■ 【書評】                    前島 厳

1.竹村陽子著(時代小説)『追憶の旅』(公達浪人事柄控)
    NPO法人双牛舎(TEL/FAX 03-3261-0323)発行,1、500円
    (問い合わせ先: kindachi@jcom.home.ne.jp)
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  「オルタ」に時代小説の書評を載せるのは異例のことかもしれないが、それに
は次のような特別な事情がある。

 この小説の著者竹村陽子氏は生来の脳性まひのために義務教育さえ満足に受け
ることが出来なかったのだが、主に母親から教育を受けただけでこの小説を書き
上げた。それだけで驚嘆に値することだが、更に特殊なワープロ操作の習得、歴
史の勉強、時代考証など、彼女の長年にわたる想像を絶する努力と才能の結晶が
この小説を生み出した。加えて、多くのボランティアの人々の協力やNPO法人
双牛舎の出版引き受けもあってこの小説は本として世に出ることが出来た。
 
  著者は現在、ほとんど身体の運動機能を失って介護施設で生活しているとのこ
とだが、彼女が長年にわたりワープロに打ち込んだ原稿はボランティアの人々に
よってパソコンに取り込まれ、また別のボランティアの人々が校正や装丁などを
引き受け、最終的にNPO法人双牛舎が出版を引き受けて本になった。

 「出版が現実になって夢のようです。」と著者は「よろこびのことば」で述べ
ている。こうした事情はボランティアの一人である山口俊子氏が巻末に記してい
るが、一人の身障の人の並々ならぬ努力と才能、そして多くの人々の善意と協力
の結晶であるこの小説を一人でも多くの人に読んでもらいたいために、ここに紹
介するしだいである。

 小説は椿鋭之介なる一人の浪人者をめぐる七つの短編物語で構成されている。
七つの短編物語は主人公の椿鋭之介を通じてつながってはいるが、基本的には各
編は独立した物語である。それ故にこの本は短編時代小説集と言っても差し支え
ないのだが、どの短編もなかなか面白い。時代背景は徳川五代将軍綱吉・六代家
宣の時代とされている。

 しかし椿鋭之介なる浪人者の主人公は実は著者の空想の中で生み出された著者
自身の「恋人」像であるかもしれない。その意味で時代背景は単なる舞台装置で
あって、著者が書こうとした真のテーマは時代とは関係のない、また生死も超越
した男女の純愛物語であろう。

 著者竹村陽子氏は歌人でもあり、歌人としても幾つもの賞を受賞しているが、
巻末に載っている彼女の和歌10首からも身体に障害のある女性の切々たる思いが
伝わってくる。
  「とくとくと耳たぶの後ろ流れいる血潮よ私は恋を知らない」「紅き口あやし
く闇に輝かせ夫待つ鬼となりてもみたし」「寝返りも出来ぬ身体を脱ぎ捨てて<
魂>のみで生きてゆけぬか」「背の高き医師が我にと花束を花舗に買うこそ有り
難きかな」「我という身障の娘に係わりて母に普通の老後はあらぬ」。
 
  きっと著者は自分の不自由な身体を嘆いたことも幾度となくあったろうし、健
常な女性と同じように素敵な男性を恋し、結婚し、子供を生み、楽しい家庭を築
き、母に孫を持つ幸せを経験させたいと幾度も思ったことであろう。そうした切
々たる思いを時代小説という形式で表現したのかもしれない。
 
  そのようにこの小説を理解するのはもちろん深読みに過ぎるかもしれない。著
者は自分の境遇とは全く関係なく、純粋に面白い物語を創作したのかもしれな
い。この小説をどう解釈するかは読者の判断に委ねたい。

 ともあれ、椿鋭之介なる主人公は夭折した恋人、三条内大臣の末姫照子のこと
を忘れられず、京から江戸に出て叔父である二千五百石の直参旗本磯部右門の援
助を受けて浪人生活をしているのだが、最後には、大奥に入った従妹の雪路、将
軍家宣の死後は二十九歳の若さで比丘尼となった磯部右門の娘の雪路と結ばれて
九十九里の漁師小屋へ恋の逃避行をし、幸せになる物語だが、著者はしかし最後
に、「どれほどの日々が、二人に残されているのか判らない」と、無常観をも示
して小説を結んでいる。
 
  著者は前書き(「よろこびのことば」)で、「この小説の主人公たちは私自身
であり、私の永遠のヒーローでもあります。私は彼や彼女たちに慰められて、暗
闇の青春時代に一人時間をやり過ごしました。」「家族が留守の時は,独り芝居
をして筋書きを言ったり,練ったりしたものです。人に見られたら笑われたこと
でしょう。でも私にとっては、この物語を作り出すことが生き甲斐になっていた
十年ほどでした。」と書いている。
 
  多くの人にこの小説をぜひ読んでもらいたい。著者はこの小説が「・・・世の
中に出ることになり、喜びではちきれそうです。」と書いている。

                 (筆者は東海大学名誉教授)

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