『永続敗戦論—戦後日本の核心』

【書評】

『永続敗戦論—戦後日本の核心』--白井聡/著 太田出版/刊 定価1700円

                     大塚 健祐


 本稿を、本書には一言も触れられていない「オリンピック」の話からはじめることを、どうかお許しいただきたい。

 というのも、本書を読み進めて行く間ずっと、筆者の脳裏から屈辱的な……敢えて言えば「国辱的」な、現首相によるオリンピック招致応援演説が去ることがなかったからだ。
 そう、
「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」
なる、妄想としか表現しようのない、悪党の三百代言にも劣るような無責任な言質を、一国の総理として世界に請け合ったアレである。

 出張先でBGMがわりに流していたテレビの、唯一の日本語放送であるNHKがオリンピック報道に埋め尽くされていた頃、詐言から逃れようとCNNに切り替えたまさにその瞬間に、再び我らが首相の妄言演説を耳にすることになった時のわたしの心境は、本書冒頭の
「私らは侮辱のなかに生きている」(P6)
という言葉に表された風景、そのものだった。
 更に、土建屋の端くれとして言わせてもらえば、このオリンピック招致は、建築作業員を東京に集中させることにより、震災によって大きな打撃を受けた東北の復興を事実上、無期限に先送りするという宣言でもある。

 わたしは所属団体の隊列防衛についていたので直接は耳にしていないが、この言葉は、大江健三郎が中野重治から引用する形で口にしたものだそうである。
 2012年7月16日のに開かれた、この「さようなら原発10万人集会」は3・11以降の反原発運動の活動のピークだったと言われる。
 一部新右翼党派をも含めた集団による「金曜官邸前行動」は、この時期を境に急速に動員を失っていき、「反原発」改め「脱原発」の運動は分裂、迷走を深めていく。
 金曜夜という、会社員も参加しやすい日時、「官邸前」という象徴的な場所の設定は秀逸だったが、ほとんどの議員が地元に戻って不在という時空で、怒号にさらされる大臣や抗議文を手渡す相手のない空虚な抗議行動は、マスメディアに演出された内閣に対するうっ憤の、一時のガス抜きにしかならなかった。

 「日本は政治は二流以下だが、経済は一流」(P16)という言葉は、もはや今の三十代以下には通用しないだろう。バブル崩壊以降、一向に先の見えない経済状況に加え、天下の超一流企業、自民党の現幹事長も子息を入社させたという東京電力の今の体たらくを見れば、日本の民間企業が一流だと考える方がどうかしている。
 多くの反原発派が何十年も前から指摘していたように(そして最近では、新自由主義改革を強力に推し進めた元首相が恥知らずにも口にするように)、原子力発電が廃棄物や事故のリスクを採算から度外視していたことを、否定する者はもはやみつけるのも困難だ。

 前福島県知事が「日本病」(P18)と名づけて呼んだ、この「だれも責任をとらない日本型社会」が、どうやって形成され、維持されてきたのか?
 あるいは、確たる保守派である現沖縄県知事をして「全基地即時閉鎖」(P26)なるパフォーマンス発言をせざるを得ない状況にまで追い込んだ、その力はいったい何なのか?
 著者が本書で一貫して追い求め、暴いていくのが、その力が成立し、維持されてきたプロセスだ。

 本書は、我々が立っている現在から、その原因をつくりあげた敗戦、1945年の直前にまで遡って行く。
 冒頭では、3・11以降に日本国政府がとった、思考停止と対米従属、その結果としての、棄民に等しい、被災住民の疎外について触れている。
 次に、日本国が抱える領土問題、(北)朝鮮問題について、外務省が戦後取ってきた政策がいかに無理筋であり、その結果、解決を永遠に先送りにしてきたかについて、ひとつひとつ検証していく。
 最終章では、それらの根本原因たる1945年の敗戦、それからの日米関係、そして明治以来護られてきた「国体」の正体にまで踏み込む。

 80年近く続いた復古日本王政が奏でた神州不敗の神話、その「神州」には、結局満州も、朝鮮も台湾も、沖縄も小笠原も含まれてはいなかった。
 そしてその後70年近く、自らの敗戦を否定し続け、米国の軍事力を頼みに平和の幻想を生きてきた日本国の権力構造は、ほんの一部の存在の安全を保障するものにすぎないということが、ようやく誰の目にも明らかになりつつある。
 本書は、空虚な王国の終わりの始まりを告げる鐘である。

 (評者は東京都在住・会社員)


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