」の場面が頭に付く。由良之助が祇園の一力茶屋から帰宅する場面が描かれる。酔っ払った由良之助が雪の玉を足で転がしながら帰って来る。この雪の玉は、後の場面で、由良之助と力弥の墓に見立てた雪塔として使われ、由良之助らの敵討ちの本心を示すものとなる。虚無僧姿に身をやつした加古川本蔵と妻の戸無瀬、娘の小浪が落ち合って、加古川一家が大星家で勢ぞろいする。娘を思う親心、武士としての義理と情の間(はざま)で葛藤する本蔵の苦衷、本蔵の真意を知った由良之助の思慮と本蔵への討ち入りの覚悟の披瀝、義母ゆえに、なさぬ仲の戸無瀬と小浪の恩愛、お石の戸無瀬母子への情愛などが描かれる。

●十段目「天川屋(あまかわや)」。
 塩冶家出入りの堺の商人・天川屋義平。山科在住の由良之助から鎌倉の高師直館へ討ち入りするための装束・武具の回送することを請け負う。秘密を守るために妻を離縁したり、奉公人を解雇したりしている。最後の荷を送り出す日、捕吏が義平を取り囲み、由良之助らの計画を白状せよと脅す。それを拒否して、「天川屋義平は男でござるぞ」という科白を言う。脅されても屈しない。約束は守る。すると、荷を入れていたはずの長持ち(いわば、コンテナー)の中から由良之助が現れ、捕吏たちも由良之助の家臣だった。由良之助たちは義平の心を試したのだ。十段目は通称「天川屋」。最近は、ほとんど上演されない。

●十一段目「討入、広間、奥庭泉水、本懐焼香、引揚」。
 お馴染みの大団円だが、原作と違い幕末から明治期になって、付け加えられた実録風の芝居。「大序」や「七段目」とは、肌触りを異にする芝居となる。
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 「仮名手本忠臣蔵」は、1748年の初演以来268年となった。2018年は、270年の節目を迎える。上演演目と上演しない演目の洗練度の差。伝統藝の数々。代々の役者の藝の工夫もあれば、芝居から所作事(舞踊劇)への演出の変更。荒唐無稽な芝居から実録風の史劇志向の演出の追加などなど。上演されなくなった場面は、そういう洗練さが乏しいのは、無理からぬこと。また、そういう場面は、その後の展開の伏線となる場面が多いので、話が二重になりがち、ということもあるだろう。今回の国立の完全通し上演では、そういう対比の面白さが観客側にはある。

◆ 男のドラマと女のドラマ

 塩冶家の男たちのドラマは、接待役という権限を悪用する者によるセクハラ、セクハラの巻き添えとなり、パワハラを受ける主君・塩冶判官、主君の受難から始まって、国家老・大星由良之助を頂点とする主君の敵(かたき)討ちの盟約をする家臣たち、密かな準備、落ちこぼれる同志、討入り、本懐成就として展開する。その合間に、元々の原作者たちは、男たちのドラマの陰で泣く女たちのドラマを挿入している。男のドラマと女のドラマの対比。これは、のちのちのためのキーワード。覚えておいていただきたい。

 圧倒的に立役(男)が多い芝居。女形も「忠臣蔵」の女たちと言えば、以下のとおり。登場順に見て行くと、塩冶判官の妻・顔世御前、桃井家家老・加古川本蔵の妻・戸無瀬、娘の小浪、塩冶家の腰元・お軽、お軽の母・おかや、由良之助の妻・お石。

贅言;お軽の表記は、人形浄瑠璃ではお軽。歌舞伎では、おかる。今回は、お軽で統一して表記した。

 女たちに光を当てたところで、こんにちは、これぎり。(続く)

(筆者は、ジャーナリスト/元NHK社会部記者。日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)


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