【書評】

『戦前回帰「大日本病」の再発』

山崎 雅弘/著  学研教育出版/刊  定価1,800円+税

藤生 健


 ゲーム・デザイナーにして戦史・紛争史研究家である山崎雅弘氏の新著。これまでの著作とは異なり、戦史・紛争の歴史そのものではなく、第二次大戦期の日本国民を戦争に動員し、死を強要した仕組みの解明に焦点が置かれている。大日本帝国の国家原理を解き明かすことで、国民の犠牲を顧みずに戦争遂行に至上の価値を置く政府と、人命を軽視する旧軍の体質を説明している。特に国家神道と、天皇機関説(美濃部)事件に端を発する国体明徴運動が、戦時体制の構築と戦時動員の推進にどのような役割を果たしたかについて、専門的になり過ぎること無く、具体例を挙げながら分かりやすく説明されている点が秀逸。この分野はややもすると難解な宗教学や哲学の世界に入ってしまうし、歴史学者は国体問題を深く掘り下げることが少ないだけに重要だ。

 敗戦処理をめぐる日本と他国との比較は特に秀逸だ。フランス(1940年)とドイツの敗戦に至る経緯を比較することで、各国の軍隊が何を守り、誰に奉仕するための存在であったかを考察する部分は、戦史を専門とする山崎氏ならではのものだろう。日本が国体(天皇主権)を守るために、まず国民を犠牲にし、次いで沖縄などの領土を犠牲にしたのに対し、フランスは国民の生命と財産を守るために領土(北フランス)と国体(民主主義)を犠牲にしている。果たしてこの違いはどこから来ているのか、そして現在の日本はどうなのかが問われる。

 また、ドイツのケースでは、日本軍とは異なりドイツ軍の高級軍人たちがヒトラーの死守命令に固執せずに柔軟に対処し、「玉砕」を回避していたことを例示している。日本軍の場合、将軍級で玉砕などの非人道的な命令を無視したケースは殆ど見られず、わずかにインパール作戦において独断で撤退命令を下した佐藤幸徳中将がいる程度だという。この問題も、現在に至るまで引きずっている。ドイツの軍人法は、批判的な「共同思考的」軍人であることを求めつつ、「職務上の目的」を欠く命令、「人間の尊厳」に反する命令、犯罪行為に関わる命令には拘束力が無く、従う必要がない、もしくは従ってはならない、と規定している。だが、これに相当する規律は、日本の自衛隊法などには存在せず、戦時中の反省を今日に活かす仕組みは見受けられない。

 本書からは離れるが、軍隊のあり方について、例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、これこそが本来の意味での「国民の軍隊」と呼べる。また、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。
 これに対して、日本の自衛隊法は「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」(第3条)とするのみで、「国の安全」を守る規定はあっても、国民保護に類する規定はない。平時であれば問題ないかもしれないが、危機時には「法律に規定されていない」ことを理由に保護を拒否する可能性を示している。実際に1945年の沖縄戦において、軍は国民の保護よりも作戦を優先し、沖縄県民に多大な犠牲を強いた。

 さらに戦後日本は、GHQの指導の下、天皇の戦犯追及をかわしつつ天皇制を維持するために、軍隊を廃し、民主主義の導入を図るが、冷戦の勃発に伴い、「冷戦の前線基地」としての地理的条件が重視され、民主化・脱国家神道の達成は不十分に終わってしまった。1960年代から70年代に至る高度成長によって、民主主義の深化は重視されないまま今日に至っている。本書の最後は、現在の安倍政権や自民党の憲法改正案が、いかに国家神道の原理と相似性を示しているかを検証している。

 いよいよ時代は昭和初期の様相を呈しつつある。本書を読んで改めて思い出されるのは、美濃部事件(天皇機関説事件)だ。1935年2月、貴族院で菊池武夫議員が美濃部達吉議員(東京帝大名誉教授)の天皇機関説を攻撃したことに始まり、「国体を否定するもの」「国賊」「学匪」などといった非難、攻撃が激化、美濃部家には続々と脅迫が届き、本人や家の周囲に不審者がつきまとうようになった。甚だしきは、文部省から「右翼テロに注意するよう」旨の警告に続いて、「転向」を求める文書までが来たと言われる。
 ところが、実際には美濃部説は当時の学界、官界における通説で、官僚採用のための高等試験も全てこれに基づいていた。しかも、当の貴族院では美濃部が自説を説明したところ、大きな拍手が起きて理解を得たはずだった。にもかかわらず、美濃部は不敬罪で告発され、マスゴミの攻撃にさらされ続け、ついには貴族院議員を辞任、その後右翼テロリストに銃撃されて重傷を負った。その間、政府は「国体明徴声明」を出して美濃部説を否定している。恐ろしいことに、美濃部を負傷させた銃撃犯はついに逮捕されず、同じく銃撃し命中しなかった犯人は懲役3年で済んでいる。
 これら右翼人士の多くは、「天皇を機関車呼ばわりするとは何事だ」程度の理解だったと言われる。昭和帝が自ら「天皇機関説の何が問題なのか」と言い、取調べに当たった検事はみな美濃部の教科書を読んで受験していたのだから、今日から見れば理解しがたい事件だったわけだが、当時はそういう世相だった。

 昭和のテロリズムは、個々の政治家や財界人や学者を死傷させたことではなく、明治憲法に明文化されていない多元支配の構造を否定し、天皇による一元支配と擬装された軍部支配を実現した点に真の効果がある。同じ意味で、大正期の国際協調主義を否定し、軍国主義を促進させた点も大きい。テロルの副次的効果として、マスコミが便乗して大衆を扇動、リベラル派の知識人が沈黙し、官僚が自らこぞって国家主義・軍国主義に転向していった。また、左翼テロに対する警戒を理由に治安維持法などが制定されて恐怖支配が正当化された。
 特定秘密保護法に続く、今回の安保法制と改正刑事訴訟法(通信傍受の拡大等)、そして自民党が準備している憲法改正案、我々は「いつか来た道」を歩んでいるのである。

 (評者はプログレス研究会共同代表)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧