『現代日本の政党デモクラシー』中北浩爾著

■【書評】

政治史と政治学との架橋への意欲的試み          木下 真志

  『現代日本の政党デモクラシー』中北浩爾著(一橋大学大学院教授)
     岩波新書2012年12月刊 800円+税

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 1993年に発足した細川内閣は、しばしば「55年体制」の「崩壊」とされ、それ
までの自社(公民共)主導の政界を一変させた。この内閣の課題は、懸案であっ
た「政治改革」を実現させることにあった。長期にわたり政権を維持してきた自
民党内に、金権腐敗が横行し、目に余る状況が続いていたためである。

 本書は、もはや「歴史」といってもよい、細川政権が選挙制度改革を実現させ
るに至る政治過程、を詳細に追跡するだけでなく、野田政権による昨年の衆議院
解散までをも射程に入れて、直近の四半世紀にわたる日本の政治を政治学的に分
析しようと挑戦した気鋭の政治学者によるチャレンジングな著作である。「論文
集」ではなく、一貫した視点から分析が試みられているので、最後まで、違和感
なく読み進める。

 著者は「選挙制度改革」「マニフェスト」「政党」をキーワードに近年の「デ
モクラシー」を検討している。そして小泉純一郎内閣の後、安倍晋三・福田康
夫・麻生太郎・鳩山由紀夫・菅直人(・野田佳彦)と短命政権が続いた要因を
「衆議院に小選挙区制が導入された1994年の政治改革から、2003年のマニフェス
ト選挙の開始、2009年の政権交代を経て、現在に至る日本政治の構造的変化」を
「政党デモクラシー」という視点から分析する。

 著者のいう「政党デモクラシー」とは、「政党を基軸とする民主主義」を指
し、その視点から「統治機構のみならず、政治家と有権者の関係を含む、民主主
義のあり方」を分析する。

 政治学が専門でない者には、やや難解かもしれないが、理論的考察のために、
二人の理論家が紹介される。一人は、「合理的選択論の開拓者」として知られる
A・ダウンズである。ダウンズの理論は、二大政党制下における「政策収斂説」
といわれ、両党の志向が「得票数の最大化を目指して有権者の政策的な分布の中
央に移動する結果、政策が収斂してしまい、有権者に政策的な選択肢が与えら
れ」(p.9)なくなるという説である。つまり、ダウンズには有権者の判断に任
せるべきとの考えが根底にある。

 一方、J・A・シュンペーターは、著者によれば、「エリート主義的」で、有
権者に政策を判断するだけの能力がないとみているため、彼の「民主主義モデル
の主役は、有権者ではなく、政治エリートたる政治家」であり、「選挙における
複数の政治家の間の競争とそれを通じた政府の形成こそが、民主主義の本質だ」
(p.12)と主張した。

 著者は、ダウンズのモデルを「市場競争型デモクラシー」、シュンペーターの
それを「エリート競争型デモクラシー」と呼び、2003年におけるマニフェスト選
挙を契機に、日本では「市場競争型デモクラシーがエリート競争型デモクラシー
に取って代わっていったこと」(p.14)を本書で明らかにしたいとしている。

 また、第三の型として「参加デモクラシー」にも言及している。現代では、
「環境運動、平和運動、女性運動、消費者運動など」の「新しい社会運動」が一
定の影響力をもち、「参加デモクラシー」と呼ばれる型が登場した。この「参加
デモクラシー」を支えているのは、「シュンペーターの認識とは全く反対に、政
治に関する市民の関心や能力が限定されているのは、十分な参加の機会を与えら
れず、排除されているから」(p.17)という考えである。本書では、「参加デモ
クラシー」が自民、社会両党にも多大な影響を与えた事例が紹介されている。

 以下、本書の内容を、記憶が定かではなくなりつつある時期を中心にかいつま
んで要約する。1994年の選挙制度改革まで、自民党は二度、小選挙区制の導入を
試みた。1956年の鳩山一郎内閣と1973年の田中角栄内閣である。しかし、これら
は「自民党政権を強化し、長期化するための手段」(p.30)と目されたため、野
党やマス・メディアの反発を買い、成立には至らなかった。

 1989年に党議決定された自民党の「政治改革大綱」においては、「驚くべきこ
とに、政権政党が自ら政権交代の必要性を説い」ていた(p.33)。この「大綱」
では、「小選挙区制を基調とする比例代表制との並立制」導入が主張されている
(p.34)。

 鳩山一郎、田中内閣期と異なるのは、政権交代が起きやすい小選挙区制を導入
すれば、「自民党一党支配を前提とする利益誘導政治や金権腐敗がなくなり、自
民党内の派閥抗争も減退する」(p.34)とされた点であった。自民党政権の延命
だけを意図したものではなくなっていたのである。野党が賛同したのもそのため
であった。

 また、「大綱」が「政党に対する政治資金の国庫補助」、つまり「政党助成制
度の創設に言及」したことに著者は注目している。それは、「政治家個人ではな
く政党に政治資金を集中させることで、「政治とカネ」にまつわる問題の発生を
防止する」(p.35)という点から意図されたものであるが、後の党主導選挙を知
る現在、重要な制度変更とされる。

 海部俊樹内閣期に自民党において選挙制度改革を推進したのが、小沢一郎であ
った。前述の「エリート競争型デモクラシー」を目指した小沢にとって中選挙区
制は、特に社共にとって「ぬるま湯構造」であり、「打破」すべき選挙制度であ
った(p.38-39)。

 日本新党、さきがけ、社会党の3党は、「参加デモクラシーを指向」する立場
から、「政治資金の透明化」「企業・団体献金の廃止」「政党助成制度」「個人
献金の促進」等々を提唱した。これに対し、小沢一郎が代表幹事を務める新生党
は、「企業・団体献金の全面的な禁止」には否定的であった(p.65)。

 著者によれば、この相違は、前者が「政治腐敗の防止」「金権腐敗の打破」
を改革の眼目としていたのに対し、後者が「政治的リーダーシップの強化」が目
的であったことによる。結果的には、「政治家個人の資金管理団体への企業・団
体献金が認められ」ることとなった(p.67)。

 途中経過は略すが、小渕恵三内閣のとき、「国会審議活性化法が成立し、政府
委員制度の廃止や党首討論の導入などの国会改革、政務次官の廃止と副大臣・政
務官の設置」等の「行政改革が実施されることが決まった」(p.75)。

 また、その翌年には、「衆議院の選挙制度が小選挙区300、比例代表180の並立
制」(p.75)に変更された。この過程でイニシアティブを発揮したのは小沢で、
これが結果的には、「競争型デモクラシー」に「大きく傾斜させ」る要因となっ
たと著者は分析する(p.76)。

 一方で、社民党、さきがけ出身者を中心メンバーとして、民主党が結党され
た。さきがけは、元自民党出身者によって占められていたものの、「参加デモク
ラシーを理念の中核に据えた」(p.79)。その後1998年に「新民主党」が結成さ
れるが、選挙対策の側面が強いことと、「政権交代」を掲げたことで、「代議制
民主主義のプロセスに一元的な価値を置く」ようになり、「第二の新進党と化し
た」(p.85)。

 理念がぐらつきつつも、選挙のたびに勢力を増した民主党が、「理念に代わる
ものとしてイギリスから導入した」のが、「マニフェスト」であった。この「マ
ニフェスト」は、著者の分析では、次の側面をも持つものであった。それは、
「政治的リーダーシップを強化するために推進してきた小選挙区制と二大政党制
を肯定しつつも、それらを有権者の意思を政治に反映させる手段として機能転換
する役割」(p.89)である。これは、「競争デモクラシーをエリート競争型から
市場競争型に切り換える役割でもある」(p.89)という。

 本書では、「無党派層」についても分析されている。選挙制度改革によって、
「定数の再配分が行われ」、「都市部に多い無党派層の票の重みが高まった」と
される。加えて、「55年体制」崩壊後の「合従連衡を目にした有権者」が、「そ
れまでの支持政党を見捨て」たことが、無党派層」の増大の要因と著者はみてい
る(p.116-117)。選挙のたびに支持政党を「選好」する。変える「そのつど支
持」(松本正生氏の造語)という概念も紹介される(p.118)。

 構造的変化は、政党の、党員数や後援会加入率の減少、さらには、企業・団体
献金の減少といった諸側面においてみられる。また、各党が「選挙至上主義的な
議員政党」(p.123)に変容し、マス・メディアの影響力が高まってきているこ
とが指摘される。著者は、これらに関しても、「中選挙区制に比べて、一人の当
選者しか出さない小選挙区制では、当選に必要な得票率が大幅に上昇するため、
固定票に依存できず、増大する無党派層の票を獲得することが」、重要性を増し
たことにその要因を求めている(p.126)。

 選挙のために、大同団結した民主党は、もともと「凝集性が非常に低」く、
「その出自は自民党から社会党まで及び、護憲論者から核武装論者まで、あるい
は社会民主主義者から新自由主義者まで雑多な要素を」含んでいた。相対的には
「自民党は凝集性が高かったが」、小泉内閣期の新自由主義を唱える勢力と「抵
抗勢力」との間の「抗争が顕在化」していた(p.127-128)。

 小選挙区制の導入は、結果的には両党の「凝集性」を高めたが、その一方で
「集権制」も高めた。すなわち、党の「公認なしに小選挙区で当選すること」が
困難になったために、「政党交付金の配分権を持つ党執行部の権限が強まり」、
結果的に「個々の国会議員に対する党執行部の統制力」も強まったのである
(p.128-129)。政治資金規正法の規制強化により、「個々の国会議員や派閥が
政治資金を集めるのが難しくなり、企業・団体献金が政党に集中するようになっ
た」ために、「政治資金の面でも党執行部の権力が増した」(p.129)。

 政策面でも、マニフェスト作成段階で、党執行部の「凝集性」や「機動性」が
求められるため、党執行部権力の増大を招いた(p.129-130、建林正彦の概念を
援用)。マニフェスト選挙に移行した後の、「市場競争型デモクラシー」が抱え
る問題点も指摘される。まず、「内在的限界」である。これは、「二大政党間の
競争の激化と無党派層の増大を背景として、イメージに頼る選挙戦に傾斜した」
という限界である。

 この分析過程で、イメージ依存の「テレポリティクス」に至ったプロセスにつ
いても言及されている。他方は、「外在的限界」であり、「有権者―衆議院―首
相・内閣というラインの外部にある参議院の存在」により、「「ねじれ」が生
じ、衆議院の総選挙を起点とするマニフェストに基づく政党政治のサイクルが、
参議院で寸断される」という限界である(p.142)。

 結論として、以下の分析が呈示される。「マニフェストを軸とする市場競争型
デモクラシー」は、「小選挙区制の下、二大政党が政権の獲得を目指して、マニ
フェストを掲げながら競争する。有権者は中長期的に支持する政党を持たず、マ
ニフェストに従って政権を担うべき政党を選択する。そして、選挙で勝利した政
党の党首が首相に就任し、政治主導によってマニフェストを断行する。その結
果、有権者が望む政策が実施される」というサイクルを想定している。

 しかしながら、既にみたように「市場競争型デモクラシーは、想定した通りの
作動を妨げる内在的限界と外在的限界を抱え、行き詰ってしまった」(p.185)
のである。

 著者に、どの程度、政治史と政治学とを架橋しようとの意図があったのかはわ
からないが、その点に関する限り、政治過程の描写はきわめて的確で本書の試み
は成功している。1994年の衆議院の選挙制度改革により、小選挙区制度が導入さ
れたことを著者はきわめて重要視している。とりわけ、二大政党化による諸拘束
にしばしば言及する。

 一例を挙げると、自民党の福田総裁、民主党の小沢代表や菅代表が、「大連
立」を試みたことが紹介されている。それが結果的には成功しなかった要因を著
者は、小選挙区制度に求めている。しかし、大政翼賛会化するといった抑止力の
みならず、両政党トップの統率力や人望の欠如がそうさせた側面も無視できな
かったのではないだろうか。過度に選挙制度を要因とすることは、著者が再三必
要性を強調する「参加デモクラシー」の観点からも疑問である。

 次に、本書の後半は、政治過程の追跡に重点が置かれてしまい、理論的分析枠
組みが前面には出ていない。「競争型デモクラシー」を「エリート競争型デモク
ラシー」と「市場競争型デモクラシー」とに分類し、それに基づいて理論的な分
析がなされるかと思えば、必ずしも終章を除いてはそうではない。

 日本では「市場競争型デモクラシーがエリート競争型デモクラシーに取って代
わっていったこと」(p.14)を本書で明らかにしたいとしていたが、それがわか
りやすくかつ克明に説明されているかと言えば、評者は留保する。というのは、
「市場競争型デモクラシー」が日本の政治の実態を反映した理念型か否かに関し
ても、再検討を要するように思われるためである。

 また橋下徹大阪市長のような「政党なきエリート競争型デモクラシー」にも言
及されているが、これについては、選挙制度との相関関係が明示的ではない。
 さらに、著者は、「参加デモクラシー」を奨励している。有権者の判断を尊重
するのが「参加デモクラシー」の一側面だとすれば、例えば、2005年の郵政選挙
や、2009年の政権交代選挙は、有権者の判断を尊重した結果ではなかったのか。
選挙制度が問題を含むものであったにしても、各選挙区で相対的にはより多くの
支持を獲得して当選したことにはかわりはない。

 また、以下は、著者についてだけではないが、しばしば比例代表選挙における
各党の有効票獲得率だけが、その政党の支持率とされる。しかし、小選挙区との
並立である限りにおいて、そこには有権者の微妙なバランス感覚が働いており、
「政党支持率」とは別のものと判断する方が妥当であろう。

 また、単純に小選挙区の獲得票数の総計が各党の支持の広さを証明するものと
して議論されるが、たとえば共産党のように立候補者を多数擁立できる資金力を
持つ大政党と、草の根の市民運動からごく少数の候補者しか擁立できない勢力と
を、獲得票数でのみ論じることには意味がないといえよう。

 評者には、本書を読んでも解決しなかった問題がある。それは、そもそも何の
ための政治学かという難題である。念頭にあるのは本書ではないが、直近の政治
過程を詳細に検討し、その中から問題点や改善すべき点を明示するという事後的
分析に終始することは、結果として現状を追認してしまうこととなる。
 今回の選挙結果や近年の日本の政治状況に違和感をもつ方は、本書から得るも
のが大きいと思う。

        (評者は大原社会問題研究所嘱託研究員)