『門司港発展と栄光の軌跡』

■【書評】                  荒木 重雄

  3.『「門司港」発展と栄光の軌跡  夢を追った人・街・港』
     書肆侃侃房 2011年1月発行        羽原清雅 著
───────────────────────────────────
 
  まず本書の一節を借用すると、「昔の名残をとどめた城跡に立つと、いかめし
い武将、そしてその築城にあたった人びとや、その経費を生んだ背景などに思い
を馳せ」ることが好きな人がいる。その馳せる思いをさまざまな資料で裏づけ実
体化する術をもった人がいる。さらにそこから豊饒なひとつの世界を描きだす才
能をもった人がいる。まさにそのような著者、元朝日新聞政治部長・羽原清雅氏
によって「門司港」の今と昔が420余頁に亙って展開されているのが本書である。
 
  著者は小倉と博多に4回の転勤で延べ9年間勤務し、そのうち2回は門司にも住
んで、いつしか深い興味と愛着を門司港に抱いたことを本書で述懐している。そ
のあいだ記者として、後年は西部本社代表として地域社会にかかわるなかで見聞
した事柄・印象を軸に、明治期創刊の『門司日報』や地元郷土史家の手になる『
門司郷土叢書』など貴重な史資料をはじめ、巻末に示された120余点に及ぶ参考
文献・資料を渉猟・検証する営みから本書はうまれている。

 たとえば、本書の主要なトピックのひとつである、かつての門司港の栄華を伝
える旧料亭「三宜楼」を語るについても、まず「三宜」の意味の斟酌からはじま
る。
  「三」については儒教、仏教、神道、キリスト教における「三」の用例から
「三すくみ」「三K」に及び、「宜」についても『大漢和辞典』や白川静の解釈
を引いてその意味を検証し、さらに名称に「三宜」がつく町や庭園や別荘や旅荘
や茶店を、かつて東京・上野公園にあって文人・画人が集った「三宜亭」をはじ
め全国各地から韓国にまで訊ねる博覧強記ぶりで、歴史と文化の時空を自在に飛
んでは「門司港」に立ち返る、自由闊達にして重層的・立体的に構築された物語
である。

 門司は漁業と塩田の寒村から、1889年(明治22年)の特別貿易港指定を契機
に、石炭輸出の隆盛、鉄道など交通網の整備、各種産業の発展と中央の金融・商
業・運輸資本の支店経済の展開、軍事機能の整備など、急激な近代化が進められ
た。その発展を支えたのは、日清・日露戦争、第一次世界大戦、満州事変から太
平洋戦争、さらには朝鮮戦争までつづいた軍需景気と、大陸への進出であった。

 著者が本書を「この地は、日本の近現代史を凝縮した、いわばミニチュア・
ジャパン」の記述ではじめる所以である。
  「ミニチュア・ジャパン」の指摘どおり、さしもの繁栄を誇った門司も、エネ
ルギー転換をはじめとする産業構造の変化で長らく衰退の道を辿ってきた。その
起死回生のてだてのひとつとして当時の北九州市長によって1987年に立案された
のが「門司港レトロ計画」であった。

 民間の側からもこれに応える気運が高まり、2000年頃から、基金を募って、門
司に残されているかつての国家機関や中央資本の支店、倉庫などの歴史的な建造
物の保存・再活用をはかる運動が展開されている。著者の本書執筆の動機にはこ
の運動を支援する意図もあるようだ。

 著者は地域開発についていう。「『民』がアイデアを出し、『政治』がそれを
吸収し、『官』が誘導装置としての法制化・予算化・情報普及に努める」ことが
必要で、「いつまでも『官』からの流れを待ち受けたり、全国画一的な施策に期
待していたりするばかりでは、改革と発展の道は開けてこない」。

 この民間サイドの運動の最初の成果が、旧料亭「三宜楼」が立つ土地の買い取
りと北九州市への寄付であった。
 
  三宜楼は、1906年(明治39年)にはすでに存在していた、門司港を眼下に見お
ろす高い石垣の上に立つ、木造三階建て入母屋造り、百畳敷きの座敷を備える豪
壮・華麗な料亭である。明治・大正・昭和の初期にかけては軍需景気と台湾・朝
鮮半島・中国大陸への進出に湧く石炭商、廻船問屋、中央銀行や商社の役員など
で殷賑をきわめ、太平洋戦争中は陸軍将校らの慰安所兼宿舎に接収され、終戦後
は進駐軍のダンスホールにもなって、まさに門司港の栄華を象徴する建造物であ
る。

 だが、著者がはじめてこの建物を訪れた1990年代の初めには、すでに壁土が崩
れ、室内も吹き込む風雨に晒されて傷んだままで、ミイラ化した鳩の死骸まで埃
にまみれて落ちている、廃屋同然の姿であった。
 
  この三宜楼について著者は、賑わった往時の写真から精密な平面図・立体図・
断面図まで添えて、屋根・門・塀の軒飾りから間取の一つひとつやその内装まで
を配膳室や女中部屋にいたるまで詳細に述べ、その沿革や、京都・祇園育ちの女
性創業者の謎に満ちた人生や、顧客たちの個性的な生きざまを語るのである。

 著者は「序」で、「この地はミニチュア・ジャパン」につづけて書いている。
「ここには、歴史のおもしろさがあり、歴史の非情さが見られ、(中略)人間の
欲望、驕り、憤り、懲りない失敗の姿が共有されている。ときに人くさい抜け目
のなさ、こずるさもほのみえる」。すなわち著者が最も興味をいだき愛おしんで
いるのは人である。それも「人くさい」人である。
 
  例を挙げれば、たとえば著者が門司の花柳界にその名を響かせた「三羽烏」と
いう、石油の出光佐三、船舶の中野真吾、米の久野勘助や、三宜楼を一時所有し
た炭鉱王・上田清次郎などである。ここでは、最も著名な出光佐三について著書
の記述から簡単に触れておこう。

 小さな小麦粉・石油販売業の丁稚奉公から出光商会を開いた佐三は、当初、筑
豊の炭鉱に石油を売り込む算段だったがすでに電力に頼っていて売れず、関門海
峡を行き来する漁船などに発動機をつけるようしむけて石油を売り込んだ。第一
次大戦の波に乗って大陸に進出して満鉄に食い込み、第二次大戦では東南アジア
方面に転戦する海軍を掴んだ。高額納税者として貴族院議員や門司商議所会頭も
務めている。
 
  戦後は公職追放のあと朝鮮戦争の特需景気に乗り、また、欧米の国際石油資本
の攻勢をよそに日章丸でイランから直接石油を買い付けたり、ソ連と石油の輸入
契約を結ぶなど、メジャーとの間に軋轢をうんだり、通産省指導の生産調整に反
対して石油連盟を脱退したりして、話題をまいた。 彼は一方、長唄・常磐津・
一中節などに勝れ、日本・中国の古美術の蒐集でも高く評価された。
 
  この出光佐三に限らず、上に挙げた実業家をはじめこの書に登場する者たち
は、いずれも旺盛な野心と行動力をもって近現代の歴史を泳ぎぬいたしたたかな
者たちである。

 もちろん著者が関心をもつのは著名人や成功者ばかりではない。過酷で危険な
労働と貧窮にあえぐ炭坑夫や沖仲仕・陸仲仕、囚人や朝鮮人の労働者、酌婦・娼
妓や、客引き、口入屋。これら無名の下積み者たちについても、その境遇だけで
なく彼ら彼女らの「人くさい」生きざまに共感を込めて書いている。
 
  門司にゆかりの者として本書に取り上げられた人物は多い。その一部の名を挙
げれば、高橋是清、三木武吉、古川ロッパ、藤原義江、佐藤栄作。また、門司を
描いた文学者として、評者の関心に絞れば、大西巨人、大岡昇平、井上光晴、林
芙美子、松本清張らに触れている。 それらのなかで、門司を近現代史の中に置
くさい、次の二人は忘れられない。著者が日中戦争・太平洋戦争へと繋がる社会
的・思想的背景を象徴する人物として描いた二人である。

 その一人はテロリスト黒田保久二。沖仲仕から警察官を経たのち、港湾労働組
合に対抗する目的で沖仲仕の親分衆がつくった共済組織で働き、やがて皇室中心
主義の国粋団体「七生義団」の結成に参加して、無産運動の労農党代議士・山本
宣治を殺害する。山本は赤化を運動し、治安維持法に反対し、不敬があったとい
うのが斬奸状に記された殺害の理由である。

 もう一人はファシスト橋本欣五郎。彼は職業軍人として特務機関、トルコ駐在
武官、野戦重砲兵第二連隊長などの道を辿りながら、陸軍将校らを集めた急進的
な国家改造運動の結社「桜会」を結成し、1931年に大川周明、西田税ら右翼を加
えて三月事件、十月事件という2度に亙るクーデター計画を立てるが、未遂に終
わる。しかしこの計画を引き金に満州事変が起こされ、五・一五事件、二・二六
事件が繋がる。

 桜会は解散し橋本も予備役に回されるが、国粋主義を謳う大日本青年党を結
党。日中戦争が起きると野戦重砲兵第十三連隊長として出征するが、軍務を終え
るとまた政治活動に戻り、大政翼賛会を基盤に代議士ともなって、国民総動員体
制の元締めを務める。

 終戦後、A級戦犯として終身禁固刑で巣鴨拘置所に入るが、55年には仮出所、
翌年には公職追放を解除されて参院選に出馬。橋本は落選したが、この選挙で戦
前の指導者が大量に政界復帰した。著者はそれらの名を挙げて「もし戦前の指導
者たちが戦後の政局を動かす立場に、これほど多く就いていなかったら、日本の
政治の方向はかなり変わっていたに違いない。あるいは逆に、混乱を招いていた
かもしれない」と述懐している。
 
  門司市街を一望する高台の寺の境内に、東京裁判で東條英機の弁護人を務めた
清瀬一郎の揮毫による橋本欣五郎の顕彰碑が立つ。
 
  じつは本書には、新聞でいえば全国版ではなく地方版にふさわしい記事のよう
な、北九州にかかわりがないとピンとこない、つまりその土地で生活している者
でないとその意義や重要性が理解しにくく煩瑣に感じられるような記述がときた
まある。

 しかし、本書の出版元が福岡市にあるように、ある地域に視点を定めてその視
点から、あるいは、ある地域に向けてそこを対象に、メッセージを発し、理解を
促し、その地域の文化力なり運動力なりをエンカレッジするというのも、ジャー
ナリズムが果たすべき大切な役割である。本書はそのような意図も、特徴として
もっているように思われる。

 もうひとつの本書の特徴は、その視野の広さ、言い換えれば、扱う対象へのア
プローチの多角性、総合性、複眼性である。
 
  たとえば本書中の1項目、前述した三宜楼の創業者・三宅アサの生涯ひとつ述
べるについても、ペリー来航から日米和親条約、吉田松陰、祇園の芸妓と花街の
仕組み、伊藤博文・李鴻章の日清講和、壇ノ浦の生き残り平家女官にはじまる下
関の遊里・稲荷町と幕末の志士、金子みすず、第一次世界大戦の戦時利得納税者
リスト、コメ騒動、シベリア出兵、九州疑獄事件、盧溝橋事件と日中戦争、朝鮮
戦争と特需景気、石炭産業の斜陽化と三池大争議、産業構造の転換、安保闘争と
岸内閣退陣、池田首相の国民所得倍増計画、ざっとこれだけのことが語られるの
である。
 
  著者の博識・博覧強記ぶりには敬服するばかりだが、この多角的な視線の広が
りは本書の諸項目の隅々にまで行き渡って、「歴史」とよぶにはあまりに「人く
さい」豊饒・壮大な人々の営みの叙事詩を展開しているのである。

 じつは評者らは、人の営みはほんらい多面的・複合的なものであり、したがっ
てそのような人々の営みが集合した社会の理解も多角的・総体的・複眼的におこ
なわれるべきとの観点から、各学問分野を横断・統合する総合学会として社会環
境学会を創設した。本書は、まさにそうした総合化の理念を実作で実現したもの
として、評者らを励ますこと、すこぶる大なのである。 

      (評者は社会環境学会会長)                 

                                                    目次へ