『転換期の日本へ—「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』

【書評】

『転換期の日本へ——「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』 ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック/著 明田川融、吉永ふさ子/訳

NHK出版・2014年/刊 新書定価860円(税抜)

                      岡田 一郎

 本書はアメリカの歴史学者ジョン・W・ダワーとオーストラリアの歴史学者ガバン・マコーマックによる、日本をとりまくアジア情勢の歴史的分析と現状を憂うる両者の対話から構成されている。両者ともに母国だけでなく、日本国内でも広く名前が知られた歴史学者であり、日本に関する造詣が深い真の知日家である。その2人が現代日本の情勢をどう見ているのか知ることは、現代の日本が世界の知識人からどのように見られていることを知る一助となるであろう。
 本書は3章で構成されており、第1章はダワーがカナダのウォータールー大学でおこなった報告をもとにサンフランシスコ平和条約によって構築された国際体制の中で日本がいかにアメリカに従属させられてきたのかを明らかにしている。内容は日本現代史に通じている者ならば既に理解している内容であり、特に目新しい内容はない。

 だが、その中で、私が注目したのは、1971年に行われたアメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官と中国の周恩来首相とのトップ会談で話し合われた内容である。日本の非武装中立化を望む周に対してキッシンジャーは日米安保条約の必要性を強調するのだが、その際に展開されていたのはアメリカとの同盟こそが日本の暴走を防ぐという論理であった。キッシンジャーは日本の中立主義は「おそらくたちの悪い国家主義の形をとるだろう」と指摘し、さらに「中国人の哲学的見解は世界一般に通用するが、日本のそれは伝統的に部族的」であり、日本人は「突然に暴発的な変化を起こしやすい」国民だと述べたという。(本書66頁)安倍晋三首相による靖国参拝とそれに対するアメリカの「失望」、そして反米化する日本の世論を見ていると、キッシンジャーが日本人の性質を40年前に既に熟知し、今日のような事態が発生することを見通していたことに驚かされる。

 そして、このキッシンジャーの見解こそアメリカの対日外交の基本方針ではないだろうか。すなわち、同盟国としてアメリカは日本に経済力に見合った防衛力の増強を求め、自国及び周辺領域の防衛の自己負担を求めていく一方で、日本外交の中立化およびそれに伴う国家主義の台頭は許さないという方針である。ならば、日本がとるべき道は周辺諸国が軍国主義復活の懸念を抱くような要素を出来るだけ一掃しつつ、自衛力の増強に努めるという道であろう。

 しかし、日本では自衛力増強に熱心な勢力は一方で軍国主義的傾向の復活にも熱心であり(自民党改憲案がそれを象徴している)、一方で軍国主義的傾向の復活に反発する勢力は自衛力の増強に消極的というねじれた構図になっている。このねじれた構図は冷戦時代(特に1972年の日中国交回復以後)には特に問題とならなかった。日本の保守勢力は仮想敵国である旧ソ連に対抗するために中韓との連携を必要としていたし、中韓の指導者たちは日本の戦争責任に目をつぶってでも日本から経済協力を引き出す必要があった。また、アメリカは圧倒的な軍事力と経済力を背景に日本を含めるアジアの同盟諸国間の対立を抑えこむことに成功していた。だが、旧ソ連の崩壊後、日中韓三国が緊密に連携する必要性は低下し、さらにアジア諸国の経済発展によって日本による経済協力の必要性も薄れていった。

 さらにアメリカも国力低下によって同盟諸国間の対立を抑えこむことが出来なくなっていった。中韓をはじめとするアジア諸国が経済力の向上によって、それまで控えめに口にしていた日本の戦争責任を公言するようになり、日本はそれに反発し右傾化する。日本とアジア諸国の対立を押さえ込めないアメリカはアジアにおける緊張緩和のために日本に自制を促すが、日本はアメリカの意図を読めずに独自行動をとり続け、それにアメリカがいらだっているというのが現代のアジア情勢であろう。アメリカにとっての最悪のシナリオは日本がアジア諸国の中で浮き上がって孤立し、アメリカの意向にも従わなくなり、孤立した軍事国家としてアジア緊張の火種となるというものだろうが、このシナリオの実現可能性は今日、極めて高いと思われる。

 だが、ダワーもマコーマックも(2013年12月におこなわれた安倍首相の靖国参拝とそれに対するアメリカの反発を本書執筆時には予見することは不可能であったために仕方がないが)、日本のアメリカに対する従属性にばかり着目しており、アメリカの思惑を超えた日本における国家主義の台頭に十分な注意を払っていないように思われる。(ただし、中韓の首脳が訪米時にアメリカに温かく迎えられたのに対して、安倍首相がオバマ大統領から冷淡に扱われたことに日米関係に何らかの変化が生じる予兆を感じている)

 第2章ではマコーマックが沖縄県の島々の現状から日本政府の属国根性を明らかにしている。マコーマックが日本の辺境の島々で見たのは、アメリカ政府の前では奴隷のようにはいつくばり、沖縄県民の前では居丈高に振る舞う日本の政治家や官僚の姿であった。日本政府は沖縄県に米軍基地受け入れや自衛隊駐留の負担ばかりを押し付けているが、一部の政治家が主張するように沖縄県と周辺諸国との交流を盛んにし、沖縄県周辺を交流の海にするほうがはるかに沖縄県にとって益が多いとマコーマックは主張する。

 そして、マコーマックは日本がTPPに加盟すれば、沖縄県の主力産業である砂糖生産や漁業は壊滅的な打撃を受け、その損失を軍事基地受け入れだけでは賄うことは出来ないだろうと予測している。もしもマコーマックの予測が的中すれば、沖縄県は東京の政府から自立して、周辺諸国との結びつきに活路を見出すこととなるだろう。その先にあるのは沖縄独立である。もしも、沖縄県を日本防衛の要と考えるならば、沖縄県民が日本にとどまりたいと考えるような沖縄の未来像を日本政府が積極的に打ち出していくことが必要である。しかし、実際には日本防衛における沖縄県の重要性を指摘する者が、一方で沖縄経済の振興にあまり興味がなく、沖縄県の負担の増加にばかりで熱心であるという現実がある。

 そして、米軍基地や自衛隊駐留に反対するマコーマックのような人々は逆に、沖縄県民が抱く周辺諸国の進出に対する恐怖心に無頓着であるように思われる。マコーマックは中国よりも日本のほうが海洋条約で優遇されており、中国による周辺海域への進出が侵略的なものでないと主張しているが、マコーマックの主張は、真偽は別にして、沖縄県で広い支持を集めることは難しいだろう。

 第3章はダワーとマコーマックの対談である。両者はアメリカの国力が低下し「パックス・アメリカーナ」(アメリカによる平和)の時代が終焉を迎えつつある中で、次の時代が「パックス・アジア」の時代になるべきであるという意見で一致している。パックス・アジアがどういうものかは不明確だが、おそらく両者はアメリカ・中国・日本・アジア諸国の連携による多極的な国際秩序を想定しているように思われる。だが、両者が認めているようにこのような国際秩序の実現は困難である。各国は共生の方向に向かうどころか逆に対立の方向に向かっており、アジア太平洋諸国が連携を強化する方途は見えていない。

 かといって、ダワーが「誰も『パックス・アメリカーナ』がある種の覇権的な『パックス・シニカ』(中国による平和)といったようなものに変わるのを見たいわけではありません」(本書243頁)と言っているように、アメリカの掲げる自由主義や民主主義に代わる魅力的な理念とアメリカ式生活様式に代わる魅力的な生活様式を生み出せていない中国が力で各国を押さえつけるような世界秩序は人類にとって不幸な未来である。

 パックス・アメリカーナの維持が困難であり、パックス・シニカが今のところ望ましい未来とは言えないとするならば、人類が選択しうる未来で最も望ましいのはアジア諸国を中心とした多極的な国際秩序、すなわちパックス・アジアであろう。そして、パックス・アジアの実現の最大の障壁は本書執筆時には、「アメリカに従属していれば、アメリカが全てを解決してくれる」という冷戦時代の発想のまま思考停止状態に陥り、アジア諸国との連携を拒否し続けた日本のエリートの属国根性であったと思われる。

 だからこそ、ダワーもマコーマックも日本の属国根性を問題視したのであろう。だが、現在では日本はアメリカからも国家主義的な体制の復活を危険視され、見捨てられようとしている。現代の日本人の当面の課題はキッシンジャーが危惧した「たちの悪い国家主義」と結びついた中立化の誘惑を断ち切り、自由民主主義国家としての日本の信頼を世界で取り戻すことではないだろうか。そのうえで、日本人に根付いた属国根性を克服して、独立自尊の精神を取り戻し、アメリカ・中国そしてアジア諸国と対等の立場で連携を模索していくべきである。

 (筆者は小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)


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