【沖縄の地鳴り】

『生ましめんかな』

栗原 貞子


こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

(注)詩「生ましめんかな」モデル・小嶋和子さん(69)毎日新聞2015年8月6日 西部夕刊 被爆直後の広島に生まれた赤ん坊を希望の光と詠んだ「生ましめんかな」。
1945年8月6日が、小嶋さんの母美貴子さんの出産予定日だった。自宅は爆心地から約1.6キロの広島市千田町(現・同市中区)。美貴子さんは近所にある夫の勤め先の広島貯金支局に避難し、8日夜に産気づいた。重傷を負った助産師の助けと、負傷者たちの励まし。地下室に産声が響いた。栗原貞子(くりはら さだこ)1913年3月5日生まれ−2005年3月6日没92歳。詩人。峠三吉などの原爆詩人の一人。『生ましめんかな』で知られる。


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