■【書評】

『消費増税の大罪―会計学者が明かす財源の代案』 鈴木 不二一

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 熟慮の上に立って議をつくすことは、納得にもとづく合意形成に不可欠の前提
だ。民主主義空洞化の危機がますます深化する中で、数だけを競う「集計民主主
義」にかわるべき「熟議民主主義」に注目が集まっている。ごく自然の成り行き
といってよいだろう。

 けれども、現実の政策論議は、およそ「熟議」とはほど遠い。とりわけ、ここ
数年の消費税増税をめぐる議論には、「熟議にはほど遠いレトリック、ポピュリ
ズム・・・文字通り曲学阿世の主張が蔓延している」と著者はいう。本書は、
「政治の世界の談合的駆け引きに一国の税制が翻弄される現状」をもはや看過で
きないと感じた著者による「消費増税の大罪」に対する弾劾の書であり、同時に、
これに財源の代案を示す問題提起の書である。

 著者によれば、「消費増税」に関わって「大罪」を犯したと断じるべき当事者
が3者いる。

 第1は、本質的な議論をいっさい回避し、何が何でも「消費増税ありき」の既
定路線を強行しようとする政府である。「所得が増加するほど負担率が下がる所
得税の現実を放置し、高所得者を過剰に保護する金融税制にメスを入れようとし
ない政治。これを「大罪」と呼ばずして何と呼ぼう。」

 第2は、「消費税増税に翼賛する大手マスコミである」。「国民に多面的な知
見を提供し、熟議をはぐくむ」ことこそがメディアの使命にほかならない。にも
かかわらず、消費税増税の政府案の弁護にまわり、異論に対しては「反対なら代
替案示せ」と居直る大手全国紙の姿勢は弾劾せざるをえないと著者はいう。

 第3は、「消費税増税の旗ふり役をつとめる専門家たち」であり、「少しでも
事実を確かめようという気があればすぐに誤りとわかる主張を、専門家という肩
書で国民に向かって喧伝する社会的責任はきわめて重い」。

 「消費増税の大罪」を弾劾する著者の筆鋒には、歯に衣着せぬ手厳しさがある。
それは、「民富みてこそ国も富む」という「税の大義」に背くような言説や政治
的決定が大手をふるって歩いている現実に対する怒りに発している。けれども、
それは静かな怒りである。本書の叙述全体を貫くものは、論より証拠の手堅い実
証主義と、常に原点に立ち戻って考察する骨太の政論である。奇をてらった表現
はひとつもなく、普通の言葉で坦々と議論が進められていく。

 政策論議の世界では、劇場政治を背景に、やたらと激情的な言辞を弄すること
が流行っている。実は、著者はこうした風潮からもっとも遠い位置にいる言論人
の1人である。

 著者の専門である会計学の講義資料の中に「レトリック会計学の危さ」と題す
る1節がある。曰く「修辞を挿入・援用して会計(学)をめぐる焦眉の論点をず
らしたり、争点に答えを出したかのような錯覚に自他を陥らせたりする議論が横
行しているのではないか?」。

 消費税の問題点としては、2つの逆進性がある。ひとつは、低所得者ほど税負
担率が高くなる「家計負担の逆進性」。もうひとつは、中小・零細企業など、弱
い立場の企業ほど価格転嫁が困難で「損税」を負わざるをえないという「事業者
における逆進性」である。今回の消費増税にあたって、この2つの逆進性に対す
る是正策に関する議論はきわめて不十分であり、なおかつ具体策は結局先送りと
なって不透明なままである。

 消費増税正当化論を、レトリックのまやかしをとりのぞき、意図的に放置され
ている「そもそも論」から吟味していくと、「神話」と呼ぶしかないような無根
拠の断定しか残らない。「消費税は貯蓄・投資・労働といった経済活動へのイン
センティブを妨げず、資源の効率的配分に望ましい影響を及ぼす」という議論は
机上の空論であって、現実的根拠があるわけではない。

 経済成長への影響という観点からみれば、いまの日本に求められているのは、
「「消費刺激→内需拡大→民間部門の市場拡大→設備投資拡大と雇用状況の改善」
という経路を確実なものにする税制」である。

 そこで、本書の後半では、消費増税にかわる代案としての著者の政策構想が展
開されている。その冒頭に置かれている「第五章 真の社会保障を求めて―税制
改革の基本理念」は、きわめて示唆に富む。要点は次の通りである。

 まず、「社会保障の充実が国の税源を涵養する」ことに着目すべきである。逆
に、「社会保障をターゲットにした緊縮財政に固執すること」は、国民の将来不
安がマクロの経済活動を収縮させ、雇用環境を悪化させることにより、さらなる
消費抑制と景気悪化をまねくという悪循環を招く。

 社会保障制度に必要な財源は、逆進的な消費税増税に頼るのではなく、応能原
則の観点から、累進制による所得税の再分配機能回復を軸とする税制改革によっ
て調達すべきである。

 さらに、「雇用の安定と雇用機会の拡大は、国にとって税源の涵養につうじる
ことを忘れてはならない」。したがって、「国と企業が雇用政策を一体的に立案
し、協調して政策遂行にまい進することが、いま強く求められている」。

 社会保障と雇用安定を基軸とする、まさに骨太の政策構想といえよう。なお、
この章の最後で述べられている、2050年には「高齢者一人を一・二人の現役
世代が支える「肩車」型社会が到来する」という脅し文句のまやかしに対する批
判についても、ぜひ紹介しておきたい。

 著者は「自然年齢をもって扶養する者とされる者を安易に切り分け、「胴上げ
型」「騎馬戦型」「肩車型」などといったレトリックで危機感をあおること」は、
まやかしの議論にすぎないと指摘し、社会の扶養力の状態を示す指標として労働
力人口と総人口の比率に着目する。

 その比率は2010年1.88、2050年に2.05であり、「四〇年後の
労働力人口一人当たりの社会的扶養の負担は一・一倍程度の増加にとどまること
になる」。なおかつ、扶養力は所得稼得力によって決まることから、正規・非正
規間の格差縮小などを通じて雇用の質の改善が進むことによっても社会的扶養力
は向上する。さらに高齢者を一律に被扶養者と決めつけるのではなく、高齢者の
就労機会拡大が社会的扶養力を高めることにも着目すべきだと著者はいう。

 ここで展開されている雇用機会拡大を通じて社会の扶養力を高め、社会保障の
充実につなげていくとする考え方は、スエーデンにおける「全員就業型福祉社会
論」に一脈通じるものがある。それを日本に税制改革の基盤に据える著者の構想
は、斬新で示唆に富む。今後さらに発展させていくべき重要な論点を提起してい
るといえよう。

 政策的代案の最後に提起されている「特別会計剰余金の活用」は、いわゆる
「埋蔵金」を論じたものである。けれども、ここで著者は「埋蔵金」という用語
を使わない。いずれ枯渇してしまう一過性の財源のイメージを喚起する「埋蔵金」
という言葉は、まやかしのレトリックにすぎないと考えるからである。特別会計
剰余金は、一過性どころか、現行制度のもとでは毎年恒常的に発生する性格のも
のである。

 結論として、著者の財源構想によれば、「(一)所得税の累進税制強化によっ
て見込まれる増収 二兆円、(二)法人税の減税中止によって見込まれる増収 
一・二兆円、(三)特別会計の決算剰余金・積立金の活用によって見込まれる財
源 八兆円」の合計11.2兆円の増収を見込むことができるという。これは消
費税増税による実質的増収分(逆進性対策のための財源を差し引いた増収分)に
ほぼ匹敵する。消費増税は決して唯一無二の選択肢ではない。

 本書は、さまざまな意味で知的刺激に満ちた時論の書であると同時に、知的廉
直性に貫かれた啓蒙の書でもある。ホッブス、モンテスキュー、ルソー、スミス
という4人の啓蒙思想家の租税思想の現代に示唆するものを論じた終章は、まさ
に本書にふさわしい締めくくりといえよう。「熟議の民主主義」の担い手として
の市民が、政策的思考を深め、批判的知性を鍛錬するための対話の書として、ぜ
ひ一読を薦めたい。
 (連合総研 客員研究員)

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