『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか―』

■【書評】

ロナルド・ドーア著『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか―』

                          鈴木 不二一
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 来年は米寿を迎えようとしている碩学ドーア先生の元気横溢ぶりにはいつも
ながら圧倒される。昨年、経済社会の金融化についての警世の書、『金融が乗っ
取る世界経済―21世紀の憂鬱』(中公新書)を上梓されたばかりなのに、今度はテ
ーマを転じて、米中冷戦下の日本の国際関係を論じる、まさに時機を得た時論の
書を世に問うた。それが本書である。

 この本のテーマは、「米国の「悪識」<評者注:「良識」の反対>を鵜呑みにし
過ぎて、世界をまっすぐ見ることができなくなった日本人をたしなめる」と同時
に、曾孫の時代が「平和な、よき時代であることを願い、日本人に大きな貢献が
できると信じている」著者による具体的提言を行なうことである。その主張の要
点は、「一国平和主義ではなく、世界規模の平和主義―(中略)―を実現する国
際法的秩序を構築しようとする努力を、外交目標のなかで、優先順位を高く位置
づけるべきだ」ということにある。

 実は、金融化を論じた昨年の著書の「後書き」には本書の予告ともいうべき伏
線が張ってあった。すなわち、そこでは、西太平洋におけるアメリカから中国へ
の覇権交代の必然性を論じ、米中冷戦から熱戦へのリスクにもふれた後、「土壇
場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米
中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかど
うか」という問いが提起されていたのである。

 本書は三部構成になっている。まず第一部「米中関係の展開と日本」では、次
第に明白化しつつある米中冷戦の構図を分析し、今後21世紀半ば頃までかけて、
西太平洋における勢力均衡が大きく変化することを予測する。結論として、「米
中の国力バランスが漸次的に中国の圧倒的優勢の方向に傾くというシナリオ」が
提示される。その根拠は、(1)相対的成長率、(2)中国政府の課税能力、
(3)増大する国防費、(4)新兵器開発、(5)優秀な頭脳の訓練である。

 このようなシナリオの実現可能性を指摘する議論は、いまだ少数派ではある。
けれども、『フォーリン・アフェアーズ』のような有力誌に「経済覇権はアメリ
カから中国へ」(アルビンド・サブラマニアン、2011年9-10月号)という論文が
掲載され、これをめぐって論戦が展開されたりするようになった。いずれにせ
よ、「決定的な武力対決がなくとも、小さな外交的対立の局面において、米国が
ズルズルと譲歩を迫られる事件が重なる結果、西太平洋での米中の勢力均衡は変
化する」と予想される。

 米中関係は「大人らしく相互規制された関係を築くのに成功したとしても、依
然として通常の軍事力競争の激しさは低減しないだろう。」けれども、米中の狭
間に立たされている「立役者・日本」では、こうした厳しい現実に対するリアル
な認識が欠如しているようにみえる。

 その典型は、例えば、「強力な日米同盟は、アジア太平洋地域の平和、安全の
鍵」としながら、「同時に日中のより安定な、より相互信頼に基づいた関係を築
くことは、日本の(東日本大震災後の)再建に欠くべからざる要素である」とい
う「八方美人的?」夢想を描く船橋洋一のフィナンシャル・タイムズ紙への寄稿
(2011年5月)である。(実はこの論文への反論が採用されなかったことが、本
書を書くきっかけになったという。)

 第二部「幻の核兵器」は、核不拡散体制がもはや「核」の国際的統制機構とし
て機能しえなくなっている現実を指摘し、世界平和のためには代替的核兵器管理
体制の構築が焦眉の課題だと主張する。過去20年間を回顧すると、世界情勢・国
際関係は悪化の一途をたどり「混沌とした物騒な世の中」になったといわざるを
えない。

 とはいえ、数百年あるいは数千年単位の長期の趨勢で考えてみれば、人類は
「世界社会」の形成に向けての進歩の道筋を歩んできたのであり、「国際機関の
ネットワークがますます緊密になり、国際機関が普遍的な価値を実現するために
人類の進歩に貢献している」ことは間違いない。

 けれども、ひとつだけ例外があって、それは核不拡散体制である。ケネス・ウ
ォルツによれば、「広島、長崎以来核兵器を使う戦争が起こらないのは、核兵器
は事実上使えない兵器だからである。」それは、核保有国が対立する陣営に対し
て核兵器を使用すれば、もう一方の陣営からの報復攻撃を受けることになり、一
方が核兵器を使えば最終的に双方が必ず破滅するというMAD(Mutual Assured
Destruction、相互確証破壊)状態が、核兵器の使用を抑止したからで
ある。この状態が維持される限り、「核戦争には勝利者はいない。」

 冷戦時の米ソ両国には「平和を維持するのはMADであるという暗黙の理解」
があった。ところが、その均衡状態を維持する仕組みとしての核不拡散条約(N
PT)による核保有国の制限と核兵器削減は、核保有5大国も、条約非加盟4カ
国(インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル)も一向に軍縮を進めないことに
より、「半分崩壊している」。さらに、イスラエルとイランの間の非対称な核保
有状況は、イスラエルに報復を恐れずに核攻撃を行える可能性を与えてしまって
いる。NPTは、いまや「戦争が起こる確率を高くしている効果の方がより大き
く」、「もう修理できる段階を通り過ぎた。」

 第三部「ではどうしよう」は、NPTに代替する新たな核兵器管理体制の提案
である。その中核的な目的は、「外国からの攻撃を抑止してくれる「報復の確実
性」を、現在の核保有国の同盟国ばかりでなく、世界のあらゆる国に与えること
にある」(「MADの普遍化」)。

 この新体制では、条約締結国は、核保有国となるか非核保有国となるかを選択
できるものとし、核保有国は少なくとも3カ国の非核保有国との間に「代行確証
復讐条約」(敵国から攻撃されたときに報復する」という確証を与える)を締結
して、「核の傘」を提供するものとする。そして、日本こそが率先して、このよ
うな新たな核兵器管理体制構築のイニシアチブをとったらどうか、と著者は問い
かける。

 以上、本書の要点を簡単に紹介した。本書を読了して、評者にとって印象深か
ったことがふたつある。ひとつは現実観察における透徹したリアリズムであり、
もうひとつは長い目でみた人類の進歩への確信と、そうした進歩に主体的にコミ
ットしようとする姿勢である。すなわち、「クール・ヘッド、ウォーム・ハート」
の人であるところに、著者の真骨頂はあるのだろう。

 であればこそ、外交的な美辞麗句や建前的言説の背後にある国際関係の真実を
剔抉するクールな分析が、現実の中に芽生えている未来への可能性を見出すこと
につながっていく。そう考えると、本書は「現実世界の変革可能性に注視しなが
ら、・・・ありうべき現実への想像力をふくみ込んだ「現実(レアリティ)」を
先取りしようとする」(稲上毅『現代社会学と歴史意識』1973年、144頁)社会
学の学統をふまえた、「世界社会」形成の動態分析試論として読むことができる
かもしれない。

 著者は、「人性は善悪が混合するが、善が少しずつ勝っている。結局、「歴史
とは進歩の歴史である」」という基本的スタンスに立ち、その意味で「条件付き
の「進歩派」」であるという。NPTに替わる新たな核兵器管理体制の提案は、
「いったん発明されてしまったら、核兵器がこの世からなくなることはない」と
いうリアリズムの上に立った、きわめて大胆な提案である。大胆すぎて、日本人
の感覚ではついていけない感もある。

 けれども、それは「世界政府の出現」という、「カント以来多くの思想家が分
かちあった夢」にいたる進化の道筋をつけるための議論の素材として提示された
ものである。本書を通じて著者と生産的な対話を行うためには、一見奇抜にみえ
る提言内容の表層にこだわるのではなく、そこにいたる著者の思考の道筋に着目
することが肝要と思われる。

 とはいえ、著者の提言は、「核」に関わる戦後日本社会運動の到達点からみた
とき、やはり、そのままでは受け入れがたいものではないかと評者は考える。昨
年3月11日の東日本大震災・福島第一原発事故と、その後の反原発運動の展開の
中で、「核と人類は共存できない」(森瀧市郎原水禁代表)という戦後反核運動
の思想的到達点がいま改めて注目を集めている。原爆も原発も、「完全な制御が
不可能な」「近代文明が生んだモンスター、人類絶滅の暴力装置」(加藤哲郎
「原爆と原発から見直す現代史」『エコノミスト』2012.10.8)であるという認
識が、首相官邸金曜デモをはじめとする反核大衆運動の中で次第に共有されつつ
ある。

 MADによる恐怖の均衡は、まさに狂気の沙汰である。無核社会の実現には、
MADの狂気を逆手にとるようなしたたかなリアリズムが必要とされるという議
論には一理あるかもしれない。長期スト資金を蓄積した労働組合と、いざとなれ
ばロックアウトも辞さない使用者団体の間の恐怖の均衡が、結果的に産業平和を
もたらし、階級闘争の制度化をもたらした経験とのアナロジーも可能かもしれな
い。けれども、戦後反核運動の中で彫琢されていったコモン・マンの現実意識に
とっては、「核兵器がこの世からなくなることはない」という達観から出発する
ことは難しいだろう。

 とはいえ、「核と人類は共存できない」という理念の普遍化を通じて、「世界
政府の出現」という夢を著者と共有する道を探ることは、あながち不可能ではな
いようにも思える。ただし、そのためには、「広島・長崎にただ乗りして、手を
汚したくない独善」といわれないような、「世界規模の平和主義」に立った積極
的国際貢献の姿勢と、同時に世界情勢・国際関係の動態についての正確かつ冷徹
な認識を彫琢しなければならない。そのような強靭な思考を鍛えるための対話の
相手として、本書は一読の価値がある。

 (筆者は連合総研 客員研究員)

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