『日本占領史1945-1952』

【書評】

『日本占領史1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』

福永文夫/著  中公新書・2014年発行

岡田 一郎


 本書は『占領下中道政権の形成と崩壊—民政局と日本社会党』(岩波書店)を1997年に上梓した筆者が、「占領の終結にいたる後期を含めて、日本占領が、この国にそして日本人に何を残したかまとめてみたいという思い」(本書、347頁)からまとめた占領時代の通史である。占領時代については、これまで数多くの通史が刊行されているが、そうした通史の中で本書が飛び抜けて優れている点は占領する側(GHQ・アメリカ本国・連合国諸国など)、占領される側(日本政府・沖縄・政党・労働組合など)の様々なアクターの動きや思想を追いながら、諸々のアクターの動きが日本占領政策にどのような影響を与えたのかを複眼的に描いていることであろう。

 ことに日本人は歴史を物語としてとらえる傾向があり、超人的な英雄を作り上げ、その人物が全てを行ったと考える傾向が強い(例えば、GHQの占領政策はすべてマッカーサーの独断でおこなわれたとか、吉田茂がGHQを翻弄した等)が、実際にはマッカーサーも吉田茂もアクターの一人に過ぎず、すべてを自在に動かせたわけではないことを本書は教えてくれる。例えば、マッカーサーも占領後期まで日本の非武装化に固執するが(この点は私には意外であった)、結局、冷戦の激化と共に日本の再軍備をしぶしぶ受け入れざるを得なくなっている。

 また、天皇制の温存や日本国憲法制定などマッカーサーが、アメリカ本国や連合国諸国を出し抜いた点もあるが、アメリカ本国の政治状況の変化に翻弄されている点も有り、私達日本人がとかく想像しがちな、アメリカ本国や連合国諸国を煙に巻きながら、絶対の権力者として日本に君臨する最高司令官としてのマッカーサーの姿は本書にはない。また、マッカーサーと二人三脚でGHQの幕僚たちを手玉にとりながら、日本にとって有利な条件を引き出していく老獪な政治家という、我々日本人が想像しがちな吉田茂の姿も本書にはない。

 本書にあるのは、最も経済状況が困難な時にGHQ民政局が要求する民主的な改革を成し遂げるという困難な仕事を片山・芦田内閣に任せ、日本の民主化から経済復興へとアメリカ本国の関心が移った時にうまく政権を奪還した、運が良い政治家の姿である。さらに吉田の幸運は続く。アメリカから押し付けられた経済安定9原則によって猛烈なデフレに陥りながらも朝鮮戦争勃発に伴う米軍特需で経済不況を乗り越え、アメリカとの講和交渉は、左傾化して非武装中立を掲げるようになった社会党の存在を言い訳にすることによって、軽武装・経済復興優先政策を押し通すことに成功している。運を引き寄せるのも政治家の能力というならば、吉田は日本政治史上類まれなる政治家であったのだろう。

 一方、本書を読み進んでいく中でやはり社会党のだらしなさが目についてしまう。GHQ民政局から全幅の信頼を寄せられていたにもかかわらず、社会党は自前の片山内閣を崩壊させ、抵抗政党への道を突き進んでしまう。そのような状態に陥った最大の理由は社会党がついに左右対立を克服することが出来なかったことである。無産政党時代の七花八裂と呼ばれた状態に陥った反省から無産勢力が大同団結して誕生した社会党はなぜ左右対立を克服することが出来なかったのか。これは日本政治史を考察する上で非常に重要な問題である。
 なぜならば、本書で描写されている片山内閣および社会党の混乱と同じ姿を我々はつい最近、民主党政権と民主党の混乱という形で見ているからだ。社会党の左右対立はこれまで社会党がイデオロギー政党であるがゆえに保守政党のように利益などによって妥協することが出来ないからであると説明されてきた。しかし、民主党に社会党のようなイデオロギー対立があったとは思えない。多くの政治家が公職追放され、さらに政権から下野しても一体感を保ってきた自由党とその後身である今日の自由民主党には何か党内の意見を集約する秘密があるのかもしれない。なぜ、保守政党は党内意見の集約が巧みで、それに対抗しようとする政党はそれが出来ないのか。占領時代から続く我が国の政党政治の宿痾ともいうべき問題を解き明かすことが我が国の政党政治をさらに発展させるために必要であると本書を読んで痛感した。

 また、本書は「東京・ワシントン・沖縄」という副題をつけ、これまで占領史において軽視されてきた沖縄の占領史を日本本土の占領史と同時代的に描写しようと試みている。それによって見えてくるのは、日本政府もアメリカ本国も沖縄に対してほとんど関心を抱かず、長期にわたって見捨ててきたということである。日本政府にしてみれば、沖縄は早期講和のための捨て石に過ぎず、アメリカ政府にしてみれば、戦力上重要と思って日本本土と切り離してみたもののどう扱って良いかわからない地に過ぎなかった。在日米軍基地の負担を沖縄に押し付け、さらに米兵が沖縄で罪を犯しても「米兵は悪くない、沖縄県民が悪い」と平然と言ってのける日本人の冷淡さは、既にこのとき形成されていたのである。さらに、沖縄県民をまるで植民地住民かのごとく扱うアメリカ人の傲慢さもこのときに形成されていたことがよくわかる。戦後の沖縄に出現した諸政党では日本本土の住民の冷淡さを知らず、少数ながら存在した独立論をおさえ、本土復帰を方針とした。しかし、今後も日本人が沖縄蔑視を続けるならば、沖縄独立論が沖縄県民の中で沸き上がってくる可能性が高まることを我々は肝に命じるべきであろう。

 「あとがき」の中で筆者は、占領で日本人は駄目になったという考え方に違和感を呈し、「六年八ヶ月ばかりの占領で、日本および日本人は駄目になるほどひ弱で怠惰なのだろうか。それこそ自虐史観ではないのだろうか」と述べている。(本書347頁)私も同感である。
 戦後改革はアメリカが押し付けたものを日本人が唯々諾々と従ったわけではなく、日本人がイニシアチブをとった改革もあったし、かねてから構想されていたものをGHQの力を借りて実現したものもあった。(農地改革など)確かにGHQの改革には、日本の事情を無視し、日本に合わないものも多かったが、そうしたものは占領後期から占領後の「逆コース」によって多くは修正されている。
 (警察制度など)日本国憲法に関しては短期間で作成された押し付け憲法であるという意見もあるが、GHQが短期間で民主的で平和主義的な憲法を作らなければ、極東委員会で昭和天皇を裁判にかけるという意見が多数派となる危険があった。そうなった場合、日本人自らの手による独自憲法が作られる反面、天皇制は廃止され、共和制になっていた可能性もある。それでも良いというのならば、それは1つの考え方であるが、押し付け憲法論者に共和制支持者がいるという話をとんと聞かないのはなぜだろうか。
 仮に日本国憲法が日本の事情に合っていないのであれば、改憲をする機会はいくらでもあったはずである。しかし、これまで1度も改憲がおこなわれなかったのは、改憲論者が日本国民を説得し得る憲法草案を作成することが出来なかったからではないか。戦後70年近く経つにもかかわらず、自民党の改憲草案のような今日の国際社会では到底受け入れられないような国家主義的な憲法草案を作成し、近代立憲主義の意味すら理解していない人々が日本国憲法を面罵するのは、当時のギリギリの情勢の中で天皇制護持のために戦った人々、および日本国憲法の下、国際社会に復帰するために平和で民主的な日本国を建設するために邁進してきた人々に対する最大限の侮辱である。むしろ、我々日本人は外国による占領を体験しながら、国内を混乱させることもなく、日本人のアイデンティティも失わず、国際標準の民主主義を我が物とした先人を誇るべきではないだろうか。

 本書は1945年から52年までの約7年間の占領時代の通史であるが、現代の日本人が直面する様々な問題について考えるきっかけを与えてくれる研究書であり、決して単なる過去を回想するための歴史書ではない。
 ただ、非常に大部であったためか、いくつか筆者のチェックが行き届かなかったのではないかと思われる部分があるので最後に指摘したい。
 まず、社会党の結成のところで「左派の鈴木茂三郎、加藤勘十ら日本無産党系の入党についても」(本書57頁)とあるが、日本無産政党では加藤が委員長、鈴木が書記長であったことや、加藤が戦前から代議士として活躍し、「火の玉勘十」として相当の有名人であったのに対して、鈴木が代議士に当選し、政治家として本格的に活躍するのが戦後であることを考えれば、「左派の加藤勘十、鈴木茂三郎ら日本無産党系の入党についても」とするべきである。「政治家の名前の表記の順番は戦前からの政治家としてのキャリアを考慮して細心の注意を払うべき」と生前の河上民雄先生によく注意されたので、ここで指摘しておきたい。
 また、「憲法研究会案は統治権は『日本国民より発す』、『天皇は祭祀のみを司る』と国民主権を明らかにし」(本書89頁)とあるが、憲法研究会案では「天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル」となっており、「祭祀ヲ司ル」とは書いていない。また、「九月には金日成を主席とする朝鮮民主主義人民共和国が成立」(本書210頁)とあるが、北朝鮮建国時の金日成の肩書は首相であり、北朝鮮が国家主席制を導入するのは1972年である。

 (評者は小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)


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