【自著を語る】

『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』

小榑 雅章


 今度、『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』という本を出した、小榑雅章です。
 これを出したきっかけは、今、朝ドラで『とと姉ちゃん』というのをやっています——9月の末までやりますが、この『とと姉ちゃん』の主人公がこの「しずこさん」、暮しの手帖社の創業者の大橋鎭子と言う人をモチーフにした、とと姉ちゃんであります。つまりとと姉ちゃんの大橋鎭子さんと『暮しの手帖』が主人公になるのが朝ドラだということになって、急遽、朝ドラという柳の下に泥鰌がいるだろうと暮しの手帖社から注文を受けまして書いた本です。いわばこの本は泥鰌です。ぜひ泥鰌を食べてください。

 なぜ私が頼まれたのかと言いますと、花森さんや鎭子さんをよく知っていて、しかも『暮しの手帖』を実際作っていた人間というのがあまりいなかったから、仕方なく私に矢が刺さったみたいなものですが、これを書くにあたって私もいい機会だと思いました。私は昭和35年、1960年の4月に暮しの手帖社に入りました。それから18年間、花森さんと一緒に過ごしました。朝ドラでも放映されましたが、『暮しの手帖』は大橋鎭子さんが創刊したのですけれども、一人で創刊したわけではなくて花森安治という天才と一緒に創刊しました。

 その花森安治さんが編集長で、暮しの手帖を実質的にすべて作っていたのは花森さん。ですから私にとっては、大橋鎭子さんよりも何よりも、花森安治という人がいわば師匠なんですね。その花森さんのすべての指示で仕事もしたし、尊敬もしたし、叱られて腹を立てたりもしました。その花森さんと18年間一緒に仕事し、花森さんが66歳で亡くなられた後6年間、暮しの手帖社に在籍して、雑誌を作ってきました。ですから暮しの手帖社では都合24年間、編集部でずっと仕事をしてきました。その時のことをこの本に書きました。

 今度の朝ドラでは大橋鎭子さんが主人公で、小橋常子という名前です。花森安治さんは花山伊佐次という名前で、唐澤寿明という俳優さんが演じています。ご存知の人の方も少なくないと思いますけれど、有名な方です。しかしその二人がいても『暮しの手帖』という雑誌は出ません。実際には花森さんの指示のもとに這いずり回るように雑誌を作っていた編集部の人間がいましたので、その編集部にあえて光を当てたいと思って、『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』という長いタイトルになってしまいました。

 今言いかけましたけれども『暮しの手帖』という雑誌は今の若い人にとってはあまり馴染みがあるとは思えません。しかし私が入社した昭和35年頃は、高度成長の始まりというか真っ只中というかの時代でして、初任給が1万円ちょっとという時代でした。いまは20万ぐらいですよね。ですから20分の1くらいのもので、社会的にまだ貧しい時代でしたが、これからどんどん発展するという時代でもありました。『暮しの手帖』の部数もどんどん伸びていて、60万、70万という大部数になっている勢いのある雑誌でありました。

 そこへ就職をしたのですが、わかっていただきたい点が2つあります。まず1つは、この花森さんが鎭子さんと一緒になぜ『暮しの手帖』を始めたいと思ったかという、そのきっかけです。それは先の戦争です。先の戦争と言ってももう70年前にもなりますが、あの戦争でたくさんの方が亡くなりました。当時、戦争というのは海外で行われていると思われてきた。明治以来、日清、日露、第一次世界大戦そして満州事変、日支事変そして大東亜戦争。ずっと戦争は海外で、中国や東南アジアなど日本国外で行われておりましたので、国内での戦争というのはなかったんですね。だから戦場は常に海外にあった。

 しかし70年前の太平洋戦争というのは海外だけではなくて、日本中の国民が戦争に巻き込まれ、塗炭の苦しみに遭いました。まず夫を亡くしました。海外に出征した兵士たちは二百何十万人も海外の戦地に倒れました。当然、未亡人になりました。その未亡人には子どもがたくさんいました。小さい子どもがいて、女手一つで何人もの子どもを養うこともできず、子どもたちも飢えました。日本中のほとんどの都市は、アメリカ軍の焼夷弾によって焼け野原になって、家を失い、食料もなく、着るものもなく、戦争というのは日本人の、庶民の暮らしを全部破壊してしまいました。

 花森さんはそういう戦争はもう二度と起こしてはいけない、なんであんな戦争が起こったんだろうということをずっと考えていました。あの戦争は、すべて「お国のため」「大日本帝国のため」でした。戦争に駆り出されて死ぬのも、家族が飢えるのも、家が焼かれるのも、すべてお国のために我慢すべきことでした。お国のために、じぶんのいのちも暮しもすべて犠牲にしなければなりませんでした。
 それっておかしい。逆だ。お国のためではなくて、まず自分のため、自分の暮らしを豊かにすることが重要。戦前のようにお国のためにみんな駆り出されて戦争で死んでいったのではなく、お国のために食べるものも我慢するという社会ではなくて、とにかく自分の暮らしを豊かにする、まず第一に庶民の暮らしが豊かになってその暮らしを守りたい、この自分たちの満足な暮らしを脅かすような政治は反対だ、というような社会にならないといけない。でもそのためにはまず一人ずつの暮らしを少しでも豊かにしなければいけない。

 何にもない戦後すぐの時代に、あの焼け野原の中で、花森さんはそう考えて昭和23年に『暮しの手帖』を創刊したんです。その『暮しの手帖』は創刊号以来何をしたかというと、今、朝ドラでやっていますけれども、まず着る物。女性はやっぱりおしゃれをしたい。しかしそれまで女性たちはみんな強制されて、着用していたのはモンペ、女の人はモンペですよね。着物を着ていて袂が長いと言われれば袂を切らされました。男の人も軍服あるいは国民服、そういう物が当たり前になっていました。頭はみんな坊主だと言われました。

 ところが戦争が終わったんです。自由になった。ここがすごく重要なことで、今までお国のために我慢しろ、お国のために命を捧げろと言われていた。だから万一アメリカ軍に占領されたら鬼畜米英だから、日本人は皆殺しになる、女性はみんな蹂躙される、だから死ぬまで頑張るんだと言われました。しかしどうでしょう。お国のためにと言われたその国が破れてアメリカ軍が来たら自由になった。心も晴れやかになった。どんどん物資も豊かになってきた。これってなんなんだ。誰のためだったんだ。お国って何だったんだ。我々はもっと自由にしていいんだ。おしゃれを楽しんでいいんだ。それが花森さんが『暮しの手帖』を始めたきっかけです。

 だからまず第一に花森さんが考案した、直線断ちといって誰でもが簡単に作れる洋服、それを雑誌の上でみんなにわかってもらうように型紙をつけて、雑誌に載せました。家は焼け野原やバラック造りだから家具もありません。それはみかん箱やリンゴ箱を積み重ねて、椅子や机にしたり、本棚や食器棚にする工夫などを次から次へと雑誌に載せました。一番最初からそういうふうにして少しでも豊かな暮らしを具体的に提案してきたのです。

 私が入社した昭和35年ごろには、まだほとんどの家には洗濯機なんてありませんでした。冷蔵庫もまだ氷の冷蔵庫で、電気冷蔵庫っていうのがアメリカにはあるそうだ、そこの中に入れておくとずっと冷えて腐らないんだ、と噂に聞いていました。
 掃除機は、真空掃除機と言われて、箒で掃くのと違って部屋の中もゴミが根底から綺麗になるよ、っていうふうにも言われていました。そういうのが噂として流れてきて、日本のメーカーも海外からの輸入だけじゃなくて作り始めてきたのが、大体その昭和35年前後です。

 みんなそれを欲しがりました。どういう物か、どんな物か、買いたい、しかし月給の何か月分も払わなければいけない。そういう時代に、花森さんは、これからの暮しは家電商品もどんどん家庭に入ってくる。しかし庶民が、少ない財布から月給以上の高価な電化製品をやっと買って、もしそれが欠陥商品だったり、買ってこんなつまんない物だったというような悲しい思いをさせたくない、庶民のつましいお金を無駄にさせたくない、そういう思いやりのある人でした。
 だからそれだったら、この商品は買うべきなのかどうか、冷蔵庫っていうのはやっぱり役に立つのか、洗濯機はちゃんと汚れが落ちるのかっていうのを、『暮しの手帖』が事前に調べよう、そして、もし買ってもいい商品だったら、どのメーカーのものがいいのか、ナショナルがいいのか日立がいいのか東芝がいいのか、どこの商品が一番いいのかっていうのがわかったら、それをみんなに知らせれば、みんな間違いなく買えるじゃあないか、と考えました。

 そして、『暮しの手帖』はいろいろな家電商品や道具や着る物・食べものをテストして、記事にして、みんな庶民が喜ぶ、というような『暮しの手帖』を作ってきたんです。花森さんの志は、みんな庶民同士、手を取り合って少しでも自分たちの暮らしを良くしよう、そして戦争のない社会を作ろうというのをこの本の中に書きました。是非読んでください。

<執筆者略歴>
小榑 雅章(こぐれ まさあき)
1937年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業した1960年、暮しの手帖社に入社。『暮しの手帖』の創刊者であり、初代編集長の花森安治が永眠するまで、18年間にわたり薫陶を受ける。もうひとりの創業者の大橋鎭子とは、24年間を編集部でともにした。退社後、スーパーマーケットのダイエーに入社。創業者の中内功のもとで働く。取締役秘書室長、流通科学大常務理事兼事務局長、兵庫エフエムラジオ放送(Kiss-FM KOBE)社長、ダイエー消費経済研究所代表取締役会長などを歴任。現在は、企業やNPO等の組織の利他行動の社会心理をリサーチする「向社会性研究所」主任研究員。社会学博士。


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